大東亜戦争におけるクアラルンプールの歴史
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クアラルンプール市街
クアラルンプール市街の戦跡一覧独立広場(ムルデカ・スクエア)周辺独立広場(ムルデカ・スクエア)はイギリス植民地時代の行政の中心地であり、社交クラブやクリケット場が作られた。中央の国旗掲揚台は高さ約100mで、国旗掲揚台としては世界一高い。昭...
四一式山砲
中庭を更に進むと、日本軍の「四一式山砲」が展示されている。「四一式山砲」は明治41年(1908年)に制式化され、大東亜戦争全期間を通して主に歩兵連隊の支援砲として広く使用された。
砲身の下に取り付けられている四角い筒は駐退復座機であり、発射の反動を砲身のみが後退して吸収する装置である。発射のたびに砲全体が後退して照準を合わせ直さなくてはならない旧式の砲に比べ、大幅に発射速度が向上している。
口径は75mmで線条を見ることができる。馬6頭で分解運搬、馬2頭で牽引運搬ができたほか、歩兵による分解運搬も可能であった。この写真の山砲はマレー半島上陸作戦に参加し、スンゲイパタニ占領後はその地に防衛用として配備された。終戦後はスンゲイパタニ警察の所蔵品であったが、当博物館に寄贈された。
マレーシア警察で使われた装甲列車である。
英軍大砲
博物館の中庭にまず目に留まるのは英軍大砲の大正6年(1917年)製のTYPE HMW 38である。口径は50 1/2インチ(128.3mm)であり、昭和15年(1940年)に日本軍の攻撃に備えてスンゲイパタニに配備された。こちらもスンゲイパタニ警察の収蔵品であった。
「四一式山砲」の隣に置かれている英軍大砲である。「四一式山砲」より年代が古そうであるが、型式等詳細は不明である。駐退復座機のないタイプであり、発射速度は遅かったと思われる。
大東亜戦争遺跡
「大東亜戦争遺跡」について「大東亜戦争全史」と並び、本サイトのメインコンテンツです。日本国内や東アジア・中部太平洋方面には、大東亜戦争に関する遺跡・遺物が多数遺されています。それらは、かつて戦闘が行われた場所であったり、当時の兵器類であった...
大東亜戦争におけるマレーシアの歴史
マレーシアはマレー半島とカリマンタン島(ボルネオ島)北部からなる国である。国土面積は約33万平方kmであり、日本列島から九州・沖縄を除いた程度の広さである。人口は2347万人であり、人口密度84人/平方kmは周辺の東南アジア諸国と比べると少...
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