「泰緬鉄道博物館(THAILAND-BURMA RAILWAY CENTER)」の展示内容

大東亜戦争におけるバンコク・カンチャナブリーの歴史
バンコクバンコク市街・ナショナルメモリアル(NATIONAL MEMORIAL)・タイ王立空軍博物館 (ROYAL THAI AIR FORCE MUSEUM)・戦勝記念塔(VICTORY MONUMENT)カンチャナブリーカンチャナブリー...
カンチャナブリー市街
カンチャナブリー市街の戦跡一覧クウェー川鉄橋映画「戦場にかける橋」(1957年:英)の舞台として有名となった「クウェー川鉄橋」である。大東亜戦争中、ビルマ戦線への補給路としてバンコク郊外のノーン・プラドゥックとビルマ(現ミャンマー)のタンビ...

鉄道建設関連資料

レールを枕木に固定するための「犬釘」である。全長415kmの泰緬鉄道の各地から集められた犬釘が元々使われていた場所とともに一本の枕木に打ち付けられている。

金の犬釘である。鉄道完成の記念に儀礼的に作られたもののようである。

泰緬鉄道の建設には連合国捕虜が動員されたイメージが強いが、実際にはマレー・ビルマ・ジャワの労務者約17万人、連合国軍捕虜約6万7千人、日本人・朝鮮人1万5千人であり、東南アジアから徴用された労務者が多かったことが示されている。

工事は過酷であり、多くの死者が出た。円グラフの多くの割合を占める黄土色はマレー人、紫色はビルマ人労務者の死者の割合を示している。これは徴用された人数の約半数にあたる約8万5千人にのぼる。なお、日本人や朝鮮人さえも計1千人が死亡した。

連合軍捕虜は約5分の1の約1万3千人が死亡した。博物館の二階のカフェからは正面に「連合軍墓地」が見渡せる。

連合軍捕虜によって手作りされたチェス盤と駒である。過酷な捕虜生活の中で、数少ない娯楽であったのであろうか。

誘導爆弾

「クウェー川鉄橋」が最初に爆撃を受けたのは昭和19年(1944年)11月29日である。その後も何度か爆撃が行われたが、有効な損傷を与えることができなかった。 しかし、昭和19年の終わりに米軍に誘導爆弾「AZON」が配備されて命中率が飛躍的に上がった。AZONに関する説明のパネルである。

連合軍は昭和20年(1945年)2月13日に橋げた二つを破壊した。日本軍は橋を修理したが、6月24日に再び橋げた3つが破壊された。

AZON(Azimuth only、方位のみ)とは、爆弾を投下した爆撃機から無線で爆弾の尾部の舵動かして軌道を左右に操作できるようにした誘導爆弾である。鉄道や橋のような直線で長い対象物に有効であった。

AZONの破片である。

米軍爆撃隊のクウェー川鉄橋を含む橋の爆撃記録(対空砲火なしの場合)によると、命中率は7倍程度になったようである。

大東亜戦争遺跡
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