「九九式軽機関銃・十一年式軽機関銃」
左から二つ目が「九九式軽機関銃」、三つ目が「十一年式軽機関銃」である。その他のものはカナダなど他国の軽機関銃である。
本格的な機関銃が歴史に登場したのは日露戦争であったが、当時の機関銃は大型で重量があったため防御的な兵器であった。これを大幅に軽量化して1922年(大正11年)に完成したのが口径6.5mmの 「十一年式軽機関銃」である。
機関部上部に「十一年式」「1825」(製造番号であろうか)の刻印が読み取れる。
「十一年式軽機関銃」は銃床の形状が特徴的である。機関部左側には装填架と呼ばれるホッパー型弾倉が装着されている。
「九九式軽機関銃」は昭和14年(1939年)に制式採用され、口径は6.5mmから7.7mmに拡大された。銃身内部にはクロームメッキ処理が施され、耐久性が高かった。
銃口にはラッパのような形の消炎器が取り付けられている。また、銃剣も装着する事ができたが、実用的ではなかったようである。
「四四式騎銃」
説明板では「三八式歩兵銃」となっているが、これは誤りで、「四四式騎銃」である。
銃本体は「三八式歩兵銃」の短縮版である「三八式騎銃」と同じものであり、銃剣の部分のみが異なる。反動の少ない6.5mm弾であったため、歩兵銃より30cmほどの短縮が可能だったようである。
同銃の照準器である。この照準器を立てて、目標との距離に応じて照準を付けた。
作動方式はボルトアクション方式である。
5発の弾丸を装填できたが、一発撃つごとにこのボルトを引いて空薬莢を排出した。
銃口部である。
「三八式騎銃」には「三十年式銃剣」が着脱できたが、「四四式騎銃」には折りたたみ式の銃剣が取り付けられていた。
銃剣を使用しないときは、銃剣の根元の金属の丸棒を軸として手前(引き金側)に折りたためた。
「南部式自動拳銃」
「南部式自動拳銃」である。
南部麒次郎によって開発された日本初の自動拳銃である。「南部式拳銃」は大型(甲)、(乙)、小型の3種類が製造されたが、これは口径7mm、装弾数6発の小型である。
「南部式自動拳銃」は2挺展示されている。
明治末期からは中国やタイへ海外輸出されていた。小型のタイプは現在では現数が少なく希少品のようである。
「二十六年式拳銃」
「二十六年式拳銃」である。
日本陸軍で1893年に制式とされた国産回転式拳銃であり、日本で最初に無煙火薬を使用した火器でもある。
拳銃に狙撃能力は必要ないとの判断から、撃鉄の指かけ部が削除されてダブルアクション(引金を引くと撃鉄が撃発準備位置まで後退し、そのまま撃発される)のみとされ、照準は固定式で製品によってバラつきがあった。