山岳地帯(旧複郭陣地跡):富山周辺

大東亜戦争におけるペリリュー島の歴史
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富山周辺の戦跡一覧

掩体壕

当時「富山」と呼ばれた山のふもとに掩体壕らしきものが遺されている。入口部分には小屋のようなものが新しく建てられている。戦後倉庫か何かとして再利用したものであろうか。

長さ10~15m程度で三角柱を寝かせた形をしている。

「掩体壕」の歩き方

市街地から5kmほど南へ行ったところの左手に現発電所がある。この現発電所から300mほどのところで道は分岐するが、左側を進む。分岐点から約300mほどの左手にダートの脇道がある。

この脇道を少し登ったところの正面の場所である。

F6F(ヘルキャット)の残骸

先ほどの掩体壕から少し山道を登ったところに「F6F(ヘルキャット)」の残骸が散らばっている。「ヘルキャット」は昭和18年(1943年)以降の米機動部隊の主力となった艦上戦闘機である。左翼部分は比較的原型を保っている。米海軍機に付けられた「=★=」の塗装が薄く残っている。

翼の胴体側、機首方向に機銃の発射口が開いているのが分かる。

「ヘルキャット」は「ブローニング M2 12.7mm機関銃」6挺を装備していた。発射口の下、つまり尾翼側には機銃の弾倉を収めるスペースがある。残骸はあちこち錆びついているが、ヒンジ部分が生きているために開けて中を見ることができる。

コックピット部分である。

周囲には尾翼らしき桁や部品が散乱している。バラバラになっているが各部が残っており、集めて組みなおせばほぼ一機分が復元できそうである。

エンジンカウリングのようである。

「零式艦上戦闘機(零戦)」と比べて武装、防弾性能に優れ、時速400km以下の低速度域以外では急降下性能、横転性能、旋回性能も「零戦」に勝っていた。米軍は「零戦」の得意とする低速での格闘戦を避けるように米搭乗員に指示していた。

「F6F(ヘルキャット)の残骸」の歩き方

市街地から5kmほど南へ行ったところの左手に現発電所がある。この現発電所から300mほどのところで道は分岐するが、左側を進む。分岐点から約300mほどの左手にダートの脇道がある。

この脇道を少し登ったところの正面の場所に小屋の増築された掩体壕がある。この掩体壕の右側にダート道は続いていく。

F6F(ヘルキャット)の残骸しばらくこの道を登っていくと、上写真のような分岐点がある。この分岐点を左に行ったところにヘルキャットの残骸がある。

M4中戦車(シャーマン)

「F6F(ヘルキャット)」の残骸の近くにひっくり返った「M4中戦車(シャーマン)」がある。

手前に記念碑が建てられている。この「シャーマン」は米陸軍第81師団第710戦車大隊A中隊第1小隊所属であり、戦死した乗員の氏名が刻まれている。

昭和19年(1944年)10月18日、二人の海軍航空隊搭乗員(付近に遺されている「ヘルキャット」の搭乗員か)を助けるため、この「シャーマン」に出動命令が下った。

乗員5名のほか道案内役の大尉が車体後部に乗っていた。

「シャーマン」はこの場で航空爆弾を改造した地雷を踏んで横転した。通常の対戦車地雷はキャタピラを破壊できれば十分であり、戦車本体を破壊するまでの威力はない。しかし、元が航空爆弾だったため32.3tの車体を横転させるほど威力が大きかったのであろう。

底面は爆圧で吹き飛ばされている。爆発のあと車体は数時間に渡って炎上した。

戦車長は爆発で吹き飛ばされて負傷したが生還した。射手は野戦病院に運ばれたが火傷がひどく後に死亡した。残りの乗員と道案内役の大尉は即死した。

その後、キャタピラは取り外されて再利用された。キャタピラは備品の在庫が少なかったからである。

車載機銃は爆発の際に銃身が曲がってしまったために取り外されずに車体に残された。

「M4中戦車(シャーマン)」の歩き方

市街地から5kmほど南へ行ったところの左手に現発電所がある。この現発電所から300mほどのところで道は分岐するが、左側を進む。分岐点から約300mほどの左手にダートの脇道がある。

この脇道を少し登ったところの正面の場所に小屋の増築された掩体壕がある。この掩体壕の右側にダート道は続いていく。

しばらくこの道を登っていくと、上写真のような分岐点がある。この分岐点を直進したところに「シャーマン」がひっくり返っている。

山中の壕

ひっくり返った「M4中戦車(シャーマン)」の奥は戦車が走行できなさそうな岩場となっている。

この岩場には複数の壕がある。この一帯は日本軍の陣地だったのであろう。

天然の洞窟を利用したようであるが、入口は若干拡張されたようである。

奥行きはさほど深くなく、数メートル程度である。

「山中の壕」の歩き方

市街地から5kmほど南へ行ったところの左手に現発電所がある。この現発電所から300mほどのところで道は分岐するが、左側を進む。分岐点から約300mほどの左手にダートの脇道がある。この脇道を少し登ったところの正面の場所に小屋の増築された掩体壕がある。この掩体壕の右側にダート道は続いていく。しばらくこの道を登っていくと分岐点がある。この分岐点を直進したところに「シャーマン」がひっくり返っている。

この「シャーマン」の右手側の岩場を数分登ったあたりに複数の壕が遺されている。

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