LVT(Landing Vehicle Tracked)

「LVT(Landing Vehicle Tracked)」とは

「LVT(Landing Vehicle Tracked)」は大東亜戦争中期・後期を通じて使用された米海兵隊の水陸両用車両(Amphibious Vehicle)である。
「Landing Vehicle Tracked」は、直訳すれば「装軌式(キャタピラ式)上陸用車両」である。

LVT-4

大東亜戦争中期以降、本車は装軌式(キャタピラを装備)の水陸両用車両としての特徴を生かし、米海兵隊の主力上陸用舟艇(車両)として、主として太平洋上の島嶼に対する上陸作戦に於いて運用された。

本車は、昭和15年(1940年)に民間車両を基に開発が開始され、昭和17年(1942年)、ソロモン諸島ガダルカナル島に於いて後方支援車両として初めて運用が開始された。
その後、昭和18年(1943年)11月、ギルバート諸島タラワ環礁(ベティオ島)攻略作戦に於いて、初めて上陸作戦に投入された。その時の戦訓を基に幾つかの改良・改修を受け、様々な型式が開発された。

昭和19年(1944年)に入ると、6月~7月のマリアナ諸島(サイパン島・グアム島・テニアン島)攻略作戦、9月のパラオ諸島(ペリリュー島・アンガウル島)攻略作戦に於いて、米海兵隊の主力上陸用舟艇(車両)として大規模に運用された。引き続き、昭和20年(1945年)入ると、2月の小笠原諸島硫黄島攻略作戦、4月の沖縄本島攻略作戦に於いても数百両の本車が運用された。
本車は米陸軍にも装備された。一部は英国にも供与(レンドリース)され、欧州戦線に於いても運用された。

LVT(A)-1

大東亜戦争後期、日本軍が守備する太平洋上の島嶼に対し、海兵隊員を乗せた本車が次々と海岸に殺到した。これに対し、迎え撃つ日本軍守備隊と本車は海岸付近で激しい戦いを繰り広げた。日本軍守備隊の砲火の下、本車が海岸に着くと、本車に乗車した海兵隊員は次々と下車し、内陸へ向けて前進した。
更に、海岸から内陸に進撃した本車は、搭載した支援火器(機関銃・戦車砲・榴弾砲・火炎放射器)を駆使して日本軍守備隊と死闘を繰り広げた。
また、海上から内陸の物資輸送も担い、海兵隊員の戦闘を支援した。

本車は、海兵隊員からは、「アムトラック(AMTRACK:水陸両用輸送車)」「アムタンク(AMTANK:水陸両用戦車)」とも呼ばれ、大東亜戦争に於ける米海兵隊の上陸作戦を支えた。

「水陸両用車両」とは

米軍の「DUKW」(左奥)と「Ford GPA」(右前)

水陸両用車両とは、陸上と水上(海上)の両方を走行(航行)可能な車両である。
一般的には軍用車両であり、その場合は主として上陸用・渡河用に運用される事が多い。民間車両としては、観光用・救難用・物資輸送用等に運用される車両も少数ある。

第二次世界大戦中、軍用車両としての水陸両用車両には、装輪式(タイヤを装備)と装軌式(キャタピラを装備)があった。
装輪式(タイヤを装備)の水陸両用車両としては、米陸軍の「Ford GPA」「DUKW」、ドイツ軍の「シュビムワーゲン」が大量に運用された。他に、日本軍の「スキ車(水陸両用自動貨車)」等が少数運用された。これら、装輪式水陸両用車両は小型乗用車やトラック(自動貨車)に浮力を持たせ、水に浮くようにした車両であった。水上(海上)での推進力は車体後部に装備されたスクリューを用るのが一般的であった。

ドイツ軍の「シュビムワーゲン」

これら水陸両用車は、橋の無い場所での渡河や、港湾設備の無い海岸への上陸が容易であった。しかし、装輪式である為に極端な不整地での走行には難があり、元が非装甲車両である為、敵前渡河や敵前上陸には不向きであった。結果、専ら偵察・連絡・輸送等の任務に運用された。

これに対し、装軌式(キャタピラを装備)の水陸両用車両は、不整地での走破性が高く、更に、戦車や装甲車ような車両を水陸両用車両とすれば、装備した武装による火力支援や、装甲によって兵員を保護しながら敵前渡河や敵前上陸が可能になる。陸上に上がった後もキャタピラ(履帯)による悪路の走行が可能である。

しかし、装軌式の車両、特に戦車は本来重量がある為、浮力の確保が難しい。そこで、車体に浮き(フロート)を装着して浮力を得る方法が考案された。この様な発想の元、戦車に浮力を持たせた車両が、日本海軍の「特二式内火挺」、米陸軍の「シャーマンDD」等であった。また、車体そのものを水に浮くように設計する事も考えられた、そのように開発された車両が、米海兵隊の「LVT」であった。

日本海軍の「特二式内火挺」

併しながら、車体の浮力を確保する為には車両は軽量でなくてはならず、装軌式水陸両用車両は、純粋な戦車・装甲車と比較して火力・防御力が劣らざるるを得なかった。日本海軍の「特二式内火挺」は陸上では「九五式軽戦車」(37mm戦車砲・最大装甲10mm)と同程度であり、米海兵隊の「LVT」も、小火器の銃弾や砲弾の破片を防ぐ程度の装甲と、歩兵支援用の火器を装備している程度であった。

因みに、米陸軍の「シャーマンDD」は、純粋な戦車であった「M4中戦車(シャーマン)」に浮きを装着した車両であったが、実際には十分な浮力が得られず、実戦では殆ど海没してしまった。

ドイツ軍の「Ⅲ号潜水戦車」

この様に、装軌式水陸両用車両は浮力確保の為に火力・防御力に制限を受けざるを得なかった。そこで、戦車を浮かさずに水中(海中)を潜水して走行出来る様にする方法が考えられた。
これは、車体の開口部や隙間に防水加工を施して水密構造にし、エンジンの吸気と排気は水面(海面)上にシュノーケルを出して行う方法であった。この場合、車体を浮かせる必要が無い為、重量的な制限は無く、また、既存の戦車を利用できるので、上陸後の火力・防御力も元となる戦車とほぼ同程度であった。

第二次世界大戦中、ドイツ軍は「Ⅲ号戦車」「Ⅳ号戦車」を潜水可能にした「Ⅲ号潜水戦車」「Ⅳ号潜水戦車」を開発した。また、「VI号戦車(ティーゲルⅠ)」の初期型も潜水可能な機構を備えていた。
併しながら、これ等の潜水戦車は少数の生産にとどまり、実戦での運用も限定的であった。

戦後、技術の進歩と共に、戦車や装甲車は潜水可能な機構を備えるようになり、数m程度の潜水が可能な車両であれば、特に水陸両用車両とは呼ばなくなった。ここでは、第二次世界大戦中に開発・運用され、浮力によって水上(海上)に浮かぶ事の出来る車両を水陸両用車両と呼ぶ事にする。

「LVT」の開発

ドナルト・ローブリング(Donald Roebling)

「LVT」の原型となったのは、アメリカのフロリダ州の発明家ドナルト・ローブリング(Donald Roebling)の開発した「アリゲーター水陸両用車(Alligator amphibian tractor)」であった。因みに、ドナルト・ローブリングの祖祖父のジョン・A・ローブリング(John A. Roebling)と祖父のワシントン・A・ローブリング(Washington A. Roebling)は、ニューヨークのブルックリン橋の設計者として著名であった。

大正15年(1926年)、昭和3年(1928年)、昭和7年(1932年)、フロリダ州南部は記録的に大きなハリケーンに襲われ、多くの人が死傷した。
フロリダ州南部には湿地帯が多く、湿地帯では自動車の通行が困難であり、また船による交通も座礁の危険性があり困難であった。
その為、これらの地域に取り残された人々への救援は非常に困難であった。

これに対し、ドナルト・ローブリングは、湿地を通過することが可能な水陸両用車両を構想した。
そして、これによって今後同様の災害が起きても大勢の人命を救うことが可能だと考えた。

昭和8年(1933年)始め、ドナルト・ローブリングは自らが構想した水陸両用車両の設計・製作を開始した。

アリゲーター水陸両用車(試作1号車)

昭和10年(1935年)、その試作1号車を完成させ、「Alligator(アリゲーター)」と命名した。
車体は重量を軽減して浮力を増す為、当時、非常に新しい素材であり、技術的には不安が多かったアルミニウムが使用されていた。水かきの付いたキャタピラ(履帯)を装備しており、陸上でも水上でもこのキャタピラで移動することが可能であった。動力は92馬力を出力するクライスラー社製エンジンであった。

ドナルト・ローブリングは、「アリゲーター水陸両用車」の試作1号車に更に改良を加え、試作2号車を製作した。

アリゲーター水陸両用車(試作2号車)

試作2号車は、ローラーベアリングが組込まれたキャタピラを装備していた。これによってキャタピラを支えていたボギー式転輪が必要なくなり、一般的なトラクターや戦車と同じ構造になった。

昭和12年(1937年)、「アリゲーター水陸両用車」の試作2号車は、米国の社会雑誌である「ライフ(Life)」の10月4日号に取上げられた。この事が、この車両を一躍有名にする事になった。

アリゲーター水陸両用車(試作3号車)

当時、米海兵隊では、新たな戦術、即ち強固に防御された島嶼への敵前上陸を模索していた。「ライフ」に掲載された「アリゲーター水陸両用車」の試作2号車は、米海兵隊の目に留まった。

これは、当時の時代背景とも関連があった。
1930年代(昭和初期)、日本とアメリカの関係は悪化の一途を辿っていた。米海兵隊では、近い将来に起こるかもしれない日本との戦争は太平洋が戦場となり、その場合は島嶼を巡る戦闘になるだろうと想定した。そこで高度に防衛された島嶼に対して如何にして敵前上陸を行うかという戦術が研究されていた。

昭和13年(1938年)3月、米海兵隊はドナルト・ローブリングの「アリゲーター水陸両用車」の試作2号車を調査した結果、米海兵隊が研究していた島嶼への敵前上陸に於いて、有効な兵器となり得ると判断した。

アリゲーター水陸両用車(試作3号車)

その後、予算の問題等もあり、米海兵隊では直ぐに「アリゲーター水陸両用車」を採用する事は出来なかった。
これに対してドナルト・ローブリングは自費で開発を続け、昭和15年(1940年)5月に試作3号車が完成した。

アリゲーター水陸両用車(試作4号車)

その年の9月1日にはヨーロッパで第二次世界大戦が始まり、世界の緊張は一気に増した。その結果、米海兵隊の予算面の制約は緩和され、ドナルト・ローブリングの「アリゲーター水陸両用車」の開発に予算がが認められる事になった。

昭和15年(1940年)10月、の「アリゲーター水陸両用車」の試作3号車に改良を加えた試作4号車が完成した。

完成した「アリゲーター水陸両用車」の試作4号車は車体が鉄製になった。早速、バージニア州クアンティコ海兵隊基地やカリブ海岸に於いて各種試験を受け、その結果を反映した改修を受けた。

結果、この車両は米海兵隊の要求性能に対し概ね満足のいく性能を発揮した為、「LVT-1」として採用が決定した。

「LVT」の特徴

本車は、浮力を持った箱型の車体にキャタピラ(履帯)を装備した装軌式水陸両用車両であった。

スヘルデ川を渡河する「LVT-4」

本車は、キャタピラに板状の水かきが装備されており、陸上・水上(海上)での推進力はキャタピラの回転によって得られていた。その為、水深の浅い場所や、珊瑚礁が海面近くまで連なるような場所に於ける運用に適していた。また、車体が浮力を有していた為、浮き(フロート)等を装着する必要がなかった。

水上(海上)での推進力をスクリューによって得る舟艇の場合、船底が水底(海底)や珊瑚礁に乗り上げ、座礁してしまうとそれ以上前進する事ができなくなる。これに対し、キャタピラを推進力にしている本車は、浅瀬や珊瑚礁でもキャタピラよって障害物を乗り越え、再び水深が深くなるとキャタピラの回転によって前進することが可能であった。
特にこの事に関しては、本車(「LVT-1」)が初めて敵前上陸に参加したギルバート諸島タラワ環礁(ベティオ島)への上陸作戦(昭和18年11月20日~)に於いて、同時に参加した上陸用舟艇(「LVCP(ヒギンズ・ボート)」)と比較して、本車の有効性が示された。

また、水上(海上)での推進力をスクリューによって得る水陸両用車両と違い、本車は陸上と水上(海上)で推進力を切り替える必要がなかった。また、浮き(フロート)等の着脱も必要なかった。
この為、本車は着岸後に迅速に内陸に移動したり、再び水上(海上)に離脱する事が可能であった。

ポー川を渡河する「LVT-4」

水際で迅速に行動できるという事は、上陸作戦に於いて最も被弾率が高くて危険な場所である海岸付近から素早く離脱できる事を意味した。

本車は、敵前上陸後に於いても非常に有効な兵器であった。
特に、太平洋上の島嶼に於いては、十分な港湾設備が整備されていない事が多かった為、海岸に直接上陸することが可能な本車は、沖合いの輸送船から海岸までの物資輸送や、海岸から沖合いの病院船への負傷者の輸送を迅速に行うことができた。

また、装軌式(キャタピラを装備)の水陸両用車両である本車は、不整地や悪路も走行する事ができた。その為、海岸付近に揚陸された補給物資を前線へ輸送する際にも、本車は積極的に運用された。
併しながら、本車による前線への物資輸送は危険を伴うものであった。本車は、一部の型式を除いて装甲は施されておらず、操縦席も一部が外板で覆われているだけであった。その為、本車の乗員は、敵兵からの狙撃や至近に落下する砲弾に絶えず晒された。

沖縄本島に於ける「LVT-4」

昭和19年(1944年)9月15日から開始されたパラオ諸島ペリリュー島への上陸作戦では多数の本車が投入され、上陸後も火力支援や物資輸送の任務に就いた。特に、上陸後数日間は、港湾設備が未整備であった為、前線への物資輸送は本車が担った。
この時、ペリリュー島の日本軍守備隊は至る所で頑強な抵抗を続けており、走行中の本車に対し、狙撃や砲撃よる攻撃を加えた。本車を操縦する乗員は多数が死傷し、いつしか、本車によるペリリュー島での前線への物資補給を、「シルバースター・ラン(銀星章へのひとっ走り)」「パープルハート・ラン(名誉負傷章へのひとっ走り)」と呼ぶようになったという。

以上のように、本車は装軌式(キャタピラを装備)の水陸両用車両としての性質を生かし、水上(海上)では敵前上陸可能な上陸用舟艇(車両)として、陸上では不整地や悪路も走行出来る車両とし運用可能であった。更に、沖合いから内陸まで直接の行き来が可能であり、これは、迅速な物資輸送や負傷者搬送に於いて非常に有効であった。

後に、装甲板と支援火器を搭載した火力支援型の型式が開発された。これらは、アムタンク(AMTANK:水陸両用戦車)とも呼ばれ、戦車と共に内陸での戦闘に投入された。
特に、強力な機甲兵器を持たなかった太平洋上の島嶼日本軍部隊との戦闘に於いては、火力支援型の本車は、実質的に米海兵隊の主力装甲車両として運用された。

「LVT」の生産と改良

FMCで生産された「LVT-1」

「LVT-1」として採用された本車は、200両の生産が決まり、フード・マシーナリー社(Food Machinery Corporation)で生産が開始された。昭和16年(1941年)7月には本車(「LVT-1」)の量産1号車が完成した。

昭和17年(1942年)8月7日、米海軍・米海兵隊によるソロモン諸島ガダルカナル島上陸が開始された。これは、南太平洋方面に於ける米軍の対日反抗の第一段階、「ウオッチタワー作戦」の開始を告げるものであった。本車はここで初めて実戦投入された。

ガダルカナル島への敵前上陸には「LCVP(ヒギンズ・ボート)」が使用され、海岸付近に於ける日本軍の抵抗も殆ど無かった。本車は沖合いの米軍輸送船からガダルカナル島への物資輸送に使用された。昭和18年(1943年)11月1日から開始されたソロモン諸島ブーゲンビル島上陸作戦に於いても、本車は物資輸送などの後方支援が主任務であった。

この時、本車は、港湾設備が十分整備されていない状態でも、沖合いの輸送船からの物資を積んで直接海岸に上陸し、更に、そのまま、それを内陸まで輸送することが可能だった。その結果、装軌式(キャタピラを装備)の水陸両用車両であった本車の有効性が示された。

ウェリントンに集結した「LVT-1」

併しながら、幾つかの問題点も明らかになった。

本車のキャタピラには水上(海上)での推進力を得る為に水かきが装備されていた。キャタピラを支える転輪には懸架装置(サスペンション)が無く、転輪は車体に直接取付けられていた。これは、水上(海上)や柔らかい地面では問題なかったが、硬い地面を走行した場合、キャタピラの水かきが破損する原因になった。また、地面への接地性が低下して十分な速度が得られなかったり、衝撃が直接車体に伝わって、悪路での走破性が低下する等の問題があった。

また、車体に装甲が施されておらず、小銃弾や機関銃弾にすら脆弱であるという事は、本格的な敵前上陸作戦に於いては適していないのではないかという事も指摘されていた。

これらの問題点に対し、転輪に懸架装置を備えた型式(「LVT-2」)や、武装や装甲を装備した型式(「LVT(A)-1」「LVT(A)-2」)の開発もされ、一部は既に生産が開始されていたが、まだ十分な数はそろっていなかった。

タラワ環礁に於ける「LVT-1」(奥)と「LVT-2」(手前)

本車が、初めて銃弾や砲弾の洗礼を受けたのは昭和18年(1943年)11月20日から開始された「ガルバニック作戦」に於いてであった。これは、当時、日本海軍の最前線基地であったギルバート諸島の攻略を目的とした作戦であり、その中で最大の目標がタラワ環礁(ベティオ島)の占領であった。

タラワ環礁(ベティオ島)は、柴崎恵次少将以下、第三特別根拠地隊や佐世保第七特別陸戦隊を主力とする海軍部隊約5000名によって守備されていた。水際(海岸付近)には様々な障害物が設置され、陣地には守備隊の将兵が潜んでいた。

昭和18年(1943年)11月21日04時、第1水陸両用トラクター大隊に所属する本車125両は第1海兵師団の兵士を乗せて、タラワ環礁ベティオ島の海岸目指して前進を開始した。その殆どは転輪に懸架装置の無い「LVT-1」であった。転輪に懸架装置を備えた「LVT-2」も少数が参加していたが、どちらの車両も装甲は施されていなかった。ごく一部の車両が、応急的に装甲板(厚さ10mm程度)を取付けていのみであった。

タラワ環礁に於ける「LVT-1」

果たして、海岸に接近する本車の多くが、日本軍守備隊の銃撃によって行動不能に陥った。装甲を施されていない本車は、小銃弾や機関銃弾が貫通し、操縦手や搭乗している兵士に死傷者が続出した。また、日本軍守備隊が水際に設けた障害物を乗り越えられず、海岸直前でも多数の本車が擱座してしまい、走破性の低さを露呈する事になった。
上陸初日だけで80両以上の本車が行動不能になってしまい、この上陸作戦は、本車の多くの問題点が浮き彫りなった初陣であった。

しかし、ここでも本車の有効性が改めて確認された。
この上陸作戦には上陸用舟艇(「LCVP(ヒギンズ・ボート)」)も参加していたが、その殆どが浅瀬や珊瑚礁で座礁してしまい、登場していた海兵隊員は、海岸までの400m~500mの距離を渡渉(歩いて渡る事)しなければならなかった。その結果、殆どの海兵隊員が日本軍守備隊の銃撃で死傷し、辛うじて海岸にたどり着いた海兵隊員の多くも装備を失っていた。

この事は、今後も予想される、珊瑚礁で囲まれた太平洋上の島嶼への上陸作戦に於いて、本車のような装軌式(キャタピラを装備)の水陸両用車両が必要不可欠であることを意味していた。

LVT-4

これら、タラワ環礁(ベティオ島)上陸作戦で得られた戦訓は、直ちに新たな型式へと盛り込まれた。

転輪に懸架装置(サスペンション)を持たない「LVT-1」は、懸架装置を備えた「LVT-2」に更新されていった。そして、以後はこの「LVT-2」の車体を基本とする各種型式が開発され、本車の主要な型式として運用されていくことになった。

「LVT-2」は装甲を施されていなかった為、これに装甲(厚さ:6mm~12.5mm)を施した「LVT(A)-2」が開発されたが、これは後述する火力支援型の登場によって一部の生産に留まった。

「LVT-2」は車体後部にエンジンを搭載し、搭載空間は操縦席とエンジンにはさまれてバスタブ状になっていた。その為、搭乗した兵士は車体側面を乗越えて下車する必要があり、これは敵前上陸時には被弾率が高くて危険であった。また、重量物の上げ下ろしも困難で、車両の搭載も出来なかった。
そこで、エンジンを車両前方に搭載し、車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した「LVT-3」「LVT-4」が開発された。特に「LVT-4」は最も多数が生産された型式であった。

「LVT-2」「LVT-4」等の兵員輸送型は「アムトラック(AMTRACK:水陸両用輸送車)」とも呼ばれた。

LVT(A)-4

また、敵前上陸時、「アムトラック」に随伴して火力支援を行う型式も開発された。

これは、「LVT-2」の車体に装甲を施し、車体上部に37mm戦車砲を搭載した「LVT(A)-1」と呼ばれる型式であった。後に、より強力な75mm榴弾砲を搭載した「LVT(A)-4」へと発展していった。

火力支援型の「LVT(A)-1」「LVT(A)-4」は「アムタンク(AMTANK:水陸両用戦車)」とも呼ばれた。

上陸作戦の場合、「アムタンク」は上陸第一波として真っ先に海岸に向かい、搭載した支援火器(機関銃・戦車砲・榴弾砲・火炎放射器)によって水際(海岸付近)の敵戦力の制圧を担った。

硫黄島に於ける「LVT(A)-4」

しかし、「アムタンク」は装甲を施されているといっても、車体前面が12.5mm、車体側面と車体後部が6mmであり、小銃弾や機関銃弾、砲弾の破片などを防げる程度であった。その為、野砲や対戦車砲の直撃を受けるとひとたまりも無かった。
特に、昭和19年(1944年)9月15日に開始されたパラオ諸島ペリリュー島上陸作戦に於いては、日本軍守備隊の正確な砲火によって多数の「アムタンク」「アムトラック」が撃破された。

とはいえ、本車は米海兵隊の主力上陸用舟艇(車両)として、大東亜戦争後半、太平洋上の島嶼に対する殆どの上陸作戦に参加し、太平洋に於ける米軍の対日反抗作戦の尖兵として活躍した。
日本軍守備隊は強力な機甲兵器を持っておらず、大規模な対戦車戦闘も殆ど無かった為、本車は米海兵隊の主力装甲車両としても運用され、戦車と共に陸上での戦闘に参加した。

本車は、昭和20年(1945年)、第二次世界大戦が終わるまでに各型式合わせて18621両が生産された。
その多くは、太平洋上の島嶼に於いて日本軍守備隊と死闘を繰り広げた、また、一部はヨーロッパ戦線に於いても使用され、フランスからドイツまで連合軍兵士の架け橋となって活躍した。

朝鮮戦争に於ける「LVT-3」

第二次世界大戦で運用された本車は、殆どが「LVT-2」から発展した型式であった。
戦後は、「LVT-2」とは異なる車体であった「LVT-3」が米海兵隊の主力となった。

また、戦後に米軍から払い下げられ、フランス軍やタイ軍で運用された本車もあった。

昭和25年(1950年)6月25日~昭和28年(1953年)7月27日の朝鮮戦争に於いては、「LVT-3」「LVT-3C」が大量に運用された。これらは、昭和31年(1956年)中には順次退役したが、後継となる「LVTP-5」(Landing Vehicle Tracked Personnel)に順次置き換えられていった。更に、昭和47年(1972年)には「LVTP-5」の後継となる「LVT-7」が開発され、昭和57年(1982年)には「LVT-7」を発展させた「AAV(Assault Amphibious Vehicle)」の開発へと繋がり、現在に至っている。

本車は、装軌式(キャタピラを装備)の水陸両用車両の有効性を示したという点に於いて、その果たした役割は大きいと言えるだろう。

「LVT」の各型式

「LVT」の各型式

本車には以下に示す多数の型式が存在した。

試作車:「Alligator(アリゲーター水陸両用車)」

制式車
 兵員輸送用(AMTRACK):「LVT-1」「LVT-2」「LVT(A)-2」「LVT-4」「LVT-3」「LVT-3C」
 火力支援用(AMTANK):「LVT(A)-1」「LVT(A)-4」「LVT(A)-5」「LVT-4(F)」

計画車:「LVT(A)-3」

「Alligator(アリゲーター)」
「Alligator(アリゲーター水陸両用車)」は、米国フロリダ州の発明家ドナルト・ローブリング(Donald Roebling)が開発した水陸両用車両(Amphibious Vehicle)であった。
「アリゲーター水陸両用車」は、試作1号車から試作4号車まで4種類が開発され、後の「LVT-1」の原型となった。

アリゲーター水陸両用車(試作1号車)

大正15年(1926年)、昭和3年(1928年)、昭和7年(1932年)、フロリダ州南部は記録的に大きなハリケーンに襲われ、多くの人が死傷した。 フロリダ州南部には湿地帯が多く、湿地帯では自動車の通行が困難であり、また船による交通も座礁の危険性があり困難であった。その為、これらの地域に取り残された人々への救援は非常に困難であった。
これに対し、昭和8年(1933年)初め、ドナルト・ローブリングは湿地を通過することが可能な水陸両用車両を構想し、設計・製作を開始した。

昭和10年(1935年)、ドナルト・ローブリングは水陸両用車両の試作1号車を完成させ、「Alligator(アリゲーター)」と命名した。

「アリゲーター水陸両用車」は、浮力を有する箱型の車体にキャタピラ(履帯)を装備していた。
その最大の特徴は、陸上でも水上(海上)でもキャタピラの回転によって推進力を得る点にあった。
その為、キャタピラに水かきが取付けられていた。

キャタピラの水かき

試作1号車のキャタピラの水かきの形状は単純な板状であった。
陸上でも水上でもこのキャタピラで移動することが可能であった。

車体は重量を軽減して浮力を増す為、当時、非常に新しい素材であったアルミニウムが使用されていた。
しかし、アルミニウムはまだ技術的には不安が多かった。
また、動力は92馬力を出力するクライスラー社製エンジンであった。

ドナルト・ローブリングは、「アリゲーター水陸両用車」の試作1号車に更に改良を加え、試作2号車を製作した。

アリゲーター水陸両用車(試作2号車)

試作2号車は、ローラーベアリングが組込まれたキャタピラを装備していた。
これによってキャタピラを支えていたボギー式転輪が必要なくなり、一般的なトラクターや戦車と同じ構造になった。

キャタピラの水かき

試作2号車のキャタピラの水かきの形状は、試作1号車同様の単純な板状であったが、キャタピラの回転方向に対して内側がやや前になるように角度をつけて装着され、外側に水をかき出す仕組みになっていた。

昭和12年(1937年)、この試作2号車は、米国の社会雑誌「ライフ(Life)」10月4日号に掲載された。この記事は、当時、水陸両用作戦を研究していた米海兵隊の興味を引いた。

アリゲーター水陸両用車(試作3号車)

昭和13年(1938年)3月、米海兵隊は「アリゲーター水陸両用車(試作2号車)」を調査し、将来的に有効な兵器となり得ると判断したが、この時点では予算の都合が付かなかった。

ドナルト・ローブリングは約18000ドル(当時)の自費を投じて開発を続行し、昭和15年(1940年)5月、「アリゲーター水陸両用車」の試作3号車が完成した。

試作3号車のキャタピラの水かきは湾曲した板状で、キャタピラの回転方向に対して内側がやや前になるように角度をつけて装着され、外側に水をかき出す仕組みになっていた。

試作3号車では車体がより小型になり、形状的にも洗練されてきた。
車体の材質は試作1号車・試作2号車同様アルミニウムであった。

昭和15年(1939年)9月1日、ドイツがポーランドに侵攻した事で第二次世界大戦が始まった。これに対処する為、米海兵隊では予算面の制約が緩和され、ドナルト・ローブリングに対して約20000ドル(当時)の予算が認められた。これを受けてドナルト・ローブリングは開発を続行した。

アリゲーター水陸両用車(試作4号車)

昭和15年(1940年)10月、「アリゲーター水陸両用車」の試作4号車が完成した。

試作4号車のキャタピラの水かきは、試作3号車と同様であった。
車体は、試作1号車~試作3号車ではアルミニウム製であったが、試作4号車では鉄製になった。
早速、バージニア州クアンティコ海兵隊基地やカリブ海岸に於いて各種試験を受け、その結果を反映した改修を受けた。

結果、「アリゲーター水陸両用車」の試作4号車は、米海兵隊の要求性能に対し概ね満足のいく性能を発揮した為、「LVT-1」として採用された。

「LVT-1」
「LVT-1」は、「LVT」として採用された最初の型式であった。
「アリゲーター(Alligator)」と愛称された。

LVT-1

昭和15年(1940年)10月、「アリゲーター水陸両用車」の試作3号車に改良を加えた車両(試作4号車)が完成した。試作4号車は、バージニア州クアンティコ海兵隊基地やカリブ海岸でのテストが行われ、その結果を反映した改修を受けた。また、車体は「アリゲーター水陸両用車」の試作1~3号車のアルミニウム製から、試作4号車では鉄製に変更された。

結果、この車両は米海兵隊の要求性能に対し概ね満足のいく性能を発揮した為、「LVT-1」として200両の生産が決定した。
早速、フード・マシーナリー社(Food Machinery Corporation)で生産が開始され、昭和16年(1941年)7月には「LVT-1」の量産1号車が完成した。

LVT-1

キャタピラの水かき「LVT-1」は、車体後部にハーキュリーズ社(Hercules)製エンジン(Hercules WXLC3:146馬力)を搭載し、車体前部に装備されたトランスミッションまでは車体下部のドライブシャフトで動力が伝達されていた。
トランスミッションは前進3段・後進1段であった。

陸上・水上(海上)共、水かきの装備されたキャタピラ(履帯)によって推進力が得られていた。

キャタピラの水かき

キャタピラの水かきは湾曲した板状で、キャタピラの回転方向に対して内側がやや前になるように角度をつけて装着され、外側に水をかき出す仕組みになっていた。

LVT-1

キャタピラは車体最前方の起動輪の回転によって駆動され、車体最後方の誘導輪によて張りを調整された。車体側面には張出し(スポンソン)があり、スポンソン上部にはキャタピラを支えるガイド(上部転輪)が、スポンソン下部にはキャタピラを支える転輪が片側あたり11個取付けられていた。この転輪は車体に直接懸架されており、緩衝装置(サスペンション)は装備されていなかった。
転輪が車体に直接懸架されていた事は、柔らかい地面や水上(海上)で走行(航行)には適していたが、固い地盤や悪路での走行には難があった。

陸上では24km/時、水上(海上)では7.4km/時(4ノット)で走行(航行)可能であった。
また、航続距離は、陸上では241km、水上では97kmであった。

車体前部には操縦席があり、操縦席の前方と側面は外板で覆われ、前方には窓が3つあった。
中央の窓は開閉可能であった。

LVT-1

操縦席後方から車体後部までは搭載空間になっており、武装した歩兵20名、又は物資約2トンが搭載可能であった。搭載空間は、操縦席とエンジンに挟まれたバスタブ状になっており、昇降扉(ランプドア)は装備されていなかった。その為、乗車・下車の際、兵員は車体側面を乗り越える必要があり、車体側面の張出し(スポンソン)には、足場として使用する窪みが設けらていた。
また、「LVT-1」の車体の外板には装甲は施されていなかった。

転輪の懸架に緩衝装置が無く、車体に装甲が施されていなかった事は、後に「LVT-1」の問題点となった。

武装は、支援火器として「ブローニングM2重機関銃」(50口径 12.7mm)1挺と「ブローニングM1919A4重機関銃」(30口径 7.62mm)1挺を装備し、それぞれ弾薬6500発を搭載した。
これらの機関銃は車体に装備された銃架に搭載され、この銃架は、車体中央の搭載空間の周囲に設けられたレール上を移動できるようになっていたが、銃架に防弾板等は装備されていなかった。

ガダルカナル島に於ける「LVT-1」

「LVT-1」の初めての実戦参加は、昭和17年(1942年)8月7日から開始されたソロモン諸島ガダルカナル島への上陸作戦であった。この時は、水際(海岸)に於ける日本軍の抵抗は殆どなく、主として物資輸送などの後方支援任務に就いた。ガダルカナル島上陸作戦に投入されたのは、第1水陸両用トラクター大隊・第2水陸両用トラクター大隊の「LVT-1」合計130両であった。

「LVT-1」が敵前上陸に於いてに本格的に投入されたのは、昭和18年(1943年)11月21日から開始されたギルバート諸島タラワ環礁(ベティオ島)への上陸作戦であった。
タラワ環礁に対する敵前上陸は、米海兵隊にとっても、日本軍守備隊による激しい迎撃が行われる海岸への初めての上陸作戦であった。タラワ環礁への上陸作戦には第2海兵師団が参加し、第2水陸両用トラクター大隊の「LVT-1」125両が投入された。

併しながら、「LVT-1」は装甲を施されておらず、ごく一部の車両が増加装甲(厚さ:9mm)を装備していた程度であった。 その為、日本軍守備隊の反撃を受けると、機関銃・小銃に対してすら脆弱であり、多数の「LVT-1」が被弾して行動不能になった。

タラワ環礁に於ける「LVT-1」

また、転輪の緩衝装置(サスペンション)を装備していなかった為、堅い地形での走破性に問題があり、海岸近くの珊瑚礁や、日本軍が水際に設置した障害物を乗り超える事が困難であった。

その結果、多数の「LVT-1」が日本軍守備隊の反撃によって撃破されて擱座したり、浅瀬や砂浜で座礁して行動不能に陥った。また、運用する海兵隊員も「LVT-1」に対して習熟しておらず、操縦や整備に不備が多数見られた為、稼働率は更に低下した。

タラワ環礁への上陸作戦に於いては、参加した「LVT-1」125両の内、実に80両近くが行動不能になった。
併しながら、この戦闘では「LVT」の有用性も示された。

タラワ環礁に於ける「LVT-1」

即ち、ある程度の「LVT-1」は海岸に到着し、乗車していた海兵隊員が上陸に成功したのに対し、スクリューによって推進力を得る上陸用舟艇である「LCVP(ヒギンズ・ボート)」に乗船した海兵隊員の多くは、「LCVP」が浅瀬や珊瑚礁で座礁してしまい、「LCVP」を降りて、海岸までの海中を歩いて海岸に向かう事を余儀なくされた。
その結果、日本軍守備隊の銃火によって多数の海兵隊員が死傷し、辛うじて海岸にたどり着いた海兵隊員も装備を失っており、戦闘力が大きく減少してしまった。

この事から、珊瑚礁に囲まれた島嶼への敵前上陸に於いて、キャタピラを装備した「LVT」が、上陸用舟艇として有効な兵器である事が判明した。以後、この戦闘での戦訓を取り入れた改良・改修が行われ、後継の型式である「LVT-2」「LVT(A)-2」等へと繋がっていった。

「LVT-1」は1225両が生産され、米海兵隊に540両、米陸軍に485両が配備された。
他に200両が英国に貸与(レンドリース)された。

ガダルカナル島に於ける「LVT-1」

「LVT-1」が参加した主要な戦闘は以下の通りであった。

ガダルカナル島上陸作戦(昭和17年8月7日~)
  ・第1水陸両用トラクター大隊:「LVT-1」100両
  ・第2水陸両用トラクター大隊:「LVT-1」30両
ブーゲンビル島上陸作戦(昭和18年11月1日~)
  ・第3水陸両用トラクター大隊:「LVT-1」124両
タラワ環礁(ベティオ島)上陸作戦(昭和18年11月21日~)
  ・第2水陸両用トラクター大隊:「LVT-1」125両
ニューブリテン島(グロスター岬)上陸作戦(昭和18年12月26日~)
  ・第1水陸両用トラクター大隊:「LVT-1」100両

全長:6.55m 全幅:3.00m 全高:2.48m 自重:7847.1kg 全備重量:9888.3kg
エンジン: ハーキュリーズ社(Hercules)製 WXLC3(直列6気筒・6621cc・水冷)
最大出力:146馬力(2400回転/分) 変速機:前進3段・後進1段
最高速度:陸上24.0km/時 水上7.4km/時(4.0ノット)
燃料タンク容量:302.8リットル(ガソリン) 航続距離:陸上241.4km 水上96.6km
武装:ブローニングM2重機関銃1挺(50口径 12.7mm)1挺(弾薬:6000発)
    ブローニングM1919A4重機関銃(30口径 7.62mm)1挺(弾薬:6000発)
乗員:3名 積載:兵員20名 又は 物資2041.2kg
生産台数:1225両(昭和16年:72両・昭和17年:851両・昭和18年:302両)
生産:Food Machinery Corporation(FMC)

「LVT-2」
「LVT-2」は、「LVT-1」を発展させた型式であった。「ウォーターバッファロー(WaterBuffalo)」と愛称された。
第二次世界大戦中に運用された「LVT」の各型式の殆どは、「LVT-2」の車体から開発された。

LVT-2

「LVT-1」は、上陸用舟艇(車両)としては有効な兵器であったが、転輪の緩衝装置(サスペンション)を装備していなかった為、堅い地形や悪路での走破性に問題があった。
そこで、昭和16年(1941年)、転輪に緩衝装置を装備した「LVT-2」が開発された。

「LVT-2」は、車体下部でキャタピラを支える左右それぞれ11個の転輪にサスペンションが装備された。このサスペンションはシートラッティックと呼ばれる形式で、緩衝ゴムのスプリングによってそれぞれの転輪が懸架されていた。転輪に緩衝装置が装備されたことにより、硬い地面や障害物のある悪路での走破性が向上した。

LVT-2

また、エンジンはコンチネンタル社(Continental)製の航空機用空冷星型エンジン(Continental W970-9A)を搭載し、トランスミッションはシンクロメッシュを装備し、前進5段・後進1段であった。
これらは「M3軽戦車(スチュアート)」と同一のエンジン・トランスミッションであった。

キャタピラの水かき

「LVT-2」ではキャタピラの水かきの形状も改良された。
キャタピラは幅35cmのプレート73枚から構成さており、「LVT-1」では板状の水かきが装備されていたが、「LVT-2」ではW型形状の水かきに変更された。

このキャタピラの水かきの形状は以後の各型式にも踏襲された。

LVT-2

「LVT-2」の操縦席は、「LVT-1」の操縦席よりも角ばった形状になり、正面や側面の面積は小さくなった。窓は2つあり、防弾ガラスが装備された。防弾ガラスは前方に倒すことができた。

LVT-2

操縦席後方は搭載空間になっており、車体後部にエンジンが、車体前部にトランスミッションが搭載されている点は「LVT-1」と同様であった。

LVT-2

「LVT-2」搭載空間はバスタブ状になっており、昇降扉(ランプドア)等は装備されていなかった。その為、「LVT-1」と同様に、乗車・下車の際に兵員は車体側面を乗り越える必要があった。

この点に関しては、エンジン搭載位置を変更し、車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した「LVT-3」「LVT-4」が開発される事になった。

武装は、「LVT-1」と同様「ブローニングM2重機関銃」(50口径 12.7mm)1挺と「ブローニングM1919A4重機関銃」(30口径 7.62mm)1挺を装備し、それぞれ弾薬6500発を搭載した。

LVT-2

これらの機関銃は車体に装備された銃架に搭載され、この銃架は、車体中央の搭載空間の周囲に設けられたレール上を移動できるようになっていた。
米海兵隊では、搭載する機関銃を増設したり、銃架に防弾板を追加したりして運用した。

「LVT-2」は昭和18年(1942年)から生産が開始された。
「LVT-2」の初めての実戦投入は、昭和18年(1943年)11月21日から開始されたギルバート諸島タラワ環礁(ベティオ島)への上陸作戦であったが、ごく少数であった。
その後、昭和19年(1944年)6月~7月のマリアナ諸島侵攻作戦、9月のパラオ諸島侵攻作戦では、「LVT(A)-2」「LVT-4」と共に、主力上陸用舟艇(車両)として運用された。

「LVT-2」は2962両が生産され、米海兵隊に1355両、米陸軍に1407両が配備された。
他に200両が英国に貸与(レンドリース)された。

全長:7.95m 全幅:3.25m 全高:2.46m 自重:11113.0kg 全備重量:13721.2kg
エンジン:コンチネンタル社(Continental)製 W970-9A(星型7気筒・10932cc ・空冷)
最大出力:250馬力(2400回転/分) 変速機:シンクロメッシュ 前進5段・後進1段
最高速度:陸上32.2km/時 水上12.1km/時(6.5ノット)
燃料タンク容量:530.0リットル(ガソリン) 航続距離:陸上241.4km 水上160.9km
武装:ブローニングM2重機関銃1挺(50口径 12.7mm)1挺(弾薬:6000発)
    ブローニングM1919A4重機関銃(30口径 7.62mm)1挺(弾薬:6000発)
乗員:3名 積載:兵員24名 又は 物資2694.3kg
生産台数:2962両(昭和18年:1540両・昭和19年:1422両)
生産:Food Machinery Corporation(FMC)

「LVT(A)-2」
「LVT(A)-2」は、「LVT-2」に装甲(厚さ:6mm~12.5mm)を施した型式であった。
「LVT-2」と同様に「ウォーターバッファロー(WaterBuffalo)」と愛称された。

LVT(A)-2

「LVT(A)-2」の車体は「LVT-2」と同一であり、車体前面に12.5mmの装甲板が、車体側面と車体後部に6mmの装甲板が取付けられた。操縦席は左側前方のみに開閉可能な装甲板の窓が取付けられた。

「LVT(A)-2」は、武装・エンジン・トランスミッション等は「LVT-2」と同一であったが、装甲板を装備した事にによって重量が増え、速度・航続距離・積載量は低下した。

昭和19年(1944年)6月~7月のマリアナ諸島(サイパン島・グアム島・テニアン島)攻略作戦に於いては、「LVT-2」と共に、米海兵隊の主力上陸用舟艇(車両)として参加し、機関銃を増設して敵前上陸時の火力支援を行った。
併しながら、火力支援型の「LVT(A)-1」「LVT(A)-4」が開発され、配備されていった為、兵員輸送型である「LVT(A)-2」はあまり生産されなかった。

LVT(A)-2

「LVT(A)-2」は450両が生産され、米海兵隊に200両、米陸軍に250両が配備された。

全長:7.95m 全幅:3.25m 全高:2.46m 自重:12519.1kg 全備重量:14515.0kg
エンジン:コンチネンタル社(Continental)製 W970-9A(星型7気筒・10932cc ・空冷)
最大出力:250馬力(2400回転/分) 変速機:シンクロメッシュ 前進5段・後進1段
最高速度:陸上32.2km/時 水上11.3km/時(6.1ノット)
燃料タンク容量:393.7リットル(ガソリン) 航続距離:陸上241.4km 水上80.5km
武装:ブローニングM2重機関銃1挺(50口径 12.7mm)1挺(弾薬:6000発)
    ブローニングM1919A4重機関銃(30口径 7.62mm)1挺(弾薬:6000発)
乗員:3名 積載:兵員18名 又は 物資2676.2kg
生産台数:450両(昭和18年:200両・昭和19年:250両)
生産:Food Machinery Corporation(FMC)

「LVT-4」
「LVT-4」は、「LVT-2」を改良し、車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した型式であった。
「LVT-2」と同様に「ウォーターバッファロー(WaterBuffalo)」と愛称された。
「LVT」の各型式の中では最も多数(8351両)生産された。

LVT-4

転輪に懸架装置を装備した「LVT-2」の開発によって走破性が向上し、上陸用舟艇(車両)としての有効性はより高まったが、依然として車体に昇降扉(ランプドア)等は装備されていなかった。その為、「LVT-1」と同様に、乗車・下車の際に兵員は車体側面を乗り越える必要があった。 これは敵前上陸に於いては兵員の被弾率が高まり、危険であった。また、重量物の搭載・揚陸も困難であり、車両を搭載することも出来なかった。

この時、ボルグ・ワーナー社(Borg Warner Corporation)では、車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した「LVT-3」の開発が行われていたが、全く新しい車体であった為、生産体制の整備や運用に於ける統一性の確保に不安があった。
そこで、既に開発されていた「LVT-2」の車体を利用して車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した車両が開発され、「LVT-4」として採用された。

LVT-4

「LVT-4」はエンジンとギアボックスを車体前部に搭載した。これによって、操縦席後方から車体後部までが搭載空間となり、車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備する事ができた。
エンジンとギアボックスは「LVT-2」と同一であった。

武装は、「LVT-2」と同様に「ブローニングM2重機関銃1挺」(50口径 12.7mm)1挺と「ブローニングM1919A4重機関銃」(30口径 7.62mm)1挺を装備し、それぞれ弾薬6500発を搭載した。これらは車体前方の銃架に搭載され、銃架には防弾板も装備された。

車体は装甲されていなかったが、着脱式の装甲板が用意され、車体前面が12.5mm、車体側面・後部が6mmであった。この装甲板を装着した場合は、搭載可能量が1360kg減った。
尚、「LVT-4」に装甲を施した「LVT(A)-3」も計画されたが、量産はされなかった。

LVT-4

操縦席前方にはガラス窓が2つあり、上面にはハッチが2つあった。
操縦席にも装甲板が用意され、操縦席前方が12.5mm、操縦席上面・側面が6mmであった。

「LVT-4」の初めて実戦投入は、昭和19年(1944年)6月15日からのマリアナ諸島サイパン島上陸作戦に於いてであった。 それ以降、米海兵隊の主力上陸用舟艇(車両)として大量に運用された。

「LVT-4」は8351両が生産された。これは各型式の中では最大の生産数であった。
米海兵隊に1765両、米陸軍に6083両が配備され、他に503両が英国に貸与(レンドリース)された。

「LVT-4」が参加した主要な戦闘は以下の通りであった。

サイパン島上陸作戦(昭和19年6月15日~)
  ・第2水陸両用戦車大隊:「LVT-4」2両
  ・第708水陸両用戦車大隊(米陸軍):「LVT-4」1両
  ・第2水陸両用トラクター大隊:「LVT-4」33両
  ・第5水陸両用トラクター大隊:「LVT-4」72両
  ・第10水陸両用トラクター大隊:「LVT-4」9両
  ・第534水陸両用トラクター大隊(米陸軍):「LVT-4」64両
  ・第715水陸両用トラクター大隊(米陸軍):「LVT-4」33両
  ・第773水陸両用トラクター大隊(米陸軍):「LVT-4」1両
グアム島上陸作戦(昭和19年7月21日~)
  ・第1水陸両用戦車大隊:「LVT-4」8両
  ・第3水陸両用トラクター大隊:「LVT-4」193両
  ・第4水陸両用トラクター大隊:「LVT-4」180両
テニアン島上陸作戦(昭和19年7月24日~)
  ・第2水陸両用トラクター大隊:「LVT-4」40両
  ・第10水陸両用トラクター大隊:「LVT-4」32両
  ・第534水陸両用トラクター大隊(米陸軍):「LVT-4」23両
  ・第773水陸両用トラクター大隊(米陸軍):「LVT-4」44両

全長:7.95m 全幅:3.25m 全高:2.46m 自重:12428.4kg 全備重量:16510.8kg
エンジン:コンチネンタル社(Continental)製 W970-9A(星型7気筒・10932cc ・空冷)
最大出力:250馬力(2400回転/分) 変速機:シンクロメッシュ 前進5段・後進1段
最高速度:陸上40.2km/時 水上12.1km/時(6.5ノット)
燃料タンク容量:530リットル(ガソリン) 航続距離:陸上241.1km 水上120.7km
武装:ブローニングM2重機関銃1挺(50口径 12.7mm)1挺(弾薬:6000発)
    ブローニングM1919A4重機関銃(30口径 7.62mm)1挺(弾薬:6000発)
乗員:3名 積載:兵員30名 又は 物資2948.4kg
生産台数:8351両(昭和18年:11両・昭和19年:4980両・昭和20年:3360両)
生産:Food Machinery Corporation(FMC)

「LVT-3」
「LVT-3」は、車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した型式であった。
「ブッシュマスター(BushMaster)」と愛称された。
ボルグ・ワーナー社(Borg Warner Corporation)で開発された為、他の型式の「LVT」とは異なる車体であった。

LVT-3

既に開発されていた「LVT-1」「LVT-2」は車体後部にエンジンを搭載し、搭載空間は、操縦席とエンジンに挟まれたバスタブ状になっており、昇降扉(ランプドア)は装備されていなかった。

その為、乗車・下車の際、兵員は車体側面を乗り越える必要があった。
これは敵前上陸に於いては被弾する確率が高く、非常に危険であった。また、物資の搭載・揚陸に於いても、車体上部まで持上げる必要があり、重量物に関しては起重機等を必要とした為、不便であった。更に、車両を乗り入れる事も出来なかった。

AL

昭和17年(1942年)、Borg Warner Corporationでは、独自に「LVT」同様の水陸両用車両を開発した。この車両の開発名は「AL」と呼称された。

「AL」は、車体形状は「LVT-1」に似ていたが、車体上部は外板で覆われ、砲塔を装備していた。
「AL」は量産される事は無かったが、Borg Warner Corporationでは、「AL」を基に、砲塔を撤去して車体上部を無天蓋(オープントップ)にし、更に車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した車両を開発した。

開発された車両は「LVT-3」として採用された。当時、「LVT-2」の車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した車両(後の「LVT-4」)も開発されていたが、「LVT-3」の方が先に開発が完了した。しかし、「LVT-3」は新しい車体の車両であった為、本格的に生産が開始されたのは昭和19年(1944年)からであった。

LVT-3

「LVT-3」の大きな特徴は、「LVT-1」「LVT-2」と異なり、車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備していた事であった。この昇降扉は、下に開く構造になっており、開くことで車内への渡り板の役目も果たした。車体後部に昇降扉が装備された事により、敵前上陸に於いて車両が海岸に到着した際、乗車していた兵員は車体後部から低い姿勢のまま下車する事が可能になり、被弾する確立が減少した。また、開いた昇降扉から物資や車両の搬入も可能になり、運用の効率が向上した。

LVT-3

「LVT-3」はゼネラルモータズ社(General Motors Corporation:GM)製キャデラックV8エンジン(Cadillac Series42)2基を搭載したが、車体後部に昇降扉を装備する為、エンジンを車体後方の左右にそれぞれ1基づつ搭載し、体側面に通されたドライブシャフトによって車体前部のギアボックスに動力を伝えた。また、ギアボックスは油圧作動のオートマッチクトランスミッションであった。
これらは「M5軽戦車(スチュアート)」と同一の組合せにであり、コンチネンタル社(Continental)製エンジン(Continental W970-9A)を搭載した「LVT-2」よりも性能が向上した。

車体前部の操縦席には窓が3つあった。操縦手席は中央にあり、その右には副操縦手席があった。
操縦席から車体後部の昇降扉までは搭載空間になっており、車体側面の左右にはエンジンとドライブシャフトが搭載されていた為、搭載空間内部から車体側面までは厚みがあった。また、昇降扉の周囲には防水為にゴムシールが張られていた。

LVT-3

「LVT-3」はキャタピラも他の型式の「LVT」と異なっていた。
「LVT-3」のキャタピラは幅30cmのプレート103枚から構成されていたが、他の型式の「LVT」は幅35cmのプレート73枚から構成されいた。

「LVT-3」は2964両が生産され、米海兵隊に2962両、米陸軍に2両が配備された。
「LVT-3」の初めての実戦投入は、昭和20年(1945年)4月1日からの沖縄本島上陸作戦であったが、その後、多数の「LVT-3」は、大東亜戦争後の米海兵隊の主力「LVT」として運用された。

大東亜戦争後、昭和24年(1949年)初め、約1200両の「LVT-3」が「LVT-3C」に改装された。
朝鮮戦争(昭和25年6月25日~昭和28年7月27日)に於いて、米海兵隊は主力上陸用舟艇(車両)として「LVT-3」「LVT-3C」多数を運用した。
その後、昭和31年(1956年)中には順次退役し、後継となる「LVTP-5」に置き換えられていった。

「LVT-3」は2964両が生産され、米海兵隊に2962両、米陸軍に2両が配備された。

「LVT-3」が参加した主要な戦闘は以下の通りであった。

沖縄本島上陸作戦(昭和20年4月1日~)
  第1水陸両用トラクター大隊:「LVT-3」108両
  第4水陸両用トラクター大隊:「LVT-3」102両

全長:7.34m 全幅:3.30m 全高:3.02m 自重:12065.6kg 全備重量:17508.7kg
エンジン:GM社(General Motors Corporation)製 Cadillac Series42(V型8気筒・水冷)2基
最大出力:220馬力(3400回転/分) 変速機:油圧作動オートマッチクトランスミッション 前進4段・後進1段
最高速度:陸上25.8km/時 水上11.3km/時(6.1ノット)
燃料タンク容量:492.1リットル(ガソリン) 航続距離:陸上241.4km 水上120.7km
武装:ブローニングM2重機関銃1挺(50口径 12.7mm)1挺(弾薬:6000発)
    ブローニングM1919A4重機関銃(30口径 7.62mm)2挺(弾薬:6000発)
乗員:3名 積載:兵員24名 又は 物資3628.7kg
生産台数:2964両(昭和18年:1両・昭和19年:733両・昭和20年:2230両)
生産:Borg Warner Corporation

「LVT-3C」
「LVT-3」は、「LVT-3」に装甲を施した型式であった。

LVT-3C

沖縄本島上陸作戦(昭和20年4月1日~)に於いて初めて実戦投入されたが、第二次世界大戦に於いてはごく一部が運用されたに留まった。殆どの「LVT-3」は、第二次世界戦後に於ける米海兵隊の主力上陸用舟艇(車両)として運用された。

昭和24年(1949年)初め、約1200両の「LVT-3」が改修を受けた。
この改修は、車体(底面を含む)に装甲を施し、更に車体上部を装甲板で覆った。また、車体前部が延長され浮揚性能が向上した。他にも、車体上部に機関銃を装備した砲塔を搭載し、車体前部にはボールマウントに搭載された機関銃が装備された。

「LVT-3C」は、朝鮮戦争(昭和25年6月25日~昭和28年7月27日)に於いて、米海兵隊の主力上陸用舟艇(車両)として多数運用された。

「LVT(A)-1」
「LVT(A)-1」は、火力支援用に開発された型式であった。
37mm戦車砲と同軸機関銃を装備した砲塔を搭載、更に機関銃2挺を装備していた。
また、初めにて車体に装甲(厚さ:6mm~12.5mm)が施された型式であった。

LVT(A)-1

「LVT(A)-1」は、「LVT-2」の車体から開発され、車体に装甲(厚さ:6mm~12.5mm)を施された。
呼称の(A)はArmoredの略号であり、装甲を施されている事を意味していた。即ち、「LVT(A)-1」は装甲を施された最初の型式という意味であった。
その為、呼称が「LVT-1」と似ているが「LVT-1」とは全く異なる車体であった。

兵員輸送用であった「LVT-2」では車体上部が無天蓋(オープントップ)であったが、ここを装甲板で覆い、その上に「37mmM6戦車砲」を装備した砲塔を搭載した。
この砲塔は「M3軽戦車(スチュアート)」の砲塔と同一であり、「ブローニングM1919A4重機関銃」1挺を「37mmM6戦車砲」と同軸で装備していた。

後に、米海兵隊に於いては、戦車砲を「E7火炎放射器」に換装した車両も運用された。

LVT(A)-1

車体後部の左右に円形の穴があり、それぞれ銃架が装備されていた。銃架には「ブローニングM1919A4重機関銃」1挺がそれぞれ搭載され、防弾板も装備された。機関銃手2名が、左右の円形の穴から上半身を出し、側面・後方に対して射撃を行った。
しかし、この機関銃は、機関銃手の被弾率が高く危険な為、後に取り外された。

操縦席左前方には、装甲された開閉可能な監視用窓があり、また、操縦手が外を観察するための潜望鏡(ペリスコープ)も装備された。操縦席の上面・側面には乗降用のハッチが設けられていた。
乗員は6名、車体前部の操縦席に操縦手2名、砲塔内に砲手2名、車体後部に機関銃手2名であった。
車体の側面や後部にはドアが無く、乗員の乗降は、操縦席上面・側面のハッチや砲塔上部のハッチ、車体後方の機関銃銃手用の穴から行った。

LVT(A)-1

エンジンは「LVT-2」と同様に、コンチネンタル社(Continental)製エンジン(Continental W970-9A:250馬力)が車体後部に搭載された。車内には搭載空間が確保されていたが、装甲や砲塔の搭載による重量の増加によって、搭載可能量は弾薬等454kgであった。
装甲の厚みは、車体前面が12.5mm、車体側面・後部が6mmであり、砲塔前面が43.8mm、砲塔側面が31.3mmであった。

「LVT(A)-1」は、昭和17年(1942年)から部隊装備が開始された。
「LVT(A)-1」の初めて実戦投入は、昭和19年(1944年)1月30日からのクエゼリン環礁ルオット島・ナムル島上陸作戦に於いてであった。
併しながら、「LVT(A)-1」の37mm戦車砲は支援火力として威力が不十分であると判断された。その為、より強力な75mm榴弾砲を搭載した 「LVT(A)-4」への開発へと繋がっていった。

「LVT(A)-1」は510両が生産され、米海兵隊に182両、米陸軍に328両が配備された。

LVT(A)-1

「LVT(A)-1」が参加した主要な戦闘は以下の通りであった。

クエゼリン環礁ルオット島・ナムル島上陸作戦(昭和19年1月30日~)
  ・第1水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-1」100両
  ・第2水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-1」30両
サイパン島上陸作戦(昭和19年6月15日~)
  ・第708水陸両用戦車大隊(米陸軍):「LVT(A)-1」52両
グアム島上陸作戦(昭和19年7月21日~)
  ・第1水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-1」75両
テニアン島上陸作戦(昭和19年7月24日~)
  ・第708水陸両用戦車大隊(米陸軍):「LVT(A)-1」18両
ペリリュー島上陸作戦(昭和19年9月15日~)
  ・第1水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-1」24両

全長:7.95m 全幅:3.25m 全高:3.07m 自重:13380.1kg 全備重量:13607.8kg
エンジン:コンチネンタル社(Continental)製 W970-9A(星型7気筒・10932cc ・空冷)
最大出力:250馬力(2400回転/分) 変速機:シンクロメッシュ 前進5段・後進1段
最高速度:陸上40.2km/時 水上12.1km/時(6.5ノット)
燃料タンク容量:530.0リットル(ガソリン) 航続距離:陸上241.4km 水上120.7km
武装:武装:37mmM6戦車砲 1門(砲弾:123発)又は「E7火炎放射器」
    ブローニングM1919A4重機関銃(30口径7.62mm)3挺(弾薬:6500発)
乗員:6名(操縦手2名・砲手2名・機関銃手2名)
生産台数:510両(昭和17年:3両・昭和18年:288両・昭和19年:219両)
生産:Food Machinery Corporation(FMC)

「LVT(A)-4」
「LVT(A)-4」は、火力支援用に開発された型式であった。
75mm榴弾砲と同軸機関銃を装備した砲塔を搭載、更に機関銃2挺を装備していた。
既に開発されていた火力支援型の「LVT(A)-1」の武装を強化した型式であった。

LVT(A)-4

初めての火力支援型として開発された「LVT(A)-1」は、37mm戦車砲と同軸機関銃を搭載した砲塔(「M3軽戦車」の砲塔と同一)を装備していた。併しながら、37mm戦車砲では支援火力として威力が不足していた為、より強力な武装を搭載することになった。
そこで、「LVT(A)-1」の砲塔を、「M8自走榴弾砲」の砲塔に換装した型式が開発され、「LVT(A)-4」として採用された。

「LVT(A)-4」は、「LVT(A)-1」と同様、「LVT(A)-2」(装甲を施した「LVT-2」)の車体上部を装甲版で覆い、その上に砲塔を搭載していた。砲塔の搭載位置は「LVT(A)-1」よりも後方にあった。

「LVT(A)-1」では車体後部左右に円形の穴があり、それぞれ「ブローニングM1919A4重機関銃」1挺を搭載した銃架が装備されていたが、「LVT(A)-4」では廃止された。

「LVT(A)-1」(上)と「LVT(A)-4」(下)

「LVT(A)-4」の砲塔は「M8自走榴弾砲」の砲塔と同一であった。
「M8自走榴弾砲」の砲塔は「75mmM3榴弾砲」を搭載していた。「M8自走榴弾砲」は火力支援用の自走砲であった為、砲塔は無天蓋(オープントップ)であった。「LVT(A)-4」でもそのまま搭載された。

砲塔には、同軸機関銃は装備していなかったが、砲塔上部の後ろには銃架を装備しており、ここに「ブローニングM2重機関銃1挺(50口径 12.7mm)」1挺、又は、「ブローニングM1919A4重機関銃」1挺を搭載した。
他に、「75mmM3榴弾砲」をカナダ製の「ロンソン火炎放射器」に換装した車両もあった。

「LVT(A)-4」は、初期の車両は「LVT(A)-2」の車体から製作され、後期の車両は「LVT-4」の車体から製作された。その為、生産時期によって車体の細部が異なっていた。

初期の「LVT(A)-4」

初期に生産された車両は、「LVT(A)-2」同様、操縦席の左側のみに開閉式の窓があった。
後期に生産された車両は、「LVT-4」の車体に装甲を施し、操縦席前方と左右側面に開閉式の細長い窓を持っていた。さらに操縦席右側に機関銃のボールマウントを装備していた。このボールマウントには「ブローニングM1919A4重機関銃」1挺が搭載された。

後期の「LVT(A)-4」

装甲は、車体前面が12.5mm、車体側面・後部が6mmであり、砲塔前面が37.5mm、砲塔側面が25.0mmであった。

「LVT(A)-4」の初めて実戦投入は、昭和19年(1944年)6月15日からのマリアナ諸島サイパン島上陸作戦に於いてであった。

LVT(A)-4

以後、米海兵隊の敵前上陸時の火力支援車両として常に先陣を務めた。
海兵隊員は一般的に「アムタンク(AMTANK:水陸両用戦車)」と呼んだ。

「LVT(A)-4」は1890両が生産され、米海兵隊に533両、米陸軍に1307両が配備された。
他に50両が英国に貸与(レンドリース)された。

「LVT(A)-4」が参加した主要な戦闘は以下の通りであった。

サイパン島上陸作戦(昭和19年6月15日~)
  第2水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-4」70両
  第708水陸両用戦車大隊(米陸軍):「LVT(A)-4」16両
テニアン島上陸作戦(昭和19年7月24日~)
  第2水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-4」34両
  第708水陸両用戦車大隊(米陸軍):「LVT(A)-4」14両
ペリリュー島上陸作戦(昭和19年9月15日~)
  第3水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-4」48両
硫黄島上陸作戦(昭和20年2月19日~)
  第2水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-4」68両
沖縄本島上陸作戦(昭和20年4月1日~)
  第1水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-4」70両
  第3水陸両用トラクター大隊:「LVT(A)-4」7両

全長:7.95m 全幅:3.25m 全高:3.11m 自重:17898.8kg 全備重量:18597.3kg
エンジン:コンチネンタル社(Continental)製 W970-9A(星型7気筒・10932cc ・空冷)
最大出力:250馬力(2400回転/分) 変速機:シンクロメッシュ 前進5段・後進1段
最高速度:陸上40.2km/時 水上11.3km/時(6.1ノット)
燃料タンク容量:530.0リットル(ガソリン) 航続距離:陸上241.4km 水上160.9km
武装:武装:75mmM3榴弾砲 1門(砲弾:75発)
    ブローニングM2重機関銃1挺(50口径 12.7mm)1挺(弾薬:420発)
    ブローニングM1919A4重機関銃(30口径7.62mm)1挺(弾薬:6500発)
乗員:6名(操縦手2名・砲手2名・機関銃手2名)
生産台数:1890両(昭和19年:1489両・昭和20年:401両)
生産:Food Machinery Corporation(FMC)

「LVT(A)-5」
「LVT(A)-5」は、火力支援型であった「LVT(A)-4」に改良を加えた型式であった。

LVT(A)-5

火力支援型として開発された「LVT(A)-4」は、「75mmM3榴弾砲」を搭載した砲塔を装備し、車体に装甲も施されていた。
砲塔は手動で旋回操作を行っていたが、これを動力化し、さらに「75mmM3榴弾砲」に慣性安定装置(ジャイロスタビライザー)を搭載した型式が「LVT(A)-5」として開発された。

装甲は、「LVT(A)-4」と同様、車体前面が12.5mm、車体側面・後部が6mmであり、砲塔前面が37.5mm、砲塔側面が25.0mmであった。

「LVT(A)-5」は昭和20年(1945年)から生産が開始され、269両が生産された。
その後、一部の車両では装甲の配置を変更する改修が加えられた。
「LVT(A)-5」は第二次世界大戦には参加せず、朝鮮戦争(昭和25年6月25日~昭和28年7月27日)に於いて運用された。

全長:7.98m 全幅:3.25m 全高:3.11m 自重:20000.0kg 全備重量:13607.8kg
エンジン:コンチネンタル社(Continental)製 W970-9A(星型7気筒・10932cc ・空冷)
最大出力:250馬力(2400回転/分) 変速機:シンクロメッシュ 前進5段・後進1段
最高速度:陸上24.1km/時 水上11.3km/時~12.9km/時(6.1ノット~7.0ノット)
燃料タンク容量:530.0リットル(ガソリン) 航続距離:陸上241.4km 水上160.9km
武装:武装:75mmM3榴弾砲 1門(砲弾:75発)
    ブローニングM2重機関銃1挺(50口径 12.7mm)1挺(弾薬:420発)
    ブローニングM1919A4重機関銃(30口径7.62mm)3挺(弾薬:6500発)
乗員:6名(操縦手2名・砲手2名・機関銃手2名)
生産台数:269両
生産:Food Machinery Corporation(FMC)

「LVT-4(F)」(SeaSerpent)
「LVT-4(F)」は、「LVT-4」に火炎放射器を搭載した型式であった。

LVT-4(F)(SeaSerpent)

第二次世界大戦中、「LVT-4」503両が英国に供与(レンドリース)された。
更に、英国への供与車として「LVT-4」に火炎放射器を搭載した型式が「LVT-4(F)」として開発された。

「LVT-4(F)」には2器の火炎放射器が搭載されていた
それぞれの火炎放射器は自由に動く架台に搭載され、架台は車体前方の左右に装備されていた。

「LVT-4(F)」は英国では「SeaSerpent」と呼称された。

「LVT(A)-3」
「LVT(A)-3」は、「LVT-4」に装甲を施した型式であったが、計画のみに終わり、量産はされなかった。