ペリリュー島

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西部(旧西地区、旧飛行場):西地区陣地群

西地区陣地群周辺の戦跡一覧三十四会看板、モミ陣地跡ペリリュー市街地からサウスドック方面に伸びる道沿いに三十四会看板がある。昭和19年(1944年)11月24日に日本軍守備隊が本土に玉砕を伝える電報を送って組織的抵抗が終了したあとも、山口永陸...
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西部(旧西地区、旧飛行場):飛行場関連施設

飛行場関連施設周辺の戦跡一覧ペリリュー第二次世界大戦記念博物館(Peleliu World War II Memorial Museum)戦争博物館である。中には「九六式二十五粍高角機銃(96式25mm高角機銃)」や「九二式重機関銃」のほか...
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北部(旧北地区): ペリリュー島市街地

ペリリュー島市街地の戦跡一覧小学校門柱「ペリリュー小学校」入口の「門柱」は日本統治時代の公学校の「門柱」である。公学校は現地人の為の学校であった。「門柱」を通ったところは運動場となっている。「門柱」はところどころ削れている。白いペンキが塗ら...
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北部(旧北地区): 水戸山周辺

水戸山周辺の戦跡一覧ノースドック「ノースドック」はペリリュー島の玄関口である。島民のボートもここにたくさん係留されており、州政府の貨客船(ステートボート)もここに発着する。ペリリュー島の南西にはもう1つドック(「サウスドック」)があるが、こ...
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大東亜戦争におけるペリリュー島の歴史

ペリリュー島はパラオ諸島を構成する島のひとつであり、南北約9km・東西約3kmと南北に細長い形をした島の面積は13k㎡である。パラオ共和国の中心地であるコロール島からは南に約50km、アンガウル島からは北東約10kmである。周囲を珊瑚礁に囲...