「ナショナルメモリアル(NATIONAL MEMORIAL)」の展示内容

大東亜戦争におけるバンコク・カンチャナブリーの歴史
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バンコク市街
バンコク市街の戦跡一覧ナショナルメモリアル(NATIONAL MEMORIAL)「ナショナルメモリアル」はタイのために戦った人々を称えるための施設である。タイ国軍教育隊によって管理されている。屋内には第一次世界大戦からベトナム戦争までのタイ...

九五式軽戦車

日本がタイに輸出した「九五式軽戦車」である。この車輌は昭和15年(1940年)から戦後の昭和27年(1952年)までタイ陸軍で使用され、タイ・フランス領インドシナ紛争にも投入された。

タイはイギリスのビッカース戦車など、戦前から欧米の戦車を輸入していたが、タイ・フランス領インドシナ紛争のあたりから欧米と関係が悪化し、日本戦車の輸入のウエイトが高まった。

キューポラ(司令塔)上部に天蓋(ハッチ)が現存している。側面には監視用孔(スリット)が見える。

「九五式軽戦車」はタイに40-50輌輸出された。しかし、熱帯の温度変化の影響で13輌の砲塔の装甲に残留応力割れが発生し、タイからクレームを付けられるトラブルもあったようである。

主砲は「九四式三十七粍戦車砲」を装備していた。非常に狭い本車の砲塔に収めるよう設計されたこの砲の薬室は小さく、砲弾の装薬も少なかったため、貫徹能力は比較的低かった。

砲塔後部と車体前面にそれぞれ車載銃として「九七式車載重機関銃」を装備していた。
銃身はダミーである。

車体右後方にはマフラーも現存している。マフラーを覆う金網の保護カバーは失われている。

エンジン(「三菱A六一二〇VDe(ハ号機)」は4ストローク直列6気筒空冷ディーゼルエンジンで、最大120馬力を出力した。車体後部に右よりに縦置きされた。

履帯(キャタピラ)前面の泥除け部分は屋外展示のため劣化してしまい、作り変えられたそうである。オリジナルのものとは形状が異なる。

本車は火力・防御力が同時期の他国戦車と比較して低かったが、軽量で機動力が高かった。

キャタピラの上部を支える転輪(上部転輪)である。

「昭和護謨株式会社」「250×60」の文字が読み取れる。(護謨=ゴム)
「昭和護謨株式会社」は昭和12年(1937年)に設立された。平成21年(2009年)6月29日、「昭和ホールディングス株式会社」に社名変更し、ゴムライニングやソフトテニスボールなどの製造・販売をしている。当時は、軍用のゴム製品製造もしていたようである。 (会社沿革)

LVT

アメリカ製「LVT(水陸両用トラック)」である。昭和22年(1947年)から昭和32年(1957年)までタイ海軍で使用された。

天井部が開放された箱型であり、中に25名の兵士を収容することができた。前部には操縦室の扉がついており、乗員は3名である。

「LVT」とはLanding Vehicle Tracked(水陸両用トラック)の略であり、上陸作戦時に沖合いの舟艇から兵士を岸まで運ぶためのものである。

LVTLVTキャタピラには水かきが取り付けられており、これによって水上での推進力を得ていた。スクリューはない。

この「LVT」は後期型のものであり、後部に大型ランプドアをもつのが特徴である。

前期型のものは兵士が壁をよじ登って乗降していたが、ランプドアによって素早く乗降できるようになった。また、貨物の積載も効率的に行えるようになった。

その他タイ国軍退役兵器

アメリカ・ノースアメリカン社の「T-28D(トロージャン)」である。

2人乗りのレシプロエンジン式初等練習機である。
タイ空軍で昭和37年(1962年)から昭和59年(1984年)まで使用され、空軍機のジェトエンジン化に伴い退役した。

Type-13という観測用のヘリコプターらしいが、説明板等がなく詳細不明である。

スウェーデン・ボフォース社の「Model80軽野砲」である。口径は75mm、射程は8kmである。

反対側の入り口にもう一門展示されている。

同じくスウェーデン・ボフォース社の「60口径40mm機関砲」である。

こちらも「ボフォース社製70口径40mm機関砲」である。60口径のものよりも一回り大きい。

河川用の警備艇のようである。船尾には砲らしきものが設置されている。

船首に機銃が設置されている。

館内展示

博物館の玄関に入ると、左右に迫撃砲が展示されている。タイ語の説明文しかなく、詳細不明である。

第二次世界大戦当時のタイ軍の制服である。左から、陸軍・海軍・空軍・警察・士官学校の制服である。

コーチャン沖海戦資料

タイ・フランス領インドシナ紛争で発生したコーチャン島沖海戦解説コーナーである。

当時のタイ海軍の主力艦、海防戦艦トンブリの模型が展示されている。海防戦艦とは自国の海岸線を守ることを主目的として小型の船体に大型の砲を搭載した艦種である。トンブリは日本に発注され、神戸の川崎造船所で建造された。

トンブリは基準排水量2265トンと駆逐艦程度の大きさながら、重巡洋艦並みの20cm連装砲2基と7.6cm単装高角砲4基、20mm単装機銃4丁を装備していた。

昭和15年(1940年)1月16日、タイ湾にて両海軍は水上機によって互いを策敵をしていたが、仏印海軍が先にタイ海軍を発見した。翌17日、濃い朝もやの中、仏印海軍は奇襲に成功した。

一方、トンブリの20cm砲は練度不足で中々命中せず、逆に集中砲火を受けて撤退するも途中擱座し、他の艦艇も大損害を受けて敗北した。

参加艦艇の写真展示である。

海戦時のトンブリ艦内が再現されている。負傷兵が出ている。

九二式重機関銃

「九二式重機関銃」が3挺展示されている。本銃の特徴は、堅牢な三脚部分と光学照準器(スコープ)による遠距離での命中精度の高さである。三脚部分がそれぞれ異なった形で展示されている。

こちらの銃は、55.3kgの重量を支えて担ぐための棒が三脚架部分に取り付けられている。1挺の銃につき、下士官1名、兵士10名、馬2頭からなる戦銃分隊によって運用された。

こちらの銃は、三脚架の軸の部分が長い対空用の三脚架である。

こちらの銃は通常の三脚架のみである。

3挺とも光学照準器は失われている。

銃身の中ほどにはバイクの空冷エンジンのようなひだ(放熱板)がついている。放熱板によって重量は増加するが、冷却性能が上り、長時間の連続発射を可能とした。

射撃手は銃の後ろにうつ伏せになり、後部のハの字の銃把を握って射撃した。銃の後方からの射撃手の目線である。前方にある山型のフロントサイト(照星)を目標に合わせ、後方のピープサイトの穴から見えるようにして狙う。

アジア圏の博物館で九二式重機関銃を展示しているところは多いが、ガラスの内側の展示がほとんどである。ここの博物館のように、真後ろからのアングルを含め銃各部を間近に見られるところは少ない。

小銃

小銃であるが、タイ語の説明しかないために詳細不明である。

ボルトハンドル(槓桿)と機関部下の木製台部分の溝の長さが「九九式短小銃」によく似ている。また遊底(スライド)上部に遊底覆い(防塵カバー)が装着されている。これは「三八式歩兵銃」「九九式小銃」等、日本軍小銃の特徴であった。

日本から輸出されてタイ軍で使用されていた小銃であろうか。

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