九四式山砲

「九四式山砲(94式山砲)」とは

「九四式山砲(94式山砲)」は支那事変から大東亜戦争にかけて使用された日本陸軍の山砲である。

「山砲」の特徴

所謂「山砲」とは小型・軽量で分解可能な大砲を指す。

火砲は、口径が大きく、砲身が長い程その威力も増すが、同時に大型化し、重量も増加してしまう。その結果、大型の火砲は運用に多くの人員・馬匹・車両を必要とし、移動出来る地形も限られてくる。特に山岳地や密林地帯のような場所では、大型の火砲の運用は非常に困難である。

これに対して「山砲」は機動性に重点を置いた火砲である。即ち、「山砲」は小型・軽量である為、少人数で迅速に運用する事が出来る。また、「山砲」の重要な特徴としては分解が可能であると言う点である。分解する事で小さな部品に分けられ、大型の火砲や車両が移動困難な場所では、駄載(馬匹等に載せる事)して移動したり、必要に応じては脾力搬送(人間が担いで運ぶ事)する事が可能であった。
この様に「山砲」は、通常は火砲の運用が困難な場所に於いても運用でき、歩兵に随伴して、その戦闘を支援する事が出来る火砲である。

反面、「山砲」が小型・軽量で分解可能であるという事は、火砲としての射撃安定性や強度は犠牲にせざるを得ない。その為、射程距離・射撃精度や威力は他の火砲に比べて劣る。
「山砲」は、あくまで通常の火砲の運用が困難な場所に於いて、威力を発揮する火砲である。

「九四式山砲」の開発

日本陸軍では、明治41年(1911年)制式採用の「四一式山砲」を以後長らく主力山砲として装備していたが、「四一式山砲」が次第に旧式化してくるに従い、威力不足や射撃安定性の欠如などの問題点が出てきた。これら問題点は「「四一式山砲」の構造上の事であり、根本的な解決は容易ではなかった。

そこで、大正9年(1920年)、「四一式山砲」よりも威力のある新しい山砲の研究が必要であるという結論に達し、研究が開始された。実際には、新しい山砲の開発開始は宇垣軍縮の影響等で大幅に遅た。

研究開始から11年後の昭和6年(1931年)に試製予算要求が成され、翌昭和7年(1932年)9月には試作第1号砲が完成した。昭和9年(1934年・皇紀2894年)9月、「試製九四式山砲」として4門が完成した。「九四式」はこの年の皇紀の下2桁を採った。

昭和10年(1935年)3月、野砲校にて実用試験を受け、4月、制式上申が成され、11月、「九四式山砲」として制式制定された。

「九四式山砲」の構造と実戦配備

本砲は、「四一式山砲」よりも小さく分解する事が出来、分解すると11の部品に分けられた。組立も素早く行う事が出来た。

また、「四一式山砲」が閉脚式砲架を採用していたのに対して、より近代的な開脚式砲架を採用していた。
この為、「四一式山砲」に対して、最大射程付近での射撃安定性が増し、射撃精度が向上した。

本砲は、左右各15度に方向照準可能であり、俯仰角は+65度(仰角)から-5度(俯角)に俯仰可能であった。操砲ハンドル(左右射角)・高低照準用ハンドル(俯仰角)共に砲架左側に位置した。

本砲は、制式採用以後、山砲編成師団の砲兵連隊(師団砲兵)の主力火砲として 「四一式山砲」から順次更新されていったが、全ての部隊の必要数を満たす事は出来ず、完全に置き換えるまでには至らなかった。その為、一部の部隊では依然として 「四一式山砲」を装備していた。

大東亜戦争に於いて、本砲は「四一式山砲」と共に日本陸軍の主力山砲として、各地の戦場で活躍し、その優秀な性能を示した。また、火砲の移動が困難な地形では野砲編成師団の砲兵連隊(師団砲兵)に配備される事もあった。

「九四式山砲」の性能

全備重量:536kg 口径:75mm 初速:392 m/s 最大射程距離:8300m
俯仰角:-10~+45度 水平射角:左右20度 薬室:水平鎖栓式
使用弾種:榴弾甲 榴弾乙 九〇式尖鋭弾 九四式榴弾 九〇式榴霰弾 九〇式鋼性銑榴弾 九五式破甲榴弾 九〇式発煙弾 九〇式照明弾 等