「F4F」「FM」「Martlet」「WildCat」(ワイルドキャット)とは
「F4F」は大東亜戦争全期間を通じて使用された米海軍・米海兵隊の艦上戦闘機である。愛称はワイルドキャット(WildCat)。昭和11年(1936年)に開発が開始され、昭和14年(1939年)に米海軍に制式採用された。
「FM」は、グラマン社の設計・開発した「F4F」を、ゼネラルモータース(GM)社で量産した機体の名称である。「Martlet」は英国に輸出・供与(レンド・リース)された「F4F」の名称であり、後に「Wildcat」と改称された。
本機は、米海軍の主力艦上戦闘機として、「珊瑚海海戦」「ミッドウェー海戦」等の大東亜戦争初期に於おける主要な海戦にに参加した。また、ソロモン諸島を巡る一連の航空戦ではガダルカナル島に配備された米海兵隊の本機と、日本海軍の「零式艦上戦闘機(零戦)」との間に激しい空中戦が展開された。
その後は、後継機となる「F4U」「F6F」等に主力艦上戦闘機の座を譲っていったが、大東亜戦争中期以降も護衛空母等に搭載され、上陸支援・対潜哨戒等に活躍した。
本機は、「零戦」と比較した場合に低速での格闘性能が劣っていた為、当初は 「零戦」に対して苦戦した。その後、頑丈な機体構造や重武装を生かした一撃離脱戦法や編隊空戦によって 「零戦」に対しても互角の戦いを挑むようになった。
本機はその頑丈さや信頼性の高さから多くの米海軍・米海兵隊搭乗員から信頼され、日本海軍からも 「零戦」の好敵手として一目置かれる存在であった。
本機は大東亜戦争初期・中期に於ける米海軍・米海兵隊の空の戦いを支えた。
「艦上戦闘機」とは
艦上戦闘機とは、航空母艦(空母・母艦)での運用を前提とする戦闘機である。
航空母艦に於いて運用される航空機(艦載機)は、通常の航空機(陸上機)に無い装備が必要とされる。
まず、艦載機は航空母艦の飛行甲板を使用した着陸(着艦)や離陸(発艦)が可能でなければならない。飛行甲板は陸上の滑走路と比較して狭い為、特に着艦の際には短距離で航空機を制動する必要がある。これは、飛行甲板に張られた制動索(ワイヤー)に機体を引っ掛けて強制的に制動させる方法が一般的である。その為、艦載機には制動索を引っ掛ける着艦鉤(着艦フック・アレスティングフック)が装備される。
また、艦載機は航空母艦の格納庫内や飛行甲板上に搭載されて運用される。格納庫内と飛行甲板上の行き来は、飛行甲板上に装備された昇降機(エレベーター)で行われる。航空母艦の格納庫や飛行甲板は、航空機の運用に於いては十分な広さとは言えず、昇降機の大きさにも制限がある。更に、航空母艦には多数の航空機を搭載できる事がその運用上望ましい。この為、艦載機の多くは主翼等に折畳み機構を備える事で機体を小さく折畳み、航空母艦での取り回しの便や搭載機数の増加を図っている。
他にも、艦載機は目標物の少ない洋上での飛行を前提としているので、自機の位置を把握したり航空母艦への帰路を知る為の各種航法装置が必要である。更に、途中で給油を行う事が容易で無い為、余裕のある航続距離を持つ事が望ましい。
以上の様に、艦載機には各種の機構・装置が必要とされる。その結果、初期(大正・昭和初期)の艦載機は、陸上機と比較した場合、機体構造が複雑になったり重量が増加する為に運動性等がやや劣る傾向があった。しかし、航空技術の急速な発展によって、大東亜戦争前後に於いては艦載機と陸上機との性能差は殆どなくなっていた。併しながら、機体構造の複雑さは、価格・製造工数の増加を招き、また、艦載機は航空母艦の数によってその必要機数がある程度限定される。その為、艦載機は陸上機に比べて生産機数が少なくなるのが一般的である。
「F4F」の開発
昭和11年(1936年)、米海軍はグラマン社・ブリュスター社・セヴァスキー社(リパブリック社)に対して、新型艦上戦闘機の開発を指示し、これら3社で競争試作を行う事になった。
グラマン社は単座複葉艦上戦闘機の機体(社内呼称「G-16」)を設計し、昭和11年(1936年)3月2日、「XF4F-1」として設計契約を米海軍と結んだ。この時、ブリュスター社・セヴァスキー社(リパブリック社)もそれぞれ「XF2A-1」「XNF-1」の設計契約を米海軍と結び、開発を開始した。
ここで、「XF2A-1」「XNF-1」は単座単葉艦上戦闘機であった。これは、この時の競争試作に於いて、米海軍は次世代の技術である単葉機を新型艦上戦闘機として採用したいと考えていた。併しながら、新技術である単葉機は開発失敗の可能性もあった為、グラマン社の複葉機は一種の保険として位置づけられていた。
これに対し、グラマン社は、複葉機であった「XF4F-1」を単葉機に改めた機体(社内呼称「G-18」)を再設計して米海軍に提案、試作競争力強化を図った。これが米海軍に認められ、再度の設計契約を米海軍と結んだ。昭和11年(1936年)7月10日、この機体は「XF4F-2」に名称変更され、開発が開始された。
競争試作の結果、各社の試作機を用いた各種試験が実施された。まず、セヴァスキー社(リパブリック社)の「XNF-1」が最大速度不足によって昭和13年(1938年)4月に脱落した。
グラマン社の「XF4F-2」は、複葉機であった「XF4F-1」の上翼を取外して重心位置を合わせる為に主翼を中翼配置とし、着艦時の視界確保の為に背の高い風防(キャノピー)を装備した。発動機は、一段一速過給機(スーパーチャージャー)を装備したプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-66(ツイン・ワスプ)」(離昇1050馬力)を搭載したが、この発動機は「XF4F-1」の機体に対して大きく、結果として「XF4F-2」は胴体が太くて背が高い、非常にずんぐりとした外見となった。
結局、この競争試作に於いて採用されたのはブリュスター社の「XF2A-1」であり、グラマン社の「XF4F-2」は不採用となった。
この時採用された「XF2A-1」は、後に制式採用されて「F2A(バッファロー)」となった。
併しながら、グラマン社の「XF4F-2」にも見込みがあると考えた米海軍は、昭和13年(1938年)10月、グラマン社と開発契約を結び、この機体の開発を継続した。
グラマン社では、「XF4F-2」に、二段二速過給機(スーパーチャージャー)を装備したプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76(ツイン・ワスプ)」発動機(離昇1200馬力)を搭載し、2翅プロペラから3翅プロペラに換装した「XF4F-3」(社内呼称「G-36」)を製作した。
昭和14年(1939年)2月12日、「XF4F-3」は初飛行し、以後各種試験を行った。これら試験では、操縦席の換気不十分によって一酸化炭素がこもりやすい・風防(キャノピー)が強度不足・尾輪が強度不足・燃料タンクの与圧不足(高高度飛行時に燃圧不足)・発動機の冷却不足・整備性不良等の問題点が指摘された。
これらの問題点に対して改善を施した結果、「XF4F-3」は既に制式採用されていた「F2A」よりも高速であったという事もあり、昭和14年(1939年)8月、「XF4F-3」は「F4F-3」として米海軍に制式採用された。
本機は、昭和11年(1936年)に開発が開始され、昭和14年(1939年)に制式採用された。
大東亜戦争に於ける日本海軍の主力艦上戦闘機であった 「零戦」は、昭和12年(1937年)に開発が開始され、昭和15年(1940年)に制式採用された。
本機と 「零戦」はほぼ同時期に開発された艦上戦闘機であり、両者はやがて太平洋上で合間見えることになった。
「F4F」の特徴
本機は、「F2A(バッファロー)」に続く、米海軍の単座単葉艦上戦闘機であった。
本機は、同時期の日本海軍の主力艦上戦闘機であった「零式艦上戦闘機」と比較すると非常に対照的であった。
本機は、多くの機構に単純な手動による作動を採用していた。
本機が開発された、昭和13年(1938年)~昭和15年(1940年)にかけては、多くの機種の主脚に引込み脚が採用され始めた頃で、本機や日本海軍の「零戦」も主脚に引込み脚を採用していた。
多くの機種では、引込み脚は油圧作動であったが、本機は手動を採用した。その後、本機は改良をうけて様々な型式が開発されたが、引込み脚の作動は最後まで手動であった。
本機が引込み脚の作動を手動にしたのは、重量を軽減することが目的であった。また、手動にした事で、不意の機械故障による脚の引出し不能(脚が降りない)という事態を避けることができた。すなわち、収納された主脚のロックを解除すれば、重力によって勝手に脚が引出される為、機体の信頼性の高さにつながった。
本機の主脚の引込みは、搭乗員が操縦席右側下部にあるクランクハンドルを手で回す事で行われ、29回転で完全に収納された。離陸時には、搭乗員が片手で操縦桿を保持しつつ、片手でクランクハンドルを回して主脚を収納する必要があった。その為、本機は離陸の際にふらつく事が多かったという。
多くの単葉機は主翼に主脚を収納する事が多かったが、本機の主脚は胴体に収納された。
当初、本機は複葉機として設計されていた為、複葉機に多く見られる様に主脚は胴体に収納される様に設計されていた。その後、単葉機への設計変更がなされたが、機体に関しては大きな変更は無く、主脚の収納場所は胴体のままであった。
収納された主脚の車輪の横面は、機体の外面と一致するように固定された。その結果、飛行中の本機は、機体の下部に主脚の車輪の横面が見えており、本機の外見的な特徴の一つとなった。
この、胴体への主脚の収納方式はグラマン社の特許であった。
胴体に主脚を収納する機種は、主翼に主脚を収納する機種と比較して左右の主脚の車輪間の距離が狭かった。この為、本機は接地時の安定性に欠ける事があった。
本機は、当初は主翼の折畳み機構を装備してなかったが、後の型式では主翼の折畳み機構が装備された。この主翼の折畳み機構も、当初は油圧作動が検討されたが、量産機に於いては手動が採用された。これも重量の軽減が目的であったが、結果として機体の信頼性が高まった。
主翼の折畳みは、着陸(又は着艦)後に地上整備員が主翼のソケットにクランクを繋ぎ、これを回転させることで行った。主翼の折畳み後は、主翼端と水平尾翼との間に支持棒を繋ぎ、折畳んだ主翼を固定した。
他にも、機関銃の弾薬装填や、操縦系統などには油圧作動は使用ざれず、殆どの機構は手動であった。これは、、本機の運用時の環境を考慮したものであり、結果として機械故障による機構の作動不能を避け、機体の信頼性を高めた。
本機は、外見的にはずんぐりとした印象を受けた。これは、本機が複葉機として設計された後、単葉機に設計変更され、当初考えていたよりも直径の大きな発動機を搭載することになったからである。更に、主翼の位置も複葉機からの設計変更に於いて中翼配置に改められ、より機体の太さが強調された。
また、複葉機からの設計変更に於いて、当初は丸く整形されていた主翼や尾翼の翼端四角く整形された。この四角く整形された翼端は本機の特徴であり、これ以降、グラマン社の設計した機体の特徴ともなった。
「F4F」の生産と改良
制式採用された「F4F-3」は54機が発注され、昭和15年(1940年)12月5日、米海軍の航空母艦「レインジャー」「ワスプ」に配備され、一部は米海兵隊にも配備された。
実際に「F4F-3」を運用してみると幾つかの問題点が指摘され、量産開始後も改修が行われた。
特に、主翼内に収納されていた不時着時用の浮きが飛行中に開いてしまい、墜落事故にまで発展するという事がおきた為、主翼内の浮きは廃止された。また、主翼内に装備された12.7mm機関銃の装弾不良も発生した為、改修が加えられた。
「XF4F-3」(試作機)と初期の生産機は、発動機として「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載していたが、後期の生産機ではより信頼性の高い「R-1830-86」(二段二速過給機・離昇1200馬力)が搭載され、発動機覆い(エンジンカウリング)の形状が多少変更された。
また、操縦席に装備された照準機も、「XF4F-3」(試作機)や初期の生産機は望遠鏡式照準器を装備していたが、後期の生産機では光学式照準器が装備された。
昭和16年(1941年)11月、発動機を「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)から「R-1830-90」(一段二速過給機・離昇1200馬力)に換装した「F4F-3A」が開発された。これは「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)の供給不足に対処した措置であった。
「F4F-3A」では、「F4F-3」よりも高高度飛行性能が若干低下した。
この時、「F4F-3」「F4F-3A」は主翼に折畳み機構を装備していなかった。
その為、航空母艦での運用に於いて、狭い格納庫での取り回しに不便であった。また、航空母艦への搭載機数を増加させる為、機体を小さく折畳んで収容する事が望ましかった。
そこで、昭和16年(1941年)4月、本機の主翼に折畳み機構を装備した「F4F-4」が開発された。
「F4F-4」は、発動機として「R-1830-86」(二段二速過給機・昇1200馬力)を搭載していた。「R-1830-86」(二段二速過給機・昇1200馬力)は「R-1830-76」(二段二速過給機・昇1200馬力)よりも信頼性が高く、「R-1830-76」(二段二速過給機・昇1200馬力)を搭載していた初期の「F4F-3」よりも、最高速度・高高度飛行性能が向上した。
更に、武装は、「F4F-3」では12.7mm機銃4挺であったが、「F4F-4」では12.7mm機銃6挺となった。
既に配備されていた「F4F-3」「F4F-3A」は、順次「F4F-4」と更新され、昭和17年(1942年)8月までには、殆どの米海軍・米海兵隊での更新が完了した。
「F4F-4」は、主翼の折畳み機構を装備し、発動機の出力も向上し、武装も強化されたが、その反面、重量が増大した。
その結果、離陸(発艦)距離が伸び、速力が遅く、飛行甲板の短い護衛空母では運用困難になってしまった。また、12.7mm機銃1挺あたりの装弾数は「F4F-3」の450発から、「F4F-4」では240発に減少し、機銃発射時の反動が大きくなった事で、搭乗員からの評判は必ずしも良くなかった。
また、昭和17年(1942年)春から、これまでグラマン社に於いて生産していた本機や艦上攻撃機「TBF」の生産ラインを廃止し、グラマン社が新たに開発した艦上戦闘機「F6F」の生産に集中する事が決定された。
そこで、本機の量産は、米国の自動車メーカーであるゼネラルモーター(GM)社に移管される事になった。GM社では東海岸の5つの自動車工場を統合してイースタン・エアクラフト社(航空事業部)を設立し、そのニュージャージ州リンデン工場に本機の生産ラインが整備された。
GM社で生産された本機は「FM」と呼称され、最初の量産型であった「FM-1」は、武装以外は「F4F-4」とほぼ同一の機体で、細部の仕様をGM社の生産ライン用に改修したのみであった。
「FM-1」は昭和17年(1942年)4月18日に1800機が発注され、生産が開始された。昭和17年(1942年)8月31日、「FM-1」の量産初号機が初飛行し、昭和18年(1943年)までに839機が生産された。
「F4F-4」「FM-1」は、航空母艦での運用を容易にする為に主翼の折畳み機構を装備したが、その結果として重量が増大し、低速の護衛空母での運用が困難になっていた。さらに、新型の艦上戦闘機であった「F4U」や「F6F」は更に重量があり、護衛空母での運用はますます困難であった。
そこで、低速の護衛空母からの発着艦を容易にする為、より軽量な本機が必要となった。
これに対し、グラマン社に於いて「XF4F-8」が開発され、昭和17年(1942年)11月8日、初飛行した。「XF4F-8」は、機体各部の軽量化を行い、発動機もより軽量で大出力のライト(Wright)社製「R-1820-56(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機装備・離翔1350馬力)を搭載した。
開発された「XF4F-8」は、昭和18年(1943年)からGM社に於いて「FM-2」として量産が開始された。「FM-2」は4127機生産され、本機の各型式の中では最大の生産機数であった。
大東亜戦争中に生産された本機は各型式を含めて約7800機であった。
その内、グラマン社で生産された「F4F」は1978機であり、GM社で生産された「FM-1」「FM-2」は5927機(又は5837機)であった。
本機は、開発当初から新鋭機として欧州各国にも注目された。
特にドイツ・イタリアなどの枢軸国との関係が悪化していたフランスやギリシャは、早速昭和14年(1939年)から昭和14年(1940年)にかけて本機を発注し、それぞれ「F4F-3」(フランス輸出仕様)81機と「F4F-3A」30機が輸出された。
しかし、機体の輸送途中にこれらの国々がドイツ・イタリアに降伏したため、機体は英国に輸出され、それぞれ「Martlet Mk.Ⅰ」「Martlet Mk.Ⅲ(B)」と呼称され、英海軍に於いて運用された。
また、英国は主翼に折畳み機構を装備した「Martlet Mk.Ⅱ」を発注し、英海軍の航空母艦に配備した。英国では、これら輸出された本機(「Martlet」)の運用実績に鑑み、以後も本機の配備を進めた。その後も英国に輸出、又は供与(レンド・リース)された「Martlet」は船団護衛や対潜哨戒などの任務に活躍した。
尚、実戦で初めての戦果を挙げた本機は、昭和15年(1940年)12月25日、英国スカパフローに於いて、ドイツ空軍の「ユンカースJu88A」を撃墜した「Martlet Mk.Ⅰ」であった。
「F4F」の各型式
本機には以下に示す多数の型式が存在した。
計画機・試作機:「XF4F-1」「XF4F-2」「XF4F-3」「XF4F-3A」「XF4F-4」「XF4F-5」「XF4F-6」「XF4F-8」
制式機・現地改修機:「F4F-3」「F4F-3A」「F4F-3P」「F4F-3AP」「F4F-3S」「F4F-4」「F4F-4A」「F4F-4B」「F4F-4P」「F4F-6」「F4F-7」
GM社での生産機:「FM-1」「FM-2」「XFM-1」
輸出機・供与機:「Martlet Mk.Ⅰ」「Martlet Mk.Ⅱ」「Martlet Mk.Ⅲ(A)」「Martlet Mk.Ⅲ(B)」「Martlet Mk.Ⅳ」「Martlet Mk.Ⅴ」「Wildcat Mk.Ⅳ」「Wildcat Mk.Ⅴ」「Wildcat Mk.Ⅵ」
各型式には装備品や外見上の識別点があった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
本機は数種類の発動機を搭載した。
それらはプラット&ホイットニー(P&W)社製の14気筒複列星型発動機(ツイン・ワスプ)とライト(Wright)社製の9気筒単列星型発動機(ライト・サイクロン)のいずれかであった。
いずれも、同一面内に気筒(シリンダー)が放射線状に配置された星型の気筒配置であったが、「ツイン・ワスプ」は2つの面内にそれぞれ7気筒(合計14気筒)が並ぶ複列星型の気筒配置であり、「ライト・サイクロン」は1つの面内に9気筒全てが並ぶ単列星型の気筒配列であった。
その為、複列星型の「ツイン・ワスプ」は単列星型の「ライト・サイクロン」より発動機の長さが長かった。
カウリングの長さは搭載する発動機の長さで決まる為、プラット&ホイットニー(P&W)社製「ツイン・ワスプ」(複列星型)を搭載した機体のカウリングは、ライト(Wright)社製「ライト・サイクロン」(単列星型)を搭載した機体のカウリングよりも長かった。
そこで、ここでは便宜上、プラット&ホイットニー(P&W)社製「ツイン・ワスプ」(複列星型)を搭載した機体のカウリングを「長」、ライト(Wright)社製「ライト・サイクロン」(単列星型)を搭載した機体のカウリングを「短」として区別する。殆どの型式は「長」か「短」の何れかのカウリングを装備していたが、「FM-2」(ライト(Wright)社製「R-1820-56(ライト・サイクロン)」を搭載)のカウリングのみ「長」と「短」の中間の長さであったので「中」として区別する。
カウリングの長さの違いと共に、カウリング後端から主翼前方までの距離にも違いがあった。
「長」カウリングを装備した機体はカウリング後端から主翼前方までの距離が(14.63インチ・約36.6cm)であり、「短」カウリングを装備した機体はカウリング後端から主翼前方までの距離が(22インチ・約55cm)であった。
本機のカウリングにはエアスクープ(空気取入れ口)やエンジンフラップ(空気抜き)が装備されていたが、これらの有無や数によって数種類のカウリングが存在した。
・カウリング上部の横長のエアスクープ(空気取入れ口)は、有り・無しの2種類があった。
・カウリング上側左右のエンジンフラップ(空気抜き)には、有り(フラップ枚数が3枚・1枚)・無しの3種類があった。
・カウリング下側左右のはエンジンフラップ(空気抜き)には、有り(フラップ枚数1枚)・無しの2種類があった。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構は、有り・無しの2種類があった。
・左主翼の翼端側前方に装備されたピトー管には、棒状・鉤状・斜め棒状の3種類があった。
・主翼内装備された12.7mm機関銃には、4挺(左右各2挺・装弾数各450発)・6挺(左右各3挺・装弾数各240発)の2種類があった。
「XF4F-1」
「XF4F-1」は、昭和11年(1936年)の米海軍による新型艦上戦闘機の競争試作に於いて、グラマン社が提案した単座複葉艦上戦闘機の原型であった。社内呼称は「G-16」。
昭和11年(1936年)3月2日、「G-16」は「XF4F-1」として米海軍との設計契約が結ばれた。併しながら、競争相手のブリュスター社・セヴァスキー社(リパブリック社)の設計は単座単葉艦上戦闘機であった為、グラマン社は複葉機であった「XF4F-1」では試作競争力が低いと考え、「XF4F-1」を単葉機に設計変更する事になった。
結果、複葉機であった「XF4F-1」は設計のみで終わり、実際に機体が製作される事は無かった。尚、単葉機に設計変更された機体は後に「XF4F-2」と呼称され、「F4F」の原型となっていった。
「XF4F-2」
「XF4F-2」は、昭和11年(1936年)の米海軍による新型艦上戦闘機の競争試作に於いて、グラマン社が実際に設計・製作した単座単葉艦上戦闘機の試作機であった。
社内呼称は「G-18」。
この競争試作に於いて、グラマン社では当初に米海軍に提案した単座複葉艦上戦闘機「XF4F-1」を単座単葉艦上戦闘機に設計変更し、これを米海軍に再提案した。この提案が米海軍に受け入れられ、昭和11年(1936年)7月10日、この機体は「XF4F-2」と名称変更され、開発が開始された。
「XF4F-2」は、原型の複葉機であった「XF4F-1」の上翼を取り外して重心位置を合わせる為に主翼を中翼配置とした。また、着艦時の視界確保の為に背の高い風防(キャノピー)を装備した。更に、発動機はプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-66」(一段一速過給機・離昇1050馬力)を搭載したが、原型の「XF4F-1」の機体に対しては大きな発動機であった。プロペラはハミルトン社製のピッチ角によって推力を制御する定速プロペラを装備した。
結果として、製作された機体は非常に背の高いずんぐりとした外見であった。この時、製作された「XF4F-2」は1機のみで、製造番号は0383であった。
昭和12年(1937年)9月2日、「XF4F-2」は初飛行した。昭和13年(1938年)4月、「XF4F-2」はフェラデルフィアの米海軍工廠に空輸され、他社の試作機と共に各種試験を受けた。
この試験に於いては空中戦の性能が特に試され、「XF4F-2」は発動機の冷却不良が指摘された。実際に、昭和13年(1938年)4月11日、エンジントラブルによって不時着事故が発生し、この事故により機体は修理を余儀なくされた。
試験に於ける最高速度は、グラマン社の「XF4F-2」が467km/時(290マイル/時)、ブリュスター社の「XF2A-1」が450km/時(280マイル/時)、セヴァスキー社(リパブリック社)の「XNF-1」が402km/時(250マイル/時)であり、グラマン社の「XF4F-2」が最も速かった。併しながら、この時に米海軍の提示していた開発条件は最高速度483km/時(300マイル/ 時)であり、各社の試作機はそれに及ばなかった。
昭和13年(1938年)6月、結局、グラマン社の「XF4F-2」は発動機を始めとする幾つかの問題点によって不採用となった。
この時、米海軍初の単葉艦上戦闘機として採用されたのはブリュスター社の設計・製作した「XF2A-1」であった。「XF2A-1」は、後に「F2A(バッファロー)」として制式採用された。
社内呼称:G-18
全幅:10.36m 全長:8.08m 全高:3.35m 翼面積:21.57m2
自重:1695kg 正規全備重量:2602kg
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-66」(一段一速過給機・離昇1050馬力)
最高速度:467km/時(高度3828m) 実用上昇限度:9053m
航続距離:1046km 燃料タンク容量:416リットル
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 2挺(翼内・携行弾数各450発)
ブローニング 30口径7.62mm機関銃 2挺(機首)
生産機数:1機(製造番号:0383)
初飛行:昭和12年(1937年)9月2日
「XF4F-3」
「XF4F-3」は、「XF4F-2」から発展した「F4F-3」の試作機であった。社内呼称は「G-36」。
「XF4F-2」は競争試作に於いて不採用となったが、試験に於ける最高速度は「XF4F-2」が最も速く、米海軍はこの機体に興味を持った。
昭和13年(1938年)10月、米海軍はグラマン社と開発契約を結び、「XF4F-2」の開発を続行する事が決定した。
これに対してグラマン社では、「XF4F-2」にプラット&ホイットニー社製「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載し、プロペラを2翅から3翅に換装した機体(社内呼称「G-36」)を製作した。
製作された「G-36」は米海軍によって「XF4F-3」と呼称された。
この時製作された「XF4F-3」は、既に完成していた「XF4F-2」の機体(製造番号:0383)を改修して製作され、新規に製作された機体ではなかった。
併しながら、主翼の全幅は10.36mから11.58mに拡大され、翼面積は21.57m2から24.15m2に増加した。主翼のほかに垂直尾翼も新しく製作された。全長は「XF4F-2」と同じであったが、実質的には「XF4F-2」と異なる全く新しい機体となっていた。
プロペラ先端には大型のスピナー(覆い)が装着され、空気抵抗の低減を図ったが、これは後に廃止された。また、「XF4F-3」の主翼端は四角く整形されていた。以来、四角く整形された主翼端はグラマン社の航空機の特徴となった。
昭和14年(1939年)2月12日、「XF4F-3」は初飛行し、高度6492m(21300フィート)に於いて最高速度536.6km/時(333.5マイル/時)を記録した。
以後各種試験を行ったが、幾つかの問題点が指摘された。特に、操縦席の換気不十分によって一酸化炭素がこもりやすい・風防(キャノピー)が強度不足・尾輪が強度不足・燃料タンクの与圧不足(高高度飛行時に燃圧不足)等の問題点があり、これらの問題点に対する改修が行われた。
また、「XF4F-3」に搭載された発動機であった「R-1830-76」は、二段二速過給機(スーパーチャージャー)装備によって離昇1200馬力を出力したが、構造が複雑で重量が重く、整備性に難があった。また、シリンダーヘッドの冷却が不十分である事も判明した。
これらに対しては、発動機覆い(エンジンカウリング)の形状を見直す事でこれに対処した。
以上のように、様々な改修を実施した「XF4F-3」は、既に制式採用されていた「F2A」(バッファロー)よりも高速(最高速度536.6km/時)であったという事もあり、昭和14年(1939年)8月、「F4F-3」として米海軍に制式採用された。
早速、米海軍は54機の「F4F-3」をグラマン社に発注し、初期の生産機は、昭和15年(1940年)から米海軍に配備された。
社内呼称:G-36
全幅:11.58m 全長:8.78m 全高:3.58m 翼面積:24.15m2
自重:2417kg 正規全備重量:3698kg
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)
最高速度:536.6km/時(高度6431m) 実用上昇限度:11430m
航続距離:1360km 燃料タンク容量:556リットル 増加タンク:220リットル×2個
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 2挺(翼内・携行弾数各450発)
ブローニング 30口径7.62mm機関銃 2挺(機首)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:1機(製造番号:0383 「XF4F-2」からの改修)
初飛行:昭和14年(1939年)2月12日
「F4F-3」
「F4F-3」は、「F4F」の初めての量産型であった。
試作機であった「XF4F-3」は、昭和14年(1939年)8月、「F4F-3」として米海軍に制式採用され、初の量産型として54機が発注された。昭和15年(1940年)12月、最初の生産機22機が米海軍に納品され、米海軍の第4戦闘飛行隊(VF-4・航空母艦「レインジャー」所属)と第7戦闘飛行隊(VF-7・米空母「ワスプ」所属)に配備された。昭和16年(1941年)12月8日の大東亜戦争開戦時於いて、約250機の「F4F-3」が米海軍・米海兵隊によって運用されていた。
併しながら、実際に「F4F-3」を運用してみると依然として問題点が残っていた。その為、量産開始後も様々な改修が実施された。
特に、初期の生産機には量主翼内に浮きが収納されていた。これは、機体が海上に不時着したときに膨らませ、機体が急に海没する事のない様にしたものであったが、飛行中にこの浮きが不意に膨らんでしまう事例が多発し、墜落事故にまで発展した。その為、この主翼内の浮きはほどなく廃止された。
初期の生産機では照準器に望遠鏡式照準器が装備されていた。これは操縦席の風防(キャノピー)前方に取付けられた筒状の照準器で、搭乗員はこれを覗いて照準をおこなった。後に、光学式照準器が開発され、後期の生産機では照準器に光学式照準器が装備された。
また、初期の生産機は、発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載したが、後期の生産機では、より信頼性の高いプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86」(二段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した。
それに伴って発動機覆い(エンジンカウリング)の形状も変更された。
初期の生産機では、カウリング上部に横長のエアスクープ(空気取入れ口)があり、カウリングの左右上部に各1枚のエンジンフラップ(空気抜き)があった。
中期の生産機では、カウリング上部のエアスクープ(空気取入れ口)は廃止され、カウリングの左右上部にエンジンフラップ(空気抜き)は各3枚1組に変更され、カウリング下部にもエンジンフラップ(空気抜き)1枚 が追加された。
後期の生産機では、カウリング上部のエアスクープ(空気取入れ口)が再び追加された。このカウリングは「F4F-4」にも引き継がれた。
また、「F4F-3」は主翼の折畳み機構を装備していなかった為、航空母艦の格納庫内や飛行甲板上での運用には難点があった。昭和16年(1941年)4月以降、主翼の折りたたみ機構を装備した「F4F-4」が開発され、量産されると、既に米海軍の航空母艦に配備されていた「F4F-3」は順次「F4F-4」に更新されていった。
「F4F-3」は米海兵隊にも配備され、主として陸上の航空基地で運用された。陸上の航空基地での運用に於いては、主翼の折畳み機構を装備していない事は特に問題なかった。また、高い信頼性と相まって、大東亜戦争緒戦に於いては大きな戦果を挙げることもあった。
特に、ウェーク島での米海兵隊の「F4F-3」の奮戦はめざましかった。
昭和16年(1941年)12月4日、緊張する日米関係を鑑み、ウェーク島に第211海兵戦闘飛行隊(VMF-211)所属の「F4F-3」12機が配備された。大東亜戦争直後の12月8日~9日、日本軍機の空襲によって「F4F-3」8機が失われたが、9日には来襲した日本軍機1機(「一式陸上攻撃機」)を撃墜した。
12月10日夜から日本軍はウェーク島への上陸を企図し、11日朝、日本軍は支援艦艇による艦砲射撃を開始した。
12月11日04時頃、日本軍艦艇の砲撃の合間を縫って「F4F-3」4機が離陸、この4機は45kg爆弾を搭載していた。「F4F-3」4機は艦砲射撃を続ける日本軍艦艇に対して銃爆撃を敢行した。日本軍艦艇は、「F4F-3」からの攻撃とウェーク島の米軍砲台からの砲撃によって混乱に陥り、一時退避を開始した。
「F4F-3」は退避中の日本海軍の駆逐艦「如月」に対して銃撃を行い、12月11日05時37分、「F4F-3」の攻撃によって駆逐艦「如月」に搭載された魚雷(又は爆雷)が誘爆、05時42分、駆逐艦「如月」は船体が折れて轟沈した。「F4F-3」は、更に特設巡洋艦「金剛丸」にも銃撃を行い損傷を与えた。
以上のような損害を鑑み、日本軍はウェーク島への上陸を延期し、再起を期すことになり、昭和16年(1941年)12月23日10時40分、ウェーク島は日本軍に占領された。
併しながら、寡兵をもって多勢に挑み、一時的にせよ敵の侵攻を食い止めたウェーク島の「F4F-3」の活躍は特筆に価するであろう。
また、昭和17年(1942年)8月から開始されたソロモン諸島ガダルカナル島を巡る一連の航空戦に於いては、ガダルカナル島の「ヘンダーソン飛行場」に配備された米海兵航空隊(通称「カクタス航空隊」)の「F4F-3」が、ニュージョージア島のラバウルに配備された日本海軍航空隊の「零式艦上戦闘機(零戦)」と、連日にわたって激しい空中戦を展開した。
本機は、低速時に於ける運動性能は「零戦」に劣っていた為、低空・低速時に「零戦」と格闘戦をした場合は不利であった。併しながら、「零戦」よりも遥かに機体が頑丈であったため、これを利用した高空からの一撃離脱戦法や、後に研究された編隊空戦(サッチ・ウイーブ等)を用いるようになると、「零戦」と互角の戦いをするようになった。ソロモン諸島周辺の航空戦に於いては、「F4F-3」による米軍搭乗員のエース(撃墜王)が多数出ている事が、この時期の本機の健闘を物語っている。
「F4F-3」には幾つかの派生型が存在した。
偵察機型の「F4F-3P」は「F4F-3」11機(製造番号:1849・1853・1856・1865・1867・1870・1871・1872・1875・1880・1894)の機体を改修して製作され、水上機型の「F4F-3S」は「F4F-3」1機(製造番号:4083)の機体を改修して製作された。
また、「F4F-3」の3号機(製造番号:1846)・4号機(製造番号:1847)は「XF4F-5」に改修され、54号機(製造番号:1897)は「XF4F-4」に改修された。
他にも、「F4F-3」の5号機(製造番号:1848)・8号機(製造番号:1851)は防弾鋼板と強化主脚を装備していた。
「F4F-3」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「長」。
初期の生産機
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り、上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
中期の生産機
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)無し、上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各3枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り。
後期の生産機
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り、上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各3枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構は装備せず。
・左主翼の翼端側前方に「棒状」のピトー管を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各450発。
社内呼称:G-36
全幅:11.58m 全長:8.78m 全高:3.58m
自重:2417kg 正規全備重量:3698kg
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)
プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86」(二段二速過給機・離昇1200馬力)
最高速度:531km/時(高度6431m) 実用上昇限度:11430m
航続距離:1360km 燃料タンク容量:556リットル 増加タンク:220リットル×2個
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 4挺(翼内・携行弾数各450発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:288機(製造番号:1844~1897・2512~2538・3856~3874・3970~4057・12230~12329)
「XF4F-3A」2機・「F4F-3P」11機・「F4F-3S」1機・「XF4F-5」2機・「XF4F-4」1機含む
初飛行:昭和14年(1939年)2月24日
「F4F-3A」
「F4F-3A」は、「F4F-3」の機体に発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体であった。
当初は「F4F-6」と呼称されていたが、後に「F4F-3A」と改められた。
「F4F」の初の量産型となった「F4F-3」の発動機はプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76(ツイン・ワスプ)」(二段二速過給機・離昇1200馬力)が搭載されており、昭和14年(1939年)8月から量産が開始された。
この頃、米海軍では「R-1830-76」の供給不足を懸念し、別な発動機に換装した試作機をグラマン社に対して発注した。
これに対してグラマン社では、発動機としてライト(Wright)社製「R-1820-40(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体を2機製作した。
この機体は「F4F-3」の3号機(製造番号:1846)と・4号機(製造番号:1847))を改修して製作され、「XF4F-5」と呼称された。
また、米海軍もグラマン社に対して、プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体を発注し、「XF4F-6」として1機(機体番号:7031)が製作され、昭和15年(1940年)11月11日に初飛行した。
昭和15年(1940年)末から米海軍に於いて、「R-1820-40(ライト・サイクロン)」を搭載した「XF4F-5」と、「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」を搭載した「XF4F-6」の各種試験が実施された。試験に於いて、「XF4F-5」は最高速度492km/時、「XF4F-6」は最高速度513km/時(高度4907m)を出した。
これらは、二段二速過給機装備の「R-1830-76(ツイン・ワスプ)」を搭載した「F4F-3」の最高速531km/時(高度6431m)を下回っており、高高度に於ける性能も低下した。
この結果に対して米海軍は、代替の発動機として一段二速過給機装備の「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」は問題ないと判断し、一段二速過給機装備の「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」を搭載した(「XF4F-6」と同じ)機体95機を発注した。
また、「XF4F-5」の発動機を「R-1820-40(ライト・サイクロン)」から「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」に換装し、呼称を「XF4F-3A」に改めた。
昭和16年(1941年)11月、米海軍は、「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」を搭載した機体を「F4F-6」として正式採用し、その後、呼称を「F4F-3A」に改めた。「F4F-3A」は発動機以外は「F4F-3」とほぼ同一の機体であった。
昭和15年(1940年)11月、ギリシャは米海軍が制式採用した新鋭機「F4F」30機を発注した。
ギリシャに輸出されることになったのは、最初に生産された「F4F-3A」30機(この時点では制式採用前なので「XF4F-3A」)であった。
しかし、昭和16年(1941年)4月にギリシャがイタリアに降伏、輸送途中の機体は英領ジブラルタルにあり、そのまま英国に供与され「Martlet Mk.Ⅲ(B)」と呼称された。
「Martlet Mk.Ⅲ(B)」は、「F4F-3」同様に主翼に折畳み機構を装備していなかった為、主に陸上の航空基地で運用された。
「F4F-3A」は米海軍・米海兵隊にも配備され、昭和16年(1941年)12月8日の大東亜戦争開戦時点では、米海軍の航空母艦「エンタープライズ」所属の第6戦闘飛行隊(VF-6)は全て「F4F-3A」で編成されていた。 昭和16年(1941年)後半から昭和17年(1942年)前半にかけて、主翼に折畳み機構を装備した「F4F-4」の配備が進むと「F4F-3」「F4F-3A」は順次「F4F-4」に更新され、昭和17年(1942年)8月までには更新された。
類似の型式として、「F4F-4」に発動機としてプラット&ホイットニ社製ー(P&W)「R-1830-90」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した「F4F-4A」があった。
「F4F-3A」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「長」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構は装備せず。
・左主翼の翼端側前方に「棒状」のピトー管(「F4F-3」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各450発。
社内呼称:G-36
全幅:11.58m 全長:8.78m 全高:3.61m
自重:2366kg 正規全備重量:3641kg
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90」(一段二速過給機・離昇1200馬力)
最高速度:502km/時(高度4877m) 実用上昇限度:10455m
航続距離:1328km 燃料タンク容量:556リットル
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 4挺(翼内・携行弾数各450発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:30+65機(製造番号:3875~3969)
最初の30機(製造番号:3875~3904)はギリシャに輸出され、後に英国に供与されて「Martlet Mk.Ⅲ(B)」と呼称
「F4F-3P」「F4F-3AP」
「F4F-3P」「F4F-3AP」は、「F4F-3」機の偵察機型であった。
「F4F-3P」は、「F4F-3」を改修して製作された。
改修された「F4F-3」は11機(製造番号:1849・1853・1856・1865・1867・1870・1871・1872・1875・1880・1894)であった。
改修は、グラマン社に於いてではなく、現地改修であり、機体後部に垂直方向に向けたカメラを装備していた。
他にも、「F4F-3A」を偵察機型に改修した「F4F-3AP」も1機製作されたと言われているが、詳細は不明である。
これら偵察機型の「F4F-3P」は南太平洋や北アフリカの戦線で運用された。
「F4F-3S」
「F4F-3S」は、本機の水上機型であった。「F4F-3S」は非公式の呼称であり、WildCatFishとも呼ばれた。
日本海軍の「二式水上戦闘機」(「零戦」にフロートを装着)に影響されて開発されたと言われている。
「F4F-3」1機(製造番号:4083)を改修して製作された。
両主翼の下に大型の浮舟(フロート)2基を装備した。フロートはエド・エアクラフト・コーポレーションに於いて製作された。
また、ヨー(水平面の旋回)特性を安定させる為、水平尾翼の両端には小型の垂直尾翼が追加され、機体尾部の下側にも垂直翼が追加された。
また、主脚と車輪を収納する部分は塞がれ、尾輪は取外された。
「F4F-3S」は、昭和18年(1943年)2月28日に初飛行したが、フロート装着の影響によって、最高速度は388km/時と大幅に低下した。
戦闘機にフロートを装着した水上戦闘機は、基地施設の無い前線においても運用が容易である為、特に航空基地設営能力の低かった日本海軍では重宝され、「二式水上戦闘機」「水上戦闘機『強風』」などが開発された。併しながら、前線での航空基地設営能力に問題の無かった米軍にとって、水上戦闘機は必ずしも必要ではなかった。
当初、米海軍は「F4F-3S」100機の発注をしていたが、完成した機体が余りに性能劣悪であった為、発注は取り消された。結局、「F4F-3S」は「F4F-3」(製造番号:4083)を改修した1機が製作されたのみで、量産はされなかった。
「XF4F-5」(「XF4F-3A」)
「XF4F-5」は、発動機としてライト(Wright)社製「R-1820-40(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した試験機であった。
「XF4F-3A」は、「XF4F-5」の発動機をプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76(ツイン・ワスプ)」(二段二速過給機・離昇1200馬力)に換装した際に、「XF4F-5」から変更された呼称であった。「XF4F-3A」は実質的に「F4F-3A」の試作機であった。
「F4F」の初の量産型となった「F4F-3」の発動機はプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76(ツイン・ワスプ)」(二段二速過給機・離昇1200馬力)が搭載されており、昭和14年(1939年)8月から量産が開始された。この頃、米海軍では「R-1830-76」の供給不足を懸念し、別な発動機に換装した試作機をグラマン社に対して発注した。
これに対してグラマン社では、昭和15年(1940年)秋、発動機としてライト(Wright)社製「R-1820-40(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体を2機製作した。
この機体は、「F4F-3」の3号機(製造番号:1846)・4号機(製造番号:1847)を改修して製作され、「XF4F-5」と呼称された。
昭和15年(1940年)末から米海軍に於いて各種試験が実施され、「XF4F-5」は、最高速度492km/時・実用上昇限度10820mを記録した。
この試験に於いては、発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した試験機(「XF4F-6」)が最高速度513km/時(高度4907m)を出し、代替の発動機としては、「R-1820-40(ライト・サイクロン)」ではなく「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」が選ばれた。
昭和16年に「XF4F-5」2機は、発動機を「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」に換装し、呼称を「XF4F-3A」に改めた。「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」を搭載した機体は既に95機が発注されており、昭和16年(1941年)11月には「F4F-3A」として制式採用された為、実質的には「XF4F-3A」が「F4F-3A」の試作機であった。
昭和15年(1940年)11月、ギリシャに輸出されることになった「F4F」30機は、発動機として「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」を搭載していたが、この時、「F4F-3A」はまだ制式採用されていなかった為、実質的には「XF4F-3A」とほぼ同一の機体であった。
「XF4F-6」
「XF4F-6」は、発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した試験機であり、「F4F-6」の試作機であった。「F4F-6」は、後に呼称が「F4F-3A」に改められた。
「F4F」の初の量産型となった「F4F-3」の発動機はプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76(ツイン・ワスプ)」(二段二速過給機・離昇1200馬力)が搭載されており、昭和14年(1939年)8月から量産が開始された。この頃、米海軍では「R-1830-76」の供給不足を懸念し、別な発動機に換装した試作機をグラマン社に対して発注した。
グラマン社では、発動機としてライト(Wright)社製「R-1820-40(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体を2機製作した。この機体は「XF4F-5」と呼称された。
米海軍は、グラマン社の「XF4F-5」に対する保険として、プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体を発注した。この機体は「XF4F-6」と呼称され、1機(製造番号:7031)が製作された。「XF4F-6」は昭和15年(1940年)11月11日に初飛行した。
「XF4F-6」は、「XF4F-5」と共に昭和15年(1940年)末から各種試験を行った。「XF4F-6」は最高速度513km/時(高度4907m)を出したが、これは「F4F-3」の最高速度531km/時(高度6431m)をやや下回っていた。発動機を、「F4F-3」の「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)から、「R-1830-90」(一段二速過給機・離昇1200馬力)に換装したことで、最高速度や高高度に於ける性能が若干低下したのであった。
この結果に対して米海軍は、代替の発動機として、一段二速過給機装備の「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」は問題ないと判断し、一段二速過給機装備の「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」を搭載した(「XF4F-6」と同じ)機体95機を発注した。この機体は「F4F-3」の機体とほぼ同じであり、初期の「F4F-3」で発生した問題点は改修済みであった。
更に、昭和16年(1941年)11月、「F4F-6」として正式採用し、その後、呼称を「F4F-3A」に改めた。
「XF4F-4」
「XF4F-4」は、主翼の折畳み機構を装備した「F4F-4」の試作機であった。
「F4F-3」の機体を改修して1機製作された
既に量産されていた「F4F-3」は、主翼の折畳み機構を装備しておらず、航空母艦の飛行甲板上や格納庫内での取り回しに難があり、また、機体の格納に広い場所を必要とする為、航空母艦への搭載機数が少なくなってしまうという問題があった。
昭和15年(1940年)8月以降、「Martlet Mk.Ⅰ」(輸出仕様の「F4F」)が英国で運用されていたが、「Martlet Mk.Ⅰ」も主翼の折畳み機構を装備しておらず、英国も主翼の折畳み機構を装備した機体を要望していた。
昭和15年(1940年)3月、米海軍はグラマン社に対して、主翼の折畳み機構を装備した機体の製作を指示した。これに対して、グラマン社では既に量産中であった「F4F-3」の1機(製造番号:1897)を改修し、主翼の折畳み機構を装備した機体を製作した。
この機体は「XF4F-4」と呼称され、昭和16年(1941年)4月14日に初飛行し、5月から10月1日まで米海軍によって各種試験を受けた。
「XF4F-4」は、主翼を折畳む事で、全幅が11.58mから4.37mに縮小された。その結果、航空母艦の飛行甲板や格納庫内での取り回しが容易になった。また、従来の「F4F-3」2機分の場所に5機を格納する事が可能になり、航空母艦への搭載数が増加した。
この時、「XF4F-4」の装備していた主翼の折畳み機構は油圧駆動であった。しかし、これは重量の増大を招いた為、後に制式採用された「F4F-4」では手動であった。
他にも、英国で既に実戦に参加していた「Martlet Mk.Ⅰ」の運用実績や戦訓から、、燃料タンクの漏洩防止、防弾性能の強化など防御面の強化に関しても検討が行われた。
燃料タンクの漏洩防止に関しては、機体内の燃料タンクにゴムを張ることでこれを実現した。被弾によって燃料タンクに穴が空いても漏れ出したガソリンによってゴムが溶け、穴が自動的に塞がる仕組みであった。
操縦席の風防(キャノピー)は防弾ガラスになり、操縦席前面の潤滑油(オイル)タンクと操縦席後方に防弾鋼板が装備された。
また、特に英海軍からの要望によって、武装を「F4F-3」等の12.7mm機関銃4挺から12.7mm機関銃6挺に増加する事も検討された。
これらの改修は、後に量産された「F4F-4」に於いて実施された。
尚、搭載していた発動機は「F4F-3」の後期の生産機と同様に、プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86」(二段二速過給機・離昇1200馬力)であった。
この時、英国はグラマン社が開発した主翼の折畳み機構を装備した機体100機を発注した。最初の10機は主翼の折畳み機構が間に合わなかったが、残り90機は主翼の折畳み機構を装備し、武装も機関銃6挺を装備していた。この90機は昭和16年(1941年)8月から12月にかけて英国へ輸出され、「Martlet Mk.Ⅱ」として運用された。
「F4F-4」
「F4F-4」は、初めて主翼の折畳み機構を装備した「F4F」の量産型であった。
「F4F-3」は、主翼の折畳み機構を装備しておらず、航空母艦の格納庫内や飛行甲板上での運用には難点があった。また、昭和15年(1940年)8月から「Martlet Mk.Ⅰ」(輸出仕様の「F4F」)を実戦配備していた英国からの戦訓や要望によって、武装や防御面の強化が検討されていた。
グラマン社では、「F4F-3」1機(製造番号:1897)を改修し、主翼の折畳み機構を装備した「XF4F-4」を製作した。
「XF4F-4」は、昭和16年(1941年)4月14日に初飛行し、5月から10月1日まで米海軍によって各種試験を受けた後、「F4F-4」として米海軍に制式採用された。
「F4F-4」は主翼の折畳み機構を装備した他にも、武装が12.7mm機関銃6挺(「F4F-3」は4挺挺)に強化され、燃料タンクの漏洩防止、防弾ガラスの採用、防弾鋼板の装備など防御面の強化も行われた。
主翼の折畳み機構は、試作機であった「XF4F-4」では油圧作動であったが、「F4F-4」では手動であった。これは、油圧機器の搭載による重量増加を避ける為であった。
主翼の折畳みは、外部から整備員が主翼のソケットにクランクを繋ぎ、これを回転させることで行った。主翼の折畳み後は、主翼端と水平尾翼との間に支持棒を繋ぎ、折畳んだ主翼を固定した。
「F4F-4」は、昭和16年(1941年)末から米海軍の航空母艦に配備が開始され、既に配備されていた「F4F-3」「F4F-3A」は順次「F4F-4」に更新された。昭和17年(1942年)8月までには、全て「F4F-4」更新された。
主に陸上の航空基地で運用していた米海兵隊では、「F4F-4」の登場以降も「F4F-3」が運用されていた。昭和17年(1942年)8月以降、ソロモン諸島ガダルカナル島に於いて日本軍と対峙していた米海兵航空隊(通称「カクタス航空隊」)の装備機は主に「F4F-3」であった。
「F4F-4」は、主翼の折畳み機構を手動にするなどして重量の軽減を図ったが、武装や防弾性能の強化によって「F4F-3」よりも重量が増加した、その為、離陸(発艦)距離が伸びてしまい、低速で飛行甲板の狭い護衛空母での運用が困難になった。
また、特に英海軍からの要望によって、武装は12.7mm機関銃6挺に強化されたものの、機関銃1挺あたりの装弾数は240発となり、「F4F-3」(機関銃4挺装備)などの450発から減少してしまい。総搭載弾数も合計360発減少した。
更に、機関銃射撃時の振動も増え、米軍搭乗員からは不評であった。
また、「F4F-4」の英国供与(レンド・リース)仕様として、「F4F-4」の機体に発動機としてライト(Wright)社製「R-1820-40B (ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した「F4F-4B」が製作された。「F4F-4B」は220機が製作されて英国に供与されたが、米国に於いては「F4F-4B」は運用されていない。
英国に供与された「F4F-4B」は「Martlet Mk.Ⅳ」と呼称された。
「F4F-4」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「長」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各3枚、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構を装備。
・左主翼の翼端側前方下部に「鉤状」のピトー管を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃6挺(左右各主翼内に3挺)を装備。装弾数は各240発。
社内呼称:G-36B
全幅:11.58m 全長:8.76m 全高:2.81m 翼面積:24.15m2
自重:2471kg 正規全備重量:3617kg
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86」(二段二速過給機・離昇1200馬力)
最高速度:515km/時(高度5730m) 実用上昇限度:10638m
航続距離:1239km 燃料タンク容量:545リットル 増加タンク:220リットル×2個
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 6挺(翼内・携行弾数各240発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:1169機(製造番号:4058~4098・5030~5262・01991~02152・03385~03544・11655~12227)
(「F4F」の各型式へ)
「F4F-4A」
「F4F-4A」は「F4F-4」の機体に発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体であった。
「F4F-4A」は、計画のみで実際には製作されていないと考えられている。
英国の仕様要求に基づいて製作され、輸出された「Martlet Mk.Ⅱ」が「F4F-4A」とほぼ同一の機体であった。
類似の型式として、「F4F-3」に発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した「F4F-3A」があった。
「F4F-4B」
「F4F-4B」は「F4F-4」の機体に発動機としてライト(Wright)社製「R-1820-40B (ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体であった。
「F4F-4B」は、「F4F-4」の英国供与(レンド・リース)仕様の機体であり、英国に於いては「Martlet Mk.Ⅳ」と呼称されて運用された。
生産された220機は全て英国に供与され、米国に於いて「F4F-4B」としては運用されていない。
「F4F-4P」
「F4F-4P」は、「F4F-4」の偵察機型であった。
ごく少数が「F4F-4」の現地改修によって製作されたと言われているが、詳細は不明である。
改修内容は、「F4F-3P」(「F4F-3」の偵察機型)同様に、カメラを装備したと考えられる。
「F4F-6」
「F4F-6」は、「F4F-3A」の当初の呼称であった。
グラマン社では、発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体(「XF4F-6」を製作し、昭和15年(1940年)11月11日に初飛行した。この機体は、制式採用されて「F4F-6」と呼称されたが、「F4F-3A」に改称された。
すなわち、「F4F-6」と「F4F-3A」は同一の機体であった。
「F4F-7」
「F4F-7」は、「F4F」の偵察機型であり、特に武装や装甲を取外して徹底的な軽量化が施され、航続距離と飛行時間の延長を図った機体であった。社内呼称は「G-52」。
昭和16年(1941年)初め、グラマン社では長大な航続距離をもつ「F4F」の長距離偵察機型の開発を開始した。開発は「F4F-4」に改修を施す事で行われた。
「F4F-4」の主翼の折畳み機構を廃止し、主翼内を油密にし、主翼を燃料タンク(インテグラルタンク)とする事で燃料搭載量が約2100リットル(555ガロン)増加し、機体全体では約2560リットル(700ガロン)の燃料を搭載する事が出来た。また、武装や装甲(防弾鋼板)は取外され、軽量化が図られた。
その結果、「F4F-7」の航続距離は「F4F-4」の1239km(770マイル)に対して、実に5955km(3700マイル)に達した。
航続距離の増大によって滞空時間が増加した為、自動操縦装置(オートパイロット)が搭載された。また、操縦席後方にはカメラが装備された。
「F4F-7」は昭和16年(1941年)12月30日に初飛行し、100機以上が発注された。併しながら、実際に偵察機型の「F4F-7」として生産されたのは21機(製造番号:5263~5283)であった。それ以外は通常の「F4F-4」として生産されたと言われている。
「F4F-7」は、ソロモン諸島周辺に於いて運用されたと言われているが、詳細は不明である。
「XF4F-8」
「XF4F-8」は、発動機としてライト(Wright)社製「XR-1820-56(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機装備・離翔1350馬力)を搭載し、機体重量の軽減を図った試作機であった。
「XF4F-8」は2機(製造番号:12228・12229)製作され、量産型の「FM-2」がゼネラルモータース(GM)社で生産された。
主翼の折畳み機構を装備し、武装や防御面が強化された「F4F-4」は、昭和16年(1941年)末から米海軍の航空母艦に配備が開始された。
併しながら、「F4F-4」は重量が増加した為に離陸(発艦)距離が伸びてしまい、低速で飛行甲板の狭い護衛空母での運用が困難になってしまった。更に、新鋭機として開発されていた「F4U」「F6F」は更に重量があり、これらは正規空母以外では益々運用困難な機体であった。
護衛空母は、船団護衛や上陸支援などには欠かせない存在であった為、護衛空母でも運用できるより軽量な「F4F」が必要となった。
この要求に対して、グラマン社では発動機としてライト(Wright)社製「XR-1820-56(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機装備・離翔1350馬力)を搭載した機体を製作した。
この機体は「XF4F-8」と呼称され、昭和17年(1942年)11月8日に初飛行した。
ライト(Wright)社製「XR-1820-56(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機装備・離翔1350馬力)は、「F4F-4」の搭載していたプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86(ツイン・ワスプ)」(二段二速過給機・離昇1200馬力)よりも離翔出力が増加し、低空での飛行性能が向上した。「XR-1820-56(ライト・サイクロン)」は、過給機(スーパーチャージャー)が一段であった為、高高度での飛行性能は低下したが、発動機重量は「R-1830-86(ツイン・ワスプ)」から約105kg(230ポンド)減少した。
離翔出力(地上での出力)の増加によって「XF4F-8」の1号機(製造番号:12228)では横向きのトルクが強くなり、機体の操作性に影響を与えた。そこで、「XF4F-8」の2号機(製造番号:12229)では横向きの安定性を増す為に垂直尾翼の高さが22cm高くなった。
「XF4F-8」では、発動機に併せて発動機覆い(エンジンカウリング)も新設計された。排気はそれまでのカウリング下部からカウリング後方に変更され、それに伴って機体とカウリングの間に排気用の窪みが設けられた。主翼のフラップも大幅に見直され、飛行特性の改善と重量軽減が図られた。その結果、「XF4F-8」では着艦時の癖が改善し、低空に於ける飛行性能は向上した。
「XF4F-8」はグラマン社による設計であったが、量産機は「FM-2」としてゼネラルモータース(GM)社に於いて生産されることになった。
「FM-1」
「FM-1」は、ゼネラルモータス(GM)社で生産された「F4F-4」とほぼ同一の機体の呼称であった。
昭和17年(1942年)初頭、グラマン社では「F4F-4」の他に、艦上攻撃機「TBF」の生産も行われていたが、この頃、「F4F」に次ぐ新鋭機であった「F6F」が開発され、グラマン社ではこの「F6F」の生産のみに集中することになった。
そこで、「F4F」の生産はゼネラルモータース(GM)社に移管される事が決定した。
ゼネラルモータース(GM)社は、米国東海岸にあった5つの自動車工場を統合してイースタン・エアクラフト社(航空事業部)を設立した。その1つであったニュージャージ州リンデンの自動車工場に「F4F」の生産ラインが整備された。
ゼネラルモータース(GM)社で生産されることになった「F4F」は「FM」と呼称され、その最初の量産機は「FM-1」と呼称された。
「FM-1」は、主翼の折畳み機構を装備し、発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86」(二段二速過給機・離昇1200馬力) を搭載していた。細部はGM社の生産現場に合わせた改修がなされていた。この機体は、ほぼ「F4F-4」と同一の機体であった。
武装は、「F4F-4」では12.7mm機関銃6挺(装弾数各240発)であったが、「FM-1」では「F4F-3」「F4F-3A」等と同じ機関銃4挺(装弾数各450発)であった。
これは、既に実戦で「F4F」(「Martlet Mk.Ⅰ」)を運用していた英国の要望によって機関銃6挺を搭載したが、装弾数の低下や発射時の振動が米軍搭乗員に不評だった為、「FM-1」では機関銃4挺に戻されたと考えられている。
昭和17年(1942年)4月18日、GM社に対して「FM-1」1800機の生産が発注された。8月31日、量産初号機が初飛行し、昭和18年(1943年)までに839機が生産された。その後は「FM-2」の生産に切り替えられた。生産された「FM-1」は、その内312機が英国に供与(レンド・リース)され、「Martlet Mk.Ⅴ」と呼称された。
「FM-1」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「長」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各3枚、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構を装備。
・左主翼の翼端側前方下部に「鉤状」のピトー管(「F4F-4」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各450発。
全幅:11.58m 全長:8.76m 全高:2.81m 翼面積:24.15m2
自重:kg 正規全備重量:kg
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86」(二段二速過給機・離昇1200馬力)
最高速度:515km/時(高度5730m) 実用上昇限度:10638m
航続距離:1239km 燃料タンク容量:545リットル 増加タンク:220リットル×2個
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 4挺(翼内・携行弾数各450発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:839機(この内312機は英国に供与され「Martlet Mk.Ⅴ」として運用)
初飛行:昭和17年(1942年)8月31日
「FM-2」
「FM-2」は、「FM-1」の次にゼネラルモータス(GM)社で生産された機体の呼称であった。
開発は「XF4F-8」としてグラマン社で行われ、生産は「FM-2」としてゼネラルモータス(GM)社で行われた。
主翼の折畳み機構を装備し、武装や防御面が強化された「F4F-4」は、昭和16年(1941年)末から米海軍の航空母艦に配備が開始された。併しながら、「F4F-4」は重量が増加した為に離陸(発艦)距離が伸びてしまい、低速で飛行甲板の狭い護衛空母での運用が困難になってしまった。更に、新鋭機として開発されていた「F4U」「F6F」は更に重量があり、これらは正規空母以外では益々運用困難な機体であった。護衛空母は、船団護衛や上陸支援などには欠かせない存在であった為、護衛空母でも運用できるより軽量な「F4F」が必要となった。
これに対してグラマン社では、発動機としてライト(Wright)社製「XR-1820-56(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機装備・離翔1350馬力)を搭載し、機体重量の軽減を図った「XF4F-8」2機(製造番号:12228・12229)を製作、昭和17年(1942年)11月8日に初飛行した。
昭和17年(1942年)から「F4F」の量産はゼネラルモータース(GM)社に移管される事が決定していた。ゼネラルモータース(GM)社は、米国東海岸にあった5つの自動車工場を統合してイースタン・エアクラフト社(航空事業部)を設立し、ニュージャージ州リンデンの自動車工場に「F4F」の生産ラインが整備された。
ゼネラルモータース(GM)社で生産された「F4F」は「FM」と呼称され、既に、昭和17年(1942年)春からは「FM-1」(「F4F-4」とほぼ同一の機体)の生産が開始されていた。
グラマン社で開発された「XF4F-8」は「FM-2」としてゼネラルモータース(GM)社で生産されることになった。
「FM-2」は、速力が遅く、飛行甲板の狭い護衛空母でも運用出来るように設計されていた。
発動機も軽量で大出力のライト(Wright)社製「R-1820-56(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機装備・離翔1350馬力)を搭載した。この発動機は、高高度性能はプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86」(二段二速過給機・離昇1200馬力)に劣ったが、低空での飛行性能は向上し、機体重量削減にも貢献した。
機体は大幅な軽量化が施された。
垂直尾翼・方向舵(ラダー)を大型化し、主翼のフラップ形状も見直したことで、飛行特性や着艦時の癖も無くなり、搭乗員には大いに好評であった。 武装は12.7mm機関銃4挺を装備し、装弾数は各280発であった。機体重量削減の為に「F4F-3」の装弾数(各450発)よりは減少したものの、「F4F-4」の装弾数(各240発)よりも増加した。
「FM-2」は、昭和18年(1943年)からゼネラルモータース(GM)社で生産が開始され、4127機が生産された。これは「F4F」の各型式の中では最も多く、「F4F」の総生産数の半分以上を占める。
この内370機は英国に供与(レンド・リース)され、「Wildcat Mk.Ⅵ」として運用された。
「FM-2」「Wildcat Mk.Ⅵ」の多くは護衛空母に搭載され、船団護衛や上陸支援に活躍した。
「FM-2」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「中」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)無し。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
・カウリング後方の機体側左右と下部に排気用のくぼみ有り。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構を装備。
・左主翼の翼端側前方下部に「鉤状」のピトー管(「F4F-4」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各280発。
③その他
・垂直尾翼・方向舵(ラダー)が大型化。
・胴体下部の監視窓を廃止。
・無線アンテナが垂直。
全幅:11.58m 全長:9.09m 全高:3.58m 翼面積:24.20m2
自重:2475kg 正規全備重量:3752kg
発動機:ライト(Wright)社製「R-1820-56(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機装備・離翔1350馬力)
最高速度:534km/時(高度8778m) 実用上昇限度:10577m
航続距離:1448km 燃料タンク容量:477リットル 増加タンク:220リットル×2個
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 6挺(翼内・携行弾数各280発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:4127機
「XFM-1」
「XFM-1」は、ゼネラルモータース(GM)社が設計した機体であった。
発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「XR-1820-70」を搭載していたが、採用されなかった。
「Martlet Mk.Ⅰ」
「Martlet Mk.Ⅰ」は、フランス輸出向けに生産され、後に英国に輸出された「F4F」であった。
昭和14年(1939年)末、フランスとベルギーは米海軍が制式採用した新鋭機「F4F」をグラマン社に発注した。 この注文に基づき、グラマン社では「F4F」を輸出仕様にした機体(社内呼称:G-36A)を製作した。
輸出仕様の「G-36A」の機体は、「F4F-3」(社内呼称:G-36)とほぼ同一であったが、発動機としてライト(Wright)社製「R-1820-G205A(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離翔1200馬力)を搭載していた。発動機の換装は米国政府との輸出協定によるものであった。
ちなみに、発動機としてライト(Wright)社製「R-1820-40(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した「XF4F-5」の社内呼称も「G-36A」であった。
武装は7.7mm機関銃6挺(エンジンカウリング内に2挺・左右各主翼内に2挺)を装備し、他にフランス製の各種装備品(「OPL 38 光学照準機」「Radio-Industrie-537 R/T」等)を装備する事になっていたが、これらはフランスに到着後に装備される予定であった。
また、操縦席のスロットルレバーは通常の米海軍とは逆方向の操作、即ち、エンジン出力を増す場合は手前に引く様に改められた。
フランスは建造中のフランス海軍の航空母艦2隻(「Joffre」「Painleve」)に搭載する為、この機体81機と補用機10機を注文した。
昭和15年(1940年)5月11日、「G-36A」は初飛行した。しかし、昭和15年(1940年)6月22日、フランスはドイツに降伏した。そこで、「G-36A」は英国に輸出されることになり、昭和15年(1940年)7月27日、最初の機体8機が英国に到着した。この機体(「G-36A」)は英国に於いて「Martlet Mk.Ⅰ」と呼称された。
尚、昭和15年(1940年)7月27日に英国に最初の「Martlet Mk.Ⅰ」8機が到着したのは、昭和15年(1940年)12月に米海軍に最初の「F4F-3」22機が納品されたのよりも早かった。
英国に到着した「Martlet Mk.Ⅰ」には、英国の装備品に合わせた改修が施された。武装は12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備し、英国製の照準機や無線機を装備した。後に米国製無線機も装備された。
また、操縦席のスロットルレバーは通常の米海軍と同じ方向の操作、即ち、エンジン出力を増す場合は前方に押す様に改められた。
昭和15年(1940年)8月23日には「Martlet Mk.Ⅰ」53機と「Martlet Mk.Ⅲ(A)」6機(英国輸出仕様の「F4F」)が英国に届き、英海軍への配備が開始された。
「Martlet Mk.Ⅰ」は、9月には英海軍第804飛行隊(804 Naval Air Squadron・804 NAS)と英海軍第778飛行隊(778 Naval Air Squadron・778 NAS)に、10月~11月には英海軍第759飛行隊(759 Naval Air Squadron・759 NAS)に、11月には英海軍第802飛行隊(802 Naval Air Squadron・802 NAS)に配備された。
尚、フランスが「G-36A(「Martlet Mk.Ⅰ」)」を発注した際の補用機10機は、英国の輸送船(「SS Ruperra」)によって輸送されていた。併しながら、昭和15年(1940年)10月19日、アイルランド北西約500浬(926km)の海上で「SS Ruperra」が魚雷によって撃沈され、この「G-36A(「Martlet Mk.Ⅰ」)」10機(機体番号:BT447~BT456)は失われた。
結局、英国に到着した「Martlet Mk.Ⅰ」は81機(機体番号:AL231~AL262・AX824~AX829・BJ507~BJ527・BJ554~BJ570)であった。
「Martlet Mk.Ⅰ」は、航空母艦での運用に必要な主翼の折畳み機構等を装備していなかった為、主として陸上の航空基地に於いて運用された。
英国に輸出された「Martlet Mk.Ⅰ」は、本機(「F4F」「FM」「Martlet」等)の中で、実戦に於いて最初に敵機を撃墜する事になった。
昭和15年(1940年)12月25日、英海軍第804飛行隊(804 Naval Air Squadron・804 NAS)所属の「Martlet Mk.Ⅰ」は、スカパ・フロー上空を警戒中、侵入してきたドイツ空軍の「ユンカースJu88A」を撃墜した。更に、これは、第二次世界大戦に於ける米国製航空機による初めての敵機の撃墜でもあった。
「Martlet Mk.Ⅰ」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「短」。
・上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り。
・カウリングの上側左右・下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構は装備せず。
・左主翼の翼端側前方に「棒状」のピトー管(「F4F-3」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各450発。
社内呼称:G-36A
発動機:ライト(Wright)社製「R-1820-G205A(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 4挺(翼内・携行弾数各450発)
フランス輸出仕様では7.5mm機関銃6挺(エンジンカウリング内に2挺・左右各主翼内に2挺)を装備の予定
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:91機(機体番号:AL231~AL262・AX824~AX829・BJ507~BJ527・BJ554~BJ570・BT447~BT456)
フランス発注時の補用機10機(機体番号:BT447~BT456)は輸送中海没
初飛行:昭和15年(1940年)5月11日
「Martlet Mk.Ⅱ」
「Martlet Mk.Ⅱ」は、英国の仕様要求に基づいた英国輸出仕様の機体であった。
昭和15年(1940年)6月フランスへ輸送途中であった機体81機(社内呼称:G-36A)は、フランスの降伏(6月22日)によって英国に輸出された。英国では昭和15年(1940年)8月からこの機体を「Martlet Mk.Ⅰ」として運用を開始していた。併しながら、「Martlet Mk.Ⅰ」は主翼の折畳み機構を装備しておらず、武装は機関銃4挺であった。
英国では、自国での運用方針に鑑み、主翼の折畳み機構・武装の強化・防御面も強化を必要としていた。そこで、これらの仕様要求を満たす機体をグラマン社に発注した。グラマン社ではこの要求を満たす機体(社内呼称:G-36B)の開発を開始した。
英国の仕様要求に基づき、「G-36B」は主翼の折畳み機構を装備し、武装は「F4F-3」の機関銃4挺に対して機関銃6挺を装備した。また、燃料タンクの漏洩防止、防弾ガラスの採用、防弾鋼板の装備など防御面の強化も行われた。
英国はこの機体(社内呼称:G-36B)100機をグラマン社に発注した。
併しながら、この時、主翼の折畳み機構はグラマン社に於いてまだ開発途上であった。
そこで、取り急ぎ英国へ輸出される最初の10機は、「F4F-3」の初期の生産機とほぼ同一の機体であった。
この機体は主翼の折畳み機構は装備しておらず、武装は機関銃4挺(左右各主翼内に2挺・装弾数各450発)、発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載していた。
昭和16年(1941年)4月初め、この最初の10機は英国に輸出された。この10機は主翼の折畳み機構を装備していなかった為、英国に於いては「Martlet Mk.Ⅲ(A)」(機体番号:AM954~AM963)と呼称され、主に陸上の航空基地で運用された。
残り90機の「G-36B」は主翼の折畳み機構を装備していた。また、武装は機関銃6挺(左右各主翼内に3挺・装弾数各240発)を装備し、燃料タンクは被弾時の漏洩防止の為のゴムが張られ、風防(キャノピー)にも防弾ガラスを採用して防弾性能が強化された。
残り90機の英国への輸出は昭和16年(1941年)8月から開始された。
この内、前期の36機(機体番号:AM964~AM999)は英国本土へ向けて輸送された。後期の54機(機体番号:AJ100~AJ153)は昭和16年12月に米国東海岸ニューヨークから船積みされ、昭和17年(1942年)3月にインドのボンベイに到着した。
前期の36機(機体番号:AM964~AM999)と後期の54機(機体番号:AJ100~AJ153)はピトー管の形状が異なっていたが、それ以外はほぼ同じであった。
これら90機の「G-36B」(機体番号:AM964~AM999・AJ100~AJ153)は英国に於いて「Martlet Mk.Ⅱ」と呼称され、英海軍の航空母艦に於いても運用された。
結果として、「Martlet Mk.Ⅱ」は「F4F-4」(主翼の折畳み機構を装備・機関銃6挺装備)に発動機としてプラット&ホイットニ社製ー(P&W)「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体であった。この機体は、後にグラマン社に於いて「F4F-4A」として計画されたが、「F4F-4A」は計画のみで製作はされなかった。。
「Martlet Mk.Ⅱ」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「長」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)無し。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構を装備。
・前期の36機(機体番号:AM964~AM999)は左主翼の翼端側後方上部に「斜め棒状」のピトー管を装備。
・後期の54機(機体番号:AJ100~AJ153)は左主翼の翼端側前方下部に「棒状」のピトー管を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃6挺(左右各主翼内に3挺)を装備。装弾数は各240発。
社内呼称:G-36B (「F4F-4A」とほぼ同一)
発動機:プラット&ホイットニ社製ー(P&W)「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 6挺(翼内・携行弾数各240発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:90+10機(機体番号:AM954~AM963・AM964~AM999・AJ100~AJ153)
最初の10機(機体番号:AM954~AM963)は機関銃4挺装備・主翼の折畳み機構を装備せず。「Martlet Mk.Ⅲ(A)」として運用
14機(機体番号:AM954・AJ105・AJ106・AJ138~AJ145・AJ124~-AJ126)は輸送中海没
「Martlet Mk.Ⅲ(A)」
「Martlet Mk.Ⅲ(A)」は、「Martlet Mk.Ⅱ」の最初の10機(機体番号:AM954~AM963)であった。
尚、「Martlet Mk.Ⅲ(A)」は非公式な呼称であり、実際は「Martlet Mk.Ⅲ」と呼称された。
「Martlet Mk.Ⅱ」は英国輸出仕様の「F4F」(社内呼称:G-36B)であった。英国の仕様要求によって主翼の折畳み機構や、主翼に機関銃6挺を装備していた。併しながら、「G-36B」の最初の10機(機体番号:AM954~AM963)は、主翼の折畳み機構が間に合わず、武装も機関銃4挺であった。この10機は、発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載しており、「F4F-3」の初期の生産機とほぼ同一の機体であった。
英国では、この10機を「Martlet Mk.Ⅲ」と呼称した。
ここで、ギリシャに輸出され、後にに英国に輸出された機体30機(製造番号:3875~3904・「F4F-3A」の最初の30機)も「Martlet Mk.Ⅲ」と呼称された。
そこで、「Martlet Mk.Ⅱ」の最初の10機(機体番号:AM954~AM963)を「Martlet Mk.Ⅲ(A)」、当初ギリシャに輸出された「F4F-3A」30機(製造番号:3875~3904)を「Martlet Mk.Ⅲ(B)」として区別することがあるが、これは正式な呼称ではなかった。
尚、こここでは便宜上この呼称を用いる。
「Martlet Mk.Ⅲ(A)」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「長」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構は装備せず。
・左主翼の翼端側前方に「棒状」のピトー管(「F4F-3」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各450発。
社内呼称:G-36(「F4F-3」とほぼ同一)
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-76」(二段二速過給機・離昇1200馬力)
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 4挺(翼内・携行弾数各450発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:10機(機体番号:AM954~AM963・「Martlet Mk.Ⅱ」の最初の10機)
1機(機体番号:AM954)は輸送中海没
「Martlet Mk.Ⅲ(B)」
「Martlet Mk.Ⅲ(B)」は、ギリシャに輸出され、後に英国に輸出された機体であった。
尚、「Martlet Mk.Ⅲ(B)」は非公式な呼称であり、実際は「Martlet Mk.Ⅲ」と呼称された。
昭和15年(1940年)11月、ギリシャは米海軍が制式採用した新鋭機「F4F」30機を発注した。
ギリシャに輸出されることになったのは、発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した機体であった。
この機体は後に「F4F-3A」として米海軍に制式採用されたが、この時点では制式採用前であり、呼称としては「XF4F-3A」であった。
この時、米海軍ではこの機体(「XF4F-3A」)をすでに95機発注しており、その最初に生産された30機(製造番号:3875~3904) がギリシャへ輸出されることになった。
しかし、昭和16年(1941年)4月にギリシャがイタリアに降伏、輸送途中の機体は英領ジブラルタルにあった。機体はそのまま英国に輸出されることになり、「Martlet Mk.Ⅲ」と呼称された。これらは「F4F-3A」と同様に主翼の折畳み機構を装備しておらず、主として陸上の航空基地で運用された。
ここで、英国輸出仕様として開発された「Martlet Mk.Ⅱ」の最初の10機は主翼の折畳み機構の装備が間に合わず、これを装備していなかった為、この最初の「Martlet Mk.Ⅱ」10機(機体番号:AM954~AM963)も「Martlet Mk.Ⅲ」と呼称された。
そこで、「Martlet Mk.Ⅱ」の最初の10機(機体番号:AM954~AM963)を「Martlet Mk.Ⅲ(A)」、当初ギリシャに輸出された「F4F-3A」30機(製造番号:3875~3904)を「Martlet Mk.Ⅲ(B)」として区別することがあるが、これは正式な呼称ではなかった。
尚、こここでは便宜上この呼称を用いる。
「Martlet Mk.Ⅲ(B)」は、「F4F-3A」とほぼ同一の機体であった。
発動機としてプラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90」(一段二速過給機・離昇1200馬力)を搭載した。
武装は12.7mm機関銃4挺を装備し、主翼の折畳み機構は装備していなかった。
「Martlet Mk.Ⅲ(B)」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「長」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構は装備せず。
・左主翼の翼端側前方に「棒状」のピトー管(「F4F-3」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各450発。
社内呼称:G-36(「F4F-3A」とほぼ同一)
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-90(ツイン・ワスプ)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 4挺(翼内・携行弾数各450発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:30機(製造番号:3875~3904・「F4F-3A」の最初の30機)
機体番号は36機分(AX725~AX747・AX753~AX754・AX761・AX824~AX829・HK841~HK842)あったが、一部は使用されず
「Martlet Mk.Ⅳ」「Wildcat Mk.Ⅳ」
「Martlet Mk.Ⅳ」は、「F4F-4」の英国供与(レンド・リース)仕様の機体であった。
昭和19年(1944年)1月1日、「Martlet Mk.Ⅳ」は「Wildcat Mk.Ⅳ」に改称された。
「Martlet Mk.Ⅰ」「Martlet Mk.Ⅱ」「Martlet Mk.Ⅲ(A)」「Martlet Mk.Ⅲ(B)」は、英国購買委員会(BPC)の発注による輸出であったが、「Martlet Mk.Ⅳ」「Martlet Mk.Ⅴ」「Wildcat Mk.Ⅵ」は米国のレンドリース法(武器貸与法)に基づく武器供与として英国に送られた。
この機体は、「F4F-4」の発動機をライト(Wright)社製「R-1820-40B (ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)に換装した以外は、ほぼ「F4F-4」と同一であった。
主翼の折畳み機構を装備し、武装は機関銃6挺(左右各主翼内に3挺・装弾数各240発)、燃料タンクの漏洩防止や防弾ガラスの採用によって防弾性能が強化されていた。
昭和17年(1942年)2月から9月にかけて220機が英国に供与され、「Martlet Mk.Ⅳ」と呼称された。主に英国海軍の航空母艦に於いて運用された。
この機体は、米国に於いては「F4F-4B」と呼称されていたが、生産された220機は全て英国に供与され、米国では「F4F-4B」は運用されなかった。
昭和19年(1944年)1月1日以降、英国の兵器の命名基準改定によって「Martlet」が「Wildcat」と呼称される事になると、「Martlet Mk.Ⅳ」は「Wildcat Mk.Ⅳ」と改称された。
「Martlet Mk.Ⅳ」以降に英国に供与された「Martlet Mk.Ⅴ」「Wildcat Mk.Ⅵ」は、ゼネラルモータース(GM)社で量産された「FM」の英国供与仕様の機体であった。
その為、「Martlet Mk.Ⅳ」は、グラマン社で生産されて英国に供与された最後の「Martlet」であ った。
「Martlet Mk.Ⅳ」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「短」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)無し。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構を装備。
・左主翼の翼端側前方下部に「鉤状」のピトー管(「F4F-4」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃6挺(左右各主翼内に3挺)を装備。装弾数は各240発。
社内呼称:G-36B (「F4F-4B」とほぼ同一)
発動機:ライト(Wright)社製「R-1820-40B (ライト・サイクロン)」(一段二速過給機・離昇1200馬力)
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 6挺(翼内・携行弾数各240発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:220機(機体番号:FN100~FN319) 5機(機体番号:FN205~FN207・FN240~-FN241)は輸送中海没
「Martlet Mk.Ⅴ」「Wildcat Mk.Ⅴ」
「Martlet Mk.Ⅴ」は、「FM-1」の英国供与(レンド・リース)仕様の機体であった。
昭和19年(1944年)1月1日、「Martlet Mk.Ⅴ」は「Wildcat Mk.Ⅴ」に改称された。
「Martlet Mk.Ⅰ」「Martlet Mk.Ⅱ」「Martlet Mk.Ⅲ(A)」「Martlet Mk.Ⅲ(B)」は、英国購買委員会(BPC)の発注による輸出であったが、「Martlet Mk.Ⅳ」「Martlet Mk.Ⅴ」「Wildcat Mk.Ⅵ」は米国のレンドリース法(武器貸与法)に基づく武器供与として英国に送られた。
昭和17年(1942年)春から、「F4F」の生産は「FM-1」としてゼネラルモータス(GM)社で行われることになり、昭和18年(1943年)までに839機の「FM-1」が生産された。
このうちが312機が英国に供与(レンド・リース)される事になり、昭和18年(1943年)6月以降、英国に於いて実戦配備され、「Martlet Mk.Ⅴ」と呼称された。
「Martlet Mk.Ⅴ」は、発動機や武装などは米国で運用されていた「FM-1」と同一であった。
昭和19年(1944年)1月1日以降、英国の兵器の命名基準改定によって「Martlet」が「Wildcat」と呼称される事になると、「Martlet Mk.Ⅴ」は「Wildcat Mk.Ⅴ」と改称された。
「Martlet Mk.Ⅴ」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「長」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)有り。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各3枚、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構を装備。
・左主翼の翼端側前方下部に「鉤状」のピトー管(「F4F-4」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各450発。
発動機:プラット&ホイットニー(P&W)社製「R-1830-86(ツイン・ワスプ)」(二段二速過給機・離昇1200馬力)
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 4挺(翼内・携行弾数各450発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:312機(機体番号:JV325~JV636・「FM-1」の一部)
「Wildcat Mk.Ⅵ」
「Wildcat Mk.Ⅵ」は、「FM-2」の英国供与(レンド・リース)仕様の機体であった。
「Martlet Mk.Ⅰ」「Martlet Mk.Ⅱ」「Martlet Mk.Ⅲ(A)」「Martlet Mk.Ⅲ(B)」は、英国購買委員会(BPC)の発注による輸出であったが、「Martlet Mk.Ⅳ」「Martlet Mk.Ⅴ」「Wildcat Mk.Ⅵ」は米国のレンドリース法(武器貸与法)に基づく武器供与として英国に送られた。
昭和17年(1942年)、「F4F」の生産はゼネラルモータス(GM)社で行われることになり、ゼネラルモータス(GM)社で生産された「F4F」は「FM」と呼称された。昭和17年(1942年)春からは「FM-1」の生産が開始され、昭和18年(1943年)からは「FM-2」の生産に切り替えられ、4127機が生産された。
このうちが370機が英国に供与(レンド・リース)される事になり、昭和19年(1944年)5月以降、英国に於いて実戦配備され、「Wildcat Mk.Ⅵ」と呼称された。
これまで英国に輸出・供与されて運用された「F4F」「FM」は「Martlet」と呼称されており、「FM-2」は英国で運用された6番目の「F4F」「FM」であった。併しながら、昭和19年(1944年)1月1日以降、英国の兵器の命名基準改定によって「Martlet」が「Wildcat」と改称されていた為、この「FM-2」の英国供与仕様は「Wildcat Mk.Ⅵ」と呼称された。
「Wildcat Mk.Ⅵ」は、米国で運用されていた「FM-2」と同一であった。
「Wildcat Mk.Ⅵ」288機(機体番号:JV637~JV902)は昭和19年(1944年)5月から英国に供与されたが、続く82機(機体番号:JW785~JW836・JZ860~JZ889)は昭和20年(1945年)8月から11月にかけて供与され、既に第二次世界大戦は終結していた。これら82機(機体番号:JW785~JW836・JZ860~JZ889)は主に中東やオーストラリアに輸送された。
「Wildcat Mk.Ⅵ」の外見上の特徴は以下の通りであった。
①発動機覆い(エンジンカウリング)に関して
・カウリングの長さは「中」。
・カウリングの上部にエアスクープ(空気取入れ口)無し。
・カウリングの上側左右にエンジンフラップ(空気抜き)各1枚有り、下側左右にエンジンフラップ(空気抜き)無し。
・カウリング後方の機体側左右と下部に排気用のくぼみ有り。
②主翼に関して
・主翼の折畳み機構を装備。
・左主翼の翼端側前方下部に「鉤状」のピトー管(「F4F-4」と同形状)を装備。
・主翼内に12.7mm機関銃4挺(左右各主翼内に2挺)を装備。装弾数は各280発。
③その他
・垂直尾翼・方向舵(ラダー)が大型化。
・胴体下部の監視窓を廃止。
・無線アンテナが垂直。
発動機:ライト(Wright)社製「R-1820-56(ライト・サイクロン)」(一段二速過給機装備・離翔1350馬力)
武装:ブローニングM2 50口径12.7mm機関銃 4挺(翼内・携行弾数各280発)
爆装:45kg爆弾2発
生産機数:370機(機体番号:JV637~JV902・JW785~JW836・JZ860~JZ889・「FM-2」の一部)