大東亜戦争におけるアメリカ中西部(シカゴ・デイトン・インディアナポリス・ルイスビル)の歴史

アメリカ中西部とは、一般的に、五大湖沿岸からミズーリ川流域までの一帯を指す。アメリカ中西に含まれる州としては、五大湖沿岸のウィスコンシン州・イリノイ州・インディアナ州・オハイオ州・ミシガン州・ミネソタ州や、ミシシッピ川東岸の    州・     州・     州である。場合によっては、その周辺の州も含めることがある。
最大の都市はイリノイ州の州都シカゴである。これに次いで、オハイオ州の州都コロンバスやインディアナ州の州都インディアナポリス等がある。地域の人口は約660万人(2006年)で、アメリカ本土の人口の約 割が集まっている。

  年(1783年)のアメリカ合衆国建国当時、五大湖沿岸は北西部領土と呼ばれ、アメリカ先住民(インディアン)の居住する地域であった。この地域に対して建国間もないアメリカから次々と移民が流入し、インディアンとの間に摩擦が起きるようになった。これは北西インディアン戦争と呼ばれたが、実際には白人によるインディアンへの侵略と虐殺であり、土地を奪われたインディアンは更に西部へと追いやられていった。  年(1795年)には五大湖沿岸はアメリカ領土となり、後のミシガン州・イリノイ州・オハイオ州・インディアナ州・ミネソタ州・ウィスコンシン州になっていく。
  年(1803年)には、ミズーリ川流域の地域(フランス領ルイジアナ)をフランスから買収、ここにアメリカは、現在はアメリカ中西部と呼ばれる地域を獲得した。その後、数多くの入植者がこの新しい土地の開拓を行った。
言うまでも無いが、これら白人による西部への領土拡張に伴い、多くのインディアンが虐殺され、そして土地を奪われ、更に西部の不毛の地へと移住せざるを得なかった。

アメリカ中西部は肥沃で平坦な土地であった為、次第に主要な穀倉地帯となっていった。また、19世紀以降、五大湖やミシシッピ川に運河が建設されていくと、これらの水運を利用して発達していった。特に、ミシガン湖南西岸のシカゴは、交通の要衝として栄えていった。