春島南部:春島南端(ブルーラグーンリゾート)

春島南端(ブルーラグーンリゾート)周辺の戦跡一覧

春島第二飛行場(水上機基地)跡地

春島南端に「春島第二飛行場(水上機基地)跡地」が遺されている。かつてここは日本海軍の「春島水上機基地」であり、後に「春島第二飛行場」が建設された。現在は「ブルーラグーンリゾート(Blue Lagoon Resort)」の敷地となっている。

「春島水上機基地」は、昭和16年(1941年)11月に建設が開始され、昭和18年(1943年)4月に完成した。コンクリートで舗装された20m×450mの「駐機場(エプロン)」と「ランプ」が東西に伸び、70m×120mの「補助ランプ」も併設されていた。他にも「格納庫」2棟や「魚雷庫」「倉庫」「兵舎」等が建設された。

当初、「水上機基地」には海軍第九〇二航空隊が展開していたが、昭和19年(1944年)2月17日~18日、トラック諸島が米海軍の大規模な空襲(ヘイルストーン作戦)を受け、「春島第一飛行場」や「竹島飛行場」が大きな被害を受けた。

この空襲後、「水上機基地」から70m程離れた場所に「春島水上機基地」に併設する形で「春島第二飛行場」が建設された。 「春島第二飛行場」は、「水上機基地」の「エプロン」と平行に「戦闘機用滑走路」(60m×1000m)が設けられ、「誘導路」によって「エプロン」と結ばれていた。

「春島第二飛行場」には第二二航空戦隊が展開し、やや北にあるチュクチェン山西側の「洞窟群」に司令部を置いていた。

戦後、この場所はリゾート施設として開発され、「コンチネンタルホテル」を経て、現在は「ブルーラグーンリゾート」の敷地となっている。
当時の遺構は、「防空壕跡」「岸壁跡」「トーチカ」等、一部が遺されているのみである。

海上から「飛行場跡地」を見る。
春島南端が平坦になっていることが分かる。

「春島第二飛行場(水上機基地)跡地」の歩き方

春島南端にある。

「チューク国際空港」から南に約5km、「チューク港」からは南に約3.8kmである。
徒歩では約1時間、道路事情が悪い為、車でも約30分かかる。

「チューク港」から約2.3km行くと道路が二股に分かれる「分岐」があるので、左側(東側・山側)の道路を更に南行く。 途中、「日本軍洞窟群」が左手(東側・山側)にある。

「分岐」から約1.5km行くと「T字路」があるので、右折する。「T字路」から100m程行くと左手(南側)に「宝島」(レストラン・旅館)がある。

「宝島」から250m程行くと「ブルーラグーンリゾート」の「入口」がある。

日本軍防空壕跡

「ブルーラグーンリゾート」の敷地内に「日本軍防空壕跡」が遺されている。「春島第二飛行場(水上機基地)」の施設の1つであったと思われる。

以前は、ここが「春島第二飛行場(水上機基地)」であった事を示す「案内看板」がすぐ近くにあったが、現在は文字板が失われてしまっている。

カマボコ状の形状をしており、前後に出入口がある。出入口は四角く整形されているが、それ以外はコンクリートの打ち放しである。
また、中央両側には換気口と思われる小さな窓がある。

内部は1部屋になっている。雨水やゴミが溜まっている為、深さは良く分からない。

天蓋や側壁は石や岩を混ぜたコンクリートであるが、鉄筋が入っているのが分かる。

形状や大きさから「防空壕」であると考えられる。
併しながら、地上に露出し、壁の厚みもさほどでは無い事から、砲爆弾の直撃には耐えられる程の耐久性は期待できない。弾片や爆風を防ぐ「退避壕」といったところだろう。
各地の海軍施設跡に遺されている三角柱型の「防空壕」の簡易版と言えるだろろう。トラック諸島では夏島北東部に「海軍防空壕」が遺されている。

「日本軍防空壕跡」の歩き方

「ブルーラグーンリゾート」内にある。

「入口」から入り、道に沿って50m程行くと、左手(東側)の芝生に「日本軍防空壕跡」がある。

「防空壕跡」の手前には「案内看板」があるが、文字板が失われている。

「防空壕跡」の向こうには「ダイビングショップ」「船着場」が見える。

日本軍岸壁跡

「ブルーラグーンリゾート」の敷地内に「日本軍岸壁跡」が数箇所遺されている。「春島第二飛行場(水上機基地)」の護岸であったと思われる。

敷地内の海岸にコンクリート製の「箱状構造物」が遺されている。
内部が空洞になっているが、銃眼等は無く、形状的に岸壁の一部だと思われる。

「箱」のある付近は、「春島第二飛行場」の水上機用エプロン(駐機場)の北西端にあたる場所であった。

「箱」は、入江のようになった場所の奥にある。
周囲には「石垣」が遺されており、「春島第二飛行場」の護岸として日本軍が建設したと思われる。当時の船着場だったのだろうか。

「箱」の近くの海岸にはコンクリート製の「台座」が遺されている。
「台座」は石を混ぜたコンクリート出来ており、中央には四角い窪みがある。「台座」の側まで「石垣」の護岸がある為、日本軍が建設したと思われるが、何の為の「台座」であったかは詳細不明である。

「箱」「台座」から少し南にいった海岸に鉄製の「構造物」が遺されている。

「構造物」は、海岸から2,3m程の海中にあり、水深が浅い為に上部が海面上に出ている。

「構造物」は、四角い枠が複数組み合わされており、鉄板と鉄骨で構成されていたようである。現在は、海面上数十cm程しか遺されておらず、元が何だったのかは詳細不明である。

「日本軍岸壁跡」の歩き方

「ブルーラグーンリゾート」内にある。

「入口」から入り、道に沿って200m程行くと、正面に「ロータリー」があり、「ロータリー」の右手(西側)から芝生を越えて行くと海岸に出る。
また、「ロータリー」の正面には「ホテルフロント」「レストラン」がある。

海岸に沿って「石垣」」がある。近くに「日本軍トーチカ③」がある。
「レストラン」の裏手には石で囲まれた「いけす」があり、ここから海岸沿いに南に行くと「構造物」がある。尚、「構造物」の近くに「日本軍トーチカ①②」がある。

日本軍トーチカ

「ブルーラグーンリゾート」の敷地内に「日本軍トーチカ」3基が遺されている。

このうち2基は、「春島水上機基地跡地」の南西端の海岸沿いである。

「トーチカ①」

海岸から2,3m程の海中に遺されている。すぐ南側の陸地にも「トーチカ②」が遺されている。

「トーチカ①」は、石や岩を多数混ぜたコンクリートで造られており、側壁の下側は侵食によって削られていいる。出入口は陸側にあり、海側に向けて銃眼が設けられているのが分かる。

「トーチカ②」

「トーチカ②」は海岸の側の陸地に遺されており、半分以上埋没している。天蓋や側壁のコンクリートが一部崩れ、内部に鉄骨の骨組みが入っている事が確認できる。

もう1基は、水上機用エプロン(駐機場)の西端、水上機用ランプ(傾斜路)のすぐ北側である。

「トーチカ③」

崩れてしまっているが、銃眼が確認できる。銃眼は海岸に対して横を向いているのが分かる。
天蓋は石を混ぜたコンクリートで造られている。

「護岸の石垣」の上に造られているが、この付近のみ、戦後にコンクリートで護岸が補強されている。

「日本軍トーチカ」の歩き方

「ブルーラグーンリゾート」内にある。

「入口」から入り、道に沿って200m程行くと、正面に「ロータリー」があり、その先に「ホテルフロント」「レストラン」がある。「レストラン」の左手(東側)を通って行くと海岸に出る。

海岸に出て、やや左手(東側)の海岸から10m程の海上に「トーチカ①」がある。
尚、「トーチカ①」の少し先(南側)の海中に「構造物」がある。
「トーチカ①」から20m程先(南側)の海岸の側に「トーチカ②」がある。

「トーチカ③」は、「レストラン」の北側、「岸壁跡(箱・台座)」のにある。

記念碑・高角機銃・航空機のプロペラ

「ブルーラグーンリゾート」内には「日本軍兵器」が遺されている。
「ダイビングショップ」の玄関近くには「高角機銃」「航空機のプロペラ」「爆弾」等が遺されている。
現在はペンキで色が塗られ、展示というよりもオブジェとして見世物になっている。また、「ダイビングショップ」のすぐ側の「船着場」には、朽ち果てた「九八式二十粍高射機関砲」が遺されているが、状態が極度に悪く、は殆ど知られていないようである。

「ダイビングショップ」の中にも日本軍の「小銃」「拳銃」が展示されている。

敷地の一角には「高角機銃」「プロペラ」「錨」で組まれた「記念碑」がある。

この「記念碑」は、財団法人日本遺族会の慰霊友好親善訪問団が訪れた際の記念として、平成17年(2006年)10月に建てられた。

他にも、「記念碑」の先にある「バー」の側にも「航空機のプロペラ」が遺されている。
また、近くの海岸には「日本軍岸壁跡(箱状構造物・石垣・台座)」が遺されている。

「記念碑」「高角機銃」「航空機のプロペラ」の歩き方

「ブルーラグーンリゾート」内にある。

「入口」の遮断機に「高角機銃」が載っている。

「入口」から入り、道に沿って50m程行くと、左手(東側)の芝生に「日本軍防空壕跡」がある。
その先の海岸沿いに「ダイビングショップ」が見えている。「ダイビングショップ」の前や屋根、店内に「日本軍兵器」が置かれている。

「入口」から入り、道に沿って200m程行くと、正面に「ロータリー」があり、その先に「ホテルフロント」「レストラン」がある。「ホテルフロント」の右側(西側)の芝生に「記念碑」がある。