「オーストラリア戦争記念館」の展示内容

大東亜戦争におけるシドニー・キャンベラ・メルボルンの歴史
シドニー・シドニー港攻撃概要・オーストラリア海事博物館 (Australian National Maritime Museum)・オーストラリア海軍記念館 (Australian Naval Memorial)キャンベラ・オーストラリア戦...
キャンベラ
キャンベラの戦跡一覧オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial)キャンベラの人口湖の北側のほとりから続く大通りの突き当たりに「オーストラリア戦争記念館」がある。正面入口を入ったところは追悼ホールとなっている。こ...

特殊潜航艇(イ22号・イ27号搭載艇)

昭和17年(1942年)5月30日のシドニー港攻撃で湾内に突入し沈没した「特殊潜航艇」である。艦首部分はイ22号搭載艇のものであり、艦橋と艦尾部分はイ27号搭載艇のものである。この2艇はシドニー湾内で沈没し、攻撃の翌月にオーストラリア軍によって引き揚げられた。

中央部は大きく変形し破断している。これらの損傷は爆雷攻撃によるものである。

なお、シドニー港攻撃にはイ24号搭載艇も参加したあと行方不明となっていたが、シドニー湾外で撃沈されていたのが2006年に地元ダイバーによって発見された。

艦橋から伸びる特眼鏡である。視界は狭く索敵を行うのは困難であった。

特殊潜航艇(イ22号・イ27号搭載艇)特殊潜航艇(イ22号・イ27号搭載艇)先端部に直径45cmの「九七式酸素魚雷」2本を装備していた。炸薬量は350kgであり、大型艦でも一撃で大破させる威力があった。

しかし、魚雷発射の方位とタイミングは艇長が特眼鏡からの狭い視界で敵艦の進路と速度を見て決め、計算機などは使えなかったため命中率は低かった。

艇内から回収された乗組員の遺品である。左側と中央の名札にはイ27号搭載艇艇長の中馬兼四大尉の名が、右側の名札にはイ22号搭載艇艇付の都竹正雄二等兵曹の名が読み取れる。右上の十銭硬貨はイ27号搭載艇艇付の大森猛一等兵曹のポケットから回収された。

軍靴である。誰のものだったかは不明である。

「十四年式自動拳銃」である。当時士官には拳銃は支給されず、個人で購入したものを携帯していた。

艇内に備え付けられていた時計である。

零式艦上戦闘機二一型(零戦21型)

日本海軍の「零式艦上戦闘機二一型(零戦21型)」である。この機体は昭和17年(1942年)にニューブリテン島のラバウルに展開していた台南航空隊所属機であった。撃墜王として有名な「坂井三郎」が乗った機体の一つでもある。

「零戦21型」の発動機は離昇940馬力の「栄一二型」を装備していた。後の「零戦52型」は各気筒から単排気管としてエンジン周囲から排気を後方に噴出させるロケット排気管という形式となるが、「零戦21型」は集合排気管としてエンジン底面の2ヶ所から排気を出していた。

「零戦21型」の翼端は楕円型である。後の「零戦32型」は翼端を切り詰めた角型とされた。

この機体はラバウルのGasmata飛行場に放置されていたところを1974年に回収された。その後オーストラリアに運ばれ、オーストラリア空軍管轄の博物館においてレストアされた。レストアには他の2機の「零戦」の部品を使い、1988年に完成した。

山本五十六長官が搭乗していた「一式陸上攻撃機(一式陸攻)」の部品である。昭和18年(1943年)4月18日、山本長官は前線視察のため6機の「零戦」の護衛を受けつつ「一式陸攻」に乗りガダルカナル島を飛び立った。しかし、暗号を解読していた米軍により、16機の陸上戦闘機「P-38(ライトニング)」の待ち伏せを受け、ブーゲンビル島上空にて撃墜され戦死した。

その他「零戦」の部品が機体の前に展示されている。

八八式七糎半野戦高射砲(88式7.5cm野戦高射砲)

日本陸軍の主力野戦高射砲「八八式七糎半野戦高射砲(88式7.5cm野戦高射砲)」である。制式化は昭和3年(1928年)であるが、後継の開発が滞ったため終戦まで野戦防空の主力として使われた。

重量軽量化のために耐久性が犠牲になった面があり、連続で発射すると駐退機が破損してしまうことが多かったようである。

しかし、初速が速く徹甲弾も配備されていたため、日本軍戦車や対戦車砲で撃破困難な米軍の「M4中戦車(シャーマン)」に対して戦果を上げた。

この砲は1973年にニューギニア島のブナに放置されていたものを回収された。

ブルーノZB26軽機関銃

昭和元年(1926年)にチェコスロバキア陸軍に制式採用された「ブルーノZB26軽機関銃」である。当時の各国機関銃に比べ、高性能で安価であり各国は大量にこの機関銃を輸入した。

特に中華民国には大量に輸出され、第二次上海事変において日本兵はこの高性能な機関銃に斃された。しかし、一旦「ブルーノZB26軽機関銃」を鹵獲すると、その故障率の低さに驚かされ、「無故障機関銃」と呼んでそのまま使用した。

日本陸軍は「ブルーノZB26軽機関銃」を参考として「九六式軽機関銃」や「九九式軽機関銃」を開発した。両者の形状は非常に良く似ている。銃身の放熱用に付けられた「ひだ」がないのが外観上の違いである。

第二次世界大戦終結後も中国の国共内戦や朝鮮戦争、第一次インドシナ戦争にも使われた。

九九式軽機関銃

昭和14年(1939年)に制式採用された「九九式軽機関銃」である。チェコスロバキア製の「ブルーノZB26軽機関銃」の影響を強く受けており、両者を比べれば形状が良く似ていることが分かるだろう。

銃口の先にはラッパ型の消炎器が装着できるようになっていた。これは、口径が6.5mmの「九六式軽機関銃」から7.7mmに拡大した事に伴い、弾薬の装薬量が増加するため、その対策として成されたものであった。

これ以外の「九六式軽機関銃」との外見的な相違点としては、銃床下部に装備された後脚がある。この後脚と銃口付近に装備された二脚架を使用する事で、本銃の照準を固定したままにしておく事が可能であった。しかし軽機関銃の運用上、同一の場所で照準を固定して長時間射撃する事は殆ど無いく、この後脚はあまり使用されなかった。

連続発射すると銃身が過熱してしまうため、持ち運び用の取っ手が取り付けられている。

日本軍その他展示品

日本陸軍の軍服である。

シンガポール攻略戦におけるジョホール水道渡河作戦の参加部隊一覧を記した札である。鯉兵団とは日本陸軍第五師団の愛称である。シンガポール攻略戦ではオーストラリア兵約15000名が捕虜となった。

ニューギニア島東端ミルン湾で行われた「ラビの戦い」で戦死した日本軍陸戦隊将校の制服と千人針である。名札からは「三小(隊)二分隊 中路利行」と読み取れる。

米豪軍を過小評価した日本軍は海軍陸戦隊のみで飛行場を占領しようとしたが、失敗して撤退に追い込まれた。この日本国旗はこの時に撃破された日本軍戦車からオーストラリア軍が戦利品として持ち帰ったものである。漢字が読めなかったためか、上下さかさまになっており、この戦いで戦死した戦友の名前が書き込まれている。

V1飛行爆弾、FLAK 36

ドイツ軍の「V1飛行爆弾」である。慣性航法装置を利用した無人飛行機であり、目標上空に到達すると落下して目標に着弾した。主にロンドン攻撃に使用された。

尾部にパルスジェットエンジンが搭載されている。飛行速度は通常の飛行機と同程度であったので迎撃可能な兵器であったが、パルスジェットエンジンの発する「バンバンバン・ブィー」という独特の音はロンドン市民の恐怖感を煽った。

比較的安価な兵器であり、記録によると21770発が発射された。

ドイツ軍の「FLAK 36」である。口径88mmで高速で動く目標に追随できるように設計された。対空用だけでなく、徹甲弾を装填して対戦車用としても使われた。この砲は昭和17年(1942年)に北アフリカでオーストラリア軍によって鹵獲されたものである。

連合軍兵器

イギリス・アブロ社の四発爆撃機「ランカスター」である。この博物館で最も大きい飛行機である。周囲には大きなスクリーンがあり、「ランカスター」の夜間爆撃のシーンが流されており、臨場感がある。

イギリス・スーパーマリン社の「スピットファイアMark ⅡA」である。英軍だけでなくオーストラリア軍にも供与され、ダーウィンの防空や南太平洋で運用された。

米軍の陸上戦闘機「P-40(キティフォーク)」である。この機体はアメリカで製造されたのちオーストラリアに輸送され、国内で組み立てられて北オーストラリアの防衛に使われた。

アメリカ・ロッキード社製造・オーストラリア空軍で運用されていた哨戒/爆撃機「ハドソン」のエンジンである。この機体は昭和16年(1941年)12月8日の開戦時にコタバルに上陸した日本軍を攻撃した際に撃墜された。搭乗員は大東亜戦争におけるオーストラリア軍の初の戦死者となった。

大東亜戦争遺跡
「大東亜戦争遺跡」について「大東亜戦争全史」と並び、本サイトのメインコンテンツです。日本国内や東アジア・中部太平洋方面には、大東亜戦争に関する遺跡・遺物が多数遺されています。それらは、かつて戦闘が行われた場所であったり、当時の兵器類であった...
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