「太平洋国立記念墓地(パンチボール) 」の展示内容

大東亜戦争におけるオアフ島の歴史
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ワイキキ・アラモアナ周辺
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記念墓地


パンチボールのクレーターの面積は約47万平方kmであり、ここに3万4千人の米軍人が眠っている。

クレーターはハワイ王朝時代には首長の埋葬地として使われていた。

また、クレーターの縁には無数の生贄が燃やされた大きな岩の祭壇があり、古来のハワイ語では「いけにえの丘」と呼ばれていた。祭壇は国立墓地建設の際に取り壊され、現在は行方不明となっている。

それぞれの墓標には生年月日と命日、所属などが刻まれている。花が生けられているものあり、遺族が定期的に訪れているようである。

エリソン・オニヅカの墓である。オニヅカは日系二世としてハワイ島に生まれ、コロラド大学で航空宇宙工学を専攻し、その後米空軍に入った。1978年にスペースシャトル計画の飛行士に選ばれ、オニヅカは日系人のみならずアジア系としても始めての飛行士となった。1986年、2度目のスペースシャトル搭乗であったチャレンジャー号の爆発事故で殉職した。

資料館

国立墓地には資料館が併設されている。外周には太平洋の各戦場となった島々の地図が貼られている。

資料館は各種資料が豊富である。

資料館にはパンチボールのジオラマなどもある。

記念式典の様子である。

パネル展示

太平洋戦線の戦局の推移が分かりやすい地図で解説されている。大東亜戦争前半の日本の占領地域を表したものである。東はマーシャル諸島、南はニューギニア、西はビルマ、北はアリューシャン列島に至るまで広大な地域を占領していた様子が分かる。

日米の攻守が入れ替わったあと、アメリカは人的損害を抑えるために戦略上重要な島々のみを占領する「飛び石作戦」を行った。降伏前まで多くの領域が日本軍が占領したまま孤立している様子が分かる。

欧州戦線では第二次世界大戦勃発と同時にドイツが電撃作戦を成功させ、ヨーロッパの大半を手中に収めた。しかし、ソ連はモスクワ陥落寸前から国力を総動員してドイツ軍を食い止めた。一方、イギリスはアメリカの援助を受けてドイツ空軍の空襲をしのいだ。

連合軍の本格的な反攻は北フランスのノルマンディー上陸であった。一方ソ連軍も東側から反攻を開始し、昭和20年(1945年)5月にソ連軍がベルリンを制圧し、ドイツは連合国に無条件降伏した。

大東亜戦争遺跡
「大東亜戦争遺跡」について「大東亜戦争全史」と並び、本サイトのメインコンテンツです。日本国内や東アジア・中部太平洋方面には、大東亜戦争に関する遺跡・遺物が多数遺されています。それらは、かつて戦闘が行われた場所であったり、当時の兵器類であった...
大東亜戦争におけるハワイ諸島の歴史
ハワイ諸島(Hawaiian Islands)は北太平洋中央付近に位置する火山列島である。8つの主要な島(ハワイ島・マウイ島。カホオラウェ島・ラナイ島・モロカイ島・オアフ島・カウアイ島・ニイハウ島)で構成される南東ハワイ諸島と、それ以西から...
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