九二式重機関銃

「九二式重機関銃(92式重機関銃)」は大東亜戦争全期間を通して使用された日本陸軍の重機関銃である。

所謂「機関銃」とは弾丸を連続発射する事が可能な銃器である。

更に、「機関銃」をその銃身重量や口径、付属の銃架等の重量によって「軽機関銃」「重機関銃」と区別する事がある。「軽機関銃」は小型軽量で兵士1~2人で運搬できるよう設計され、最前線で他の兵士の前進に随伴し、速やかに効果的な支援射撃を行ったり、重火器の運搬が困難な山岳地帯や密林地帯での使用を目的としている。運搬に便利な小型軽量である為、銃身長・重量・銃架等は大きく出来ず、射程距離・冷却性能(連続発射性能)・命中精度は多少犠牲になる。「軽機関銃」は、接近戦や遭遇戦に於いて、近距離の敵をすばやく射撃する際には有効な兵器である。少人数で運用可能である為、通常は歩兵小隊で数挺の「軽機関銃」を装備している。

これに対して、「重機関銃」は銃身・銃架ともに重量があり、運搬には多数の兵士が必要になる。その為、「軽機関銃」ほど迅速な展開は出来ないが、銃身・銃架が大きく重い為、安定性に優れ、命中精度が良い。また、大きく長い銃身は冷却性能も優れる為、長時間の連続発射が可能である。「重機関銃」は、固定された敵陣地に対する攻撃に使用したり、射撃範囲・射程を定めた場所に弾丸を絶えず発射して敵を圧倒する制圧射撃に使用される。また、発射する弾丸が多いため、弾薬運搬用の兵士数人が付随する。その為、運用に関しては、重機関銃中隊等の運用部隊を編成し、銃本体の運搬・弾薬の運搬・保守管理をしている場合が多い。

日本陸軍では第一次世界大戦頃まで大正3年(1914年)正式採用の「三年式機関銃」を使用していた。この機関銃は当時の主力小銃であった「三八式歩兵銃」と同口径の6.5mm弾を使用していた。併しながら、口径6.5mmの弾丸では射程・威力ともに不足が指摘されだしていた。特に、制圧射撃等の場合、2km近い射程はあったものの、射程距離付近(2km前後)では殺傷能力が低くなる事があった。当時の各国の銃機関銃は口径7mm~8mmの弾丸を使用していた。

日本陸軍でも口径が7.7mmの弾丸を使用する機関銃の開発を開始した。昭和4年(1929年)、航空機用の機関銃として「八九式固定機銃」「八九式旋回機関銃」が開発された。これらの機関銃は陸軍では初の口径7.7mmの弾丸を使用する機関銃であった。それらを基に陸上用の機関銃として使用する研究が行われたが、うまくいかなかった。結果、従来の口径6.5mmの弾丸を使用する「三年式機関銃」を基に、口径7.7mmの弾丸を使用するように拡大発展させる研究が行われた。

昭和7年(1932年)、「三式機関銃」を口径7.7mmに拡大発展させた試作機関銃が完成した。元々「三年式機関銃」は重量・大きさともに余裕がある頑丈な機関銃であった為、口径の拡大や、それに伴う補強にも十分耐えられる構造であった。試作機関銃があまりにも順調に開発されたため、この時点で口径7.7mm弾丸の開発が間に合っていなかった。後に陸上用の口径7.7mmの弾丸である「九二式実包」が新規開発された。

「九二式実包」は後に開発される「九九式小銃」の弾丸である九九式実包と同じ口径7.7mmであったが、薬莢底部のリム形状に違いがあった。「九二式実包」には小さなリムがあり、「九九式実包」にはリムが無かった。その為、「九二式重機関銃」には「九二式実包」も「九九式実包」も使用できるが、「九九式小銃」には「九二式実包」は使用できなかった。

試作機関銃は早速各種の試験が行われ、その結果は良好であった。昭和8年(1933年)には「九二式重機関銃」として仮採用され、昭和14年(1939年)に正式採用された。
本銃の弾薬塗油装置や給弾機構は「三式機関銃」と同じであり、給弾方式も「三式機関銃」と同じ30発保弾板を使用していた。基本的な構造は「三年式機関銃」と同じであったが、銃把は折りたたみ式ハ字型銃把になり、引金式から押金式に改められた。これによって、満州どの極寒地に於いてもミトンの厚手手袋を装着したまま射撃できるようにった。また、銃口に消炎器が取付可能になっていた。

本銃の大きな特徴は光学式照準器(スコープ)を装備していた事である。この照準器と堅牢な銃架(三脚架)と相まって、本銃の命中精度は各国銃機関銃と比較して特に優れていた。併しながら、命中精度・安定性を重視した結果、本銃の重量は空冷機関銃としては比較的重くなり、発射速度もやや遅いものとなった。本銃は保弾板の弾丸が減ってくると射撃速度が速くなる特徴があり、その独特の射撃音から、米軍に「ウッドペッカー(きつつき)」と呼ばれていた。米軍も本銃の命中精度の高さには留意しており、本銃と戦闘する場合は特に警戒したという。

運用に当たっては本銃1挺につき1個戦銃分隊を編成し、4個戦銃分隊と、弾薬を運搬する1個弾薬分隊を加えて以下のように重機関銃1個小隊(重機関銃4挺)を編成した。

・戦銃分隊(下士官1名・兵士10名・馬2頭)×4
  九二式重機関銃1挺 甲弾薬箱(22kg・540発・弾薬手4人):2160発

・弾薬分隊(士官1名・兵士10名・馬8頭)×1
  乙弾薬箱(30kg・馬8頭):24000発

この重機関銃3個小隊で重機関銃1個中隊を編成し、中隊長は中尉であった。
歩兵1個大隊(歩兵12個小隊)に機関銃1個中隊(重機関銃12挺)、つまり歩兵1個小隊に本銃が1挺配備された。本銃1挺あたりの弾薬定数はで9660発であった。

第二次世界大戦でドイツ軍が運用したMG34機関銃の弾薬定数が機関銃分隊(250発入り4箱・弾薬手2名・1000発)。
MG34機関銃1挺あたりの弾薬定数が3450発と比べると機関銃1挺あたりの携行弾数は他国に比較して非常に多い。

本銃の運搬時は銃架の前後に運搬用の棒を装着した。これを前後2人の兵士で担いで運搬した。

なお、本銃には「三年式機関銃」を口径7.7mmに改造したもの(銃本体に「改」の刻印が打たれた)と新造のものが存在した。

本銃の弾薬箱には以下の2種類があった。
・甲弾薬箱(機関銃と一緒に運ばれる軽い箱)
  弾数:540発(30連発保弾板18枚)  重量:22.133kg 高:20.8cm 横:46.2cm 幅:21.6cm
・乙弾薬箱(弾薬分隊が運ぶ大型の箱)
  弾数:750発(30連発保弾板25枚) 重量:30.043kg 高:37.0cm 横:46.2cm 幅:21.6cm

本銃の弾丸には以下の2種類があった。
・九二式普通実包
  弾丸全長35mm 実包全長80mm 口径7.7mm 弾丸重量13.2g 実包重量27.5g 装薬量2.85g(無煙小銃薬乙) 初速732m/s
  尖頭弾頭 狭窄弾尾 被甲 黄銅第二号 
  最大射程4100m 最大射程にて25mmの松板貫通可能
・九二式徹甲実包(昭和9年1月制式化)
  弾丸全長35mm 実包全長80mm 口径7.9mm 弾丸重量10.5g 実包重量24.6g 装薬量3.0g 初速820m/s
  ニセコ鋼板 侵徹限界距離 厚12mm:200m 厚10mm:350m 厚8mm:500m 厚6mm:750m 厚4mm:1000m   

重量:55.3 kg(三脚含む) 口径:7.7mm 銃身長:72.1cm 全長:115.5cm
装弾数:30発(保弾板)
発射速度:450発/分 初速:732 m/s 最大射高距離:4100m 有効射高距離:800 m (九二式普通実包・弾頭重量約13g)
作動方式:ガス圧動作ピストンオペレーテッド
製造数:約45000挺