ジャカルタ近郊

大東亜戦争におけるジャカルタの歴史
独立広場周辺・独立記念塔(モナス)・日本軍政監部・今村軍司令官官邸・碑文博物館(Museum Taman Prasasti)・日本軍司令部ジャカルタ近郊・日本人納骨堂・国軍博物館(Museum Satriamandala)・カリバタ英雄墓地...

ジャカルタ近郊の戦跡一覧

日本人納骨堂

ジャカルタ南西部のタナアバンに「Petamburan(プタンブラン)」という大きな墓地がある。墓地といっても緑が多く明るい雰囲気であり、付近住民が昼寝をしていたりと、公園のような場所となっている。

この墓地の一角に日本人納骨堂がある。昭和6年(1931年)に当時の日本人会有志がジャカルタに点在していた「からゆきさん(日本人娼婦)」の墓を集めて建立したのが始まりである。

納骨堂の右隣には二つの墓石がある。日付は昭和18年と20年になっており、戦争期間中に亡くなった人のもののようである。

現在は日本人会によって年2回、春と秋に慰霊祭が執り行われているようである。

「日本人納骨堂」の歩き方
ジャカルタ市街南西部のTanah Abang(タナアバン)のPetamburan(プタンブラン)墓地の中にある。プタンブラン墓地は鉄道駅のTanah Abang駅やトランスジャカルタのDukuh Atas駅から2、3kmほど離れているので、タクシーを利用するのがよいだろう。

ただし、タクシー運転手にはプタンブラン墓地といっても分からないようである。Hotel Santika(ホテル・サンチカ)が墓地から近いので、ここまでタクシーで行くのがよい。

ホテル・サンチカの概観である。なお、ホテル・サンチカは複数あるようだが、タナアバンのホテル・サンチカといえば確実だろう。

ホテル・サンチカの正面入口に向かって左手(東へ)に50mほど行った道の反対側に墓地の入口がある。

入口からまっすぐ進んでいくと、写真右のような大きなドーム型の休憩所のような場所が右手に見えてくる。この休憩所のところで右折し、しばらく行ったところに納骨堂はある。

国軍博物館(Museum Satriamandala)

国軍博物館(Museum Satriamandala)には日本軍の武器のほか、欧米の武器も多数収蔵されている。博物館の建物の前には2門の英軍「25ポンド野砲」が展示されている。

この博物館の建物は元々デヴィ夫人の宮殿であった。現在タレントとして活躍しているデヴィ夫人は日本人であり、インドネシア初代大統領スカルノの第三夫人であった。

ジオラマでは独立戦争期のインドネシアの様子が表現されている。

機関銃のコーナーには日本製では「八九式旋回機関銃」「九二式重機関銃」「九七式自動砲」が展示されている。

屋外展示では「九三式中間練習機」「二式高等練習機」を見ることができる。

展示内容詳細
・ジオラマ
・連装機関銃
・重機関銃・自動砲
・単装機関銃
・擲弾筒拳銃小銃
・連合国重火器
・九三式中間練習機・二式高等練習機
・航空機他
・野砲類

「国軍博物館(Museum Satriamandala)」の展示内容
ジオラマ博物館の展示の前半はインドネシア独立期に関するものが中心となっており、ジオラマによる展示が並んでいる。このジオラマは1945年9月18日、ジャワ島のマランで日本軍とインドネシア人民治安軍の間で起きた軍事衝突の様子を再現している。当時...

「国軍博物館(Museum Satriamandala)」の歩き方

トランスジャカルタPolda Metro Jaya駅下車。

駅周辺は大通りと高速道路の交差するジャンクションとなっている。高速道路はJl. Jend. Gatot Subroto通りであるが、この高速道路に沿って南東へ1.5kmほど歩いた右手側に博物館の名前の書かれた建物がある。

入場料:2500ルピア
休館日:月曜日
開館時間:09:00-14:30
(2010年現在)

カリバタ英雄墓地

ジャカルタ市街南側にある国立追悼施設である。

英雄墓地はインドネシア独立戦争中、および戦後に亡くなった将兵を追悼するための施設であり、同様の施設は「スラバヤ」「メダン」「バリ島」などインドネシア国内各地に存在している。

カリバタ英雄墓地には約7000名が埋葬されている。インドネシア独立戦争に参加した戦績のあるものであれば、性別、種族、宗教は問われない。

昭和20年(1945年)8月の大東亜戦争終戦後、多くの日本軍将兵は本土へ引き揚げを開始した。
しかし、日本に引き揚げずに現地に残り、インドネシア人と共に独立戦争を戦った将兵が約2000名いた。

独立戦争に参加した約2000名の将兵のうち、その半数の約1000名が戦死したと言われている。カリバタ英雄墓地には日本軍将兵を埋葬した一角があり、27名の日本人戦没者が眠る。この墓標では「NISHIMURA(西村)」と読み取れる。

出入口近くの壁面に戦没者の氏名が刻まれている。

年ごと別に別れており、最も古いものは1945年から始まっている。独立戦争が終わった後の1949年以降も続いている。独立戦争を生き残った将兵も、没後は英雄墓地に埋葬される権利がある。インドネシアでは独立の英雄としてこの墓地に埋葬されることは最高の栄誉とされている。

「カリバタ英雄墓地」の歩き方

トランスジャカルタはJalan Mampang Prapatan通りを通っている。Duren Tiga駅ないしImigrasi駅で下車し、西へ1.5kmほど路地を抜けるとで大通りに出る。道は複雑に入り組んでいるので分かりにくいが、ともかく西へ西へと進めば大通りに出ることができる。この大通りはJalan Pasar Minggu通りである。

Jalan Pasar Minggu通りからJalan Kalibata通りというT字路が伸びている。ここを500mほど進んだ右手側にカリバタ英雄墓地の正門がある。なお、T字路の真ん中には交番のような建物がある。

正門からは直接入ることはできないようである。正門の右手側に回りこむと、細い道が奥に伸びているのでここを入る。この細い道の右手側に瓦屋根の詰所のような建物がある。ここが受付となっており、ノートに国籍や居住地等を記入する。入場料は無料である。

日本人納骨堂のある一角は詰所のところから墓地に入り、正門から続く中央の広い道を渡った所にある。ポールの「HI」の表示のあるところである。

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