独立広場周辺の戦跡一覧
独立記念塔(モナス)
独立広場中央の独立記念塔(モナス)である。モナスとは「モニュメント・ナショナル」の略であり、独立戦争中のインドネシア国民の闘志をイメージして作られた。
塔は大理石製で高さ137m、上部には炎をかたどったレリーフが乗っている。
塔の下は歴史博物館となっており、古代から現代までのインドネシア史の主な出来事が48個のジオラマパネルで紹介されている。また、台座の独立の広間にはスカルノ大統領が読み上げた独立宣言文が納められている。
周辺は広大な公園となっており、市民の憩いの場となっている。
「独立記念塔(モナス)」の歩き方
独立広場へはトランスジャカルタGambir(ガンビル)駅が最寄り駅である。モナスは広場の中央で遠くからでも良く見えるのですぐに分かるだろう。
塔部分の南側の階段を降りたところに入口がある。塔部分へはこの入口から地下道を通って行く。
入場料:7500ルピア
開館時間:08:30-17:00
休館日:毎月最終月曜日
(2010年現在)
日本軍政監部
独立広場東北角にあるプルタミナ本社施設である。プルタミナはインドネシアの石油会社であり、この建物は昭和41年(1966年)にイギリス、オランダ系のロイヤル・ダッチ・シェルがインドネシアから撤退した際にプルタミナが引き継いだ。昭和17年(1942年)から昭和20年(1945年)までは日本軍政監部の事務所として使われていた。右側の建物は戦後に立てられたプルタミナの新社屋である。
正面玄関には「PERTAMINA(プルタミナ)」のプレートが掲げられている。
屋根部分に瓦が見える。日本統治時代の名残であろうか。塔部分も古そうに見えるが、当時のものかどうかは不明である。
日本軍政監部のすぐ南には陸軍司令部がある。道路側に面して戦車が2両展示されている。インドネシア軍で使われていたもののようである。戦車の後ろに写っているのはプルタミナの新社屋である。
「日本軍政監部」の歩き方
現在のプルタミナ本社施設である。ガンビル駅から大通りを北へ。広場の北東角になる。
陸軍司令部はプルタミナ本社施設のすぐ南側にあり、戦車は道路に面して展示されている。
今村軍司令官官邸
インドネシア大統領官邸の「ムルデカ宮殿」である。オランダ統治時代はオランダ総督公邸であり、日本統治時代は今村軍司令官の官邸となった。
今村軍司令官の軍政は人心掌握に努めた寛容なものであった。今村は「八紘一宇というのが、同一家族同胞主義であるのに、何か侵略主義のように思われている」と述べており、他の占領地で行われた強圧的な軍政には批判的だったとされる。
「今村軍司令官官邸」の歩き方
現在のムルデカ宮殿である。広場の北東角、東西の通りを挟んだ北側にある。
廣安梯隊戦没三十勇士之碑(碑文博物館 Museum Taman Prasasti)
独立広場の北西の碑文博物館には様々な石碑が収集されている。なお、博物館といっても全て屋外展示で公園のようになっている。入口にはレプリカらしき大砲が2門置かれている。
2010年現在、正面入口は工事中であったが、博物館自体は開いていた。写真の建物の奥の右手が事務室となっており、ここで入場料を払って入る。
この場所は元々1795年にオランダ植民地政府によって造られたオランダ人の墓地であった。シンガポールを植民地として開発したラッフルズの妻オリーブもここに葬られた。
入口を入ってすぐ左手に「廣安梯隊戦没三十勇士之碑」がある。廣安梯隊はジャワ攻略戦に参加した第二師団歩兵第十六連隊第三大隊第九中隊であった。
隊は昭和16年(1942年)3月1日に西ジャワ・メラクに上陸し、ボゴールに向けて進撃した。ボゴールの西約25kmのリュリアンにおいて、雨季で水量の増えたチンプラン川の前で立ち往生しところに崖上の銃座から蘭印軍の射撃を受け、隊は全滅に近い損害を受けた。
昭和16年(1942年)、ボゴールに慰霊碑が建てられたが、戦後長年に渡って放置されていた。自然石を削って作られた碑の前面には「廣安梯隊戦没三十勇士之碑」と刻まれている。
ボゴールの開発に伴って行き場がなくなったところ、1998年頃に当博物館に寄贈された。当博物館に寄贈された後も3年ほど放置状態であったが、インドネシア在住の日本人が戦友会などに呼びかけて募金を集め、インドネシア語の碑の説明を付けた礎石の上に再建された。
碑の裏側には伊藤今朝長陸軍少佐以下30名の氏名と階級が刻まれている。
「廣安梯隊戦没三十勇士之碑(碑文博物館 Museum Taman Prasasti)」の歩き方
独立広場の北西側である。独立広場の北西角からJalan Abdul Mulsを南へ200mほどのところにあるT字路を右折する。このT字路はJalan Tanah Abangであり、途中右に曲がりつつ道なりに200mほど行ったところの左手が博物館入口である。入口の2門の大砲が目印である。
入場料:2000ルピア
開館時間:09:00-15:00
休館日:月曜日、祝日
(2010年現在)
日本軍司令部
旧日本軍司令部である。戦前、戦後はエクソン・モービルの前身であるスタンバックのオフィスと使われ、現在は鉱業エネルギー省ビルとなっている。今村軍司令官は独立広場北側の官邸から広場沿いに軍司令部まで馬で通ったそうである。
正面玄関の前には像が建てられている。独立戦争の様子を再現したものであろうか。
屋根には瓦が見える。比較的きれいに見えるが、当時の様式を元にレストアしたものであろうか。
終戦後日本軍が占領していた製油所は操業可能な状態で連合国側に引き渡された。その後は外国資本により操業されていたものが多かったようであるが、現在はインドネシア政府による石油産業の国有化が進んでいるようである。
「日本軍司令部」の歩き方
現鉱業エネルギー省ビルである。広場の南西角のロータリーの南西側にある。