日本軍装備品
「アメリカンメモリアルパーク」敷地内の「ビジターセンター」には、米軍によるサイパン島への侵攻、サイパン島占領後の日本本土空襲に関する各種の展示がある。
「ビジターセンター」では、米軍によるマリアナ諸島攻略の意義や、ここを基地とする日本本土空襲(「広島・長崎への原子爆弾投下」を含む)がアメリカの対日戦勝利に必要だった事を説明することが目的となっている。
アメリカンメモリアルパーク(ビジターセンター)アメリカンメモリアルパーク(ビジターセンター)日本統治時代のサイパン島に関して、当時使用されていた自転車や生活用品が展示されている。
日本軍によるサイパン島防備に関する説明。展示品として置かれているのは日本軍の弾薬箱。
弾薬箱には、「九七曲歩九八榴弾」とあり、当時の部隊名(岡部隊)等の書かれた伝票が貼られている。「九七曲歩」は「九七式曲射歩兵砲」を指す。この弾薬箱が当時の物か模造品かは不明である。
米軍の進攻
米軍によるマリアナ諸島攻略作戦「フォレイジャー作戦」に関する説明。米海軍太平洋艦隊司令官ニミッツ大将ら米海軍幕僚の姿が見える。
日本軍によるマリアナ諸島防備に関する説明。
日本軍のマリアナ諸島防衛体制、「『あ』作戦」に関しての記述がある。
写真左は加藤友三郎大将、写真右は南雲忠一中将。
マリアナ諸島の島々に対する米軍の上陸作戦に関する説明。
サイパン島に於ける日本軍の守備配置、米軍のサイパン島への侵攻の様子が模型で説明されている。
同様に、テニアン島に於ける日本軍の守備配置、米軍のテニアン島への侵攻の様子が模型で説明されている。
米軍によるサイパン島への上陸の様子。
米軍の圧倒的物量に関する説明や、米軍の上陸時の写真が展示されている。
サイパン島内での戦闘の様子。
破壊された日本軍砲座と砲(「四一式山砲」?)の写真や、日本軍を掃討する米軍兵士の写真が展示されている。
銃を構えた米軍兵士の周囲には日本軍兵士や民間人が斃れている。
サイパン島内での戦闘の様子。
サイパン島内で発見された、バイクの残骸やビンの破片などが展示されている。後ろの写真は「ガラパン市街」に突入する米軍兵士、民家が炎上している。
破壊された日本軍飛行場の様子である。
展示されている航空機用エンジンは最近まで「サイパン国際空港」の「空港ターミナル東」に放置されていた。形式・名称等は不明。
米軍によるサイパン島占領の様子。
日本本土空襲
米軍による日本本土空襲の様子。
米軍はマリアナ諸島攻略後、サイパン島・ テニアン島・ グアム島に大規模な飛行場を建設し、日本本土空襲を開始した。昭和20年(1945年)3月10日の「東京大空襲」以降は都市に対する無差別絨毯爆撃を実施し、大勢の一般市民を殺傷した。
サイパン島を含むマリアナ諸島は米軍による日本本土空襲の基地となった。
当時の米軍爆撃機の装備品が展示されている。
米軍の日本本土空襲(無差別絨毯爆撃)が戦争終結を早めたと説明されている。空襲による80万人近い一般市民の犠牲者に関する記述は無い。
戦後のサイパン
展示室の出口付近には戦後のサイパン島の様子や、米軍の攻撃の巻き添えによって亡くなった現地人(チャモロ人とカロリニアン人)への追悼の言葉が展示されている。
サイパン島での戦闘に参加した米軍兵士やマリアナ諸島から日本本土空襲に参加した米軍パイロットの写真が多数展示されている。
サイパン島で戦死した日本軍兵士の詠んだ詩。建物の窓ガラスに展示されている。
青い海、
青い空、
そこには平和の色以外何もない、
地球をつつみこむ青一色、
世界は1つだと教えているのだ。
詠み人知らず
サイパン島で戦死した日本兵の詩