パールハーバー(真珠湾)周辺

大東亜戦争におけるオアフ島の歴史
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パールハーバー(真珠湾)周辺の戦跡一覧

Pearl Harbor Historic Site (ビジターセンター)

Pearl Harbor Historic Site (ビジターセンター)「Pearl Harbor Historic Site 」である。
ここは、日本軍「真珠湾攻撃」に関する各種展示を行うための施設であり、「戦艦「アリゾナ」記念館」「潜水艦「ボーフィン」博物館」「戦艦「ミズーリ」記念館」「太平洋航空博物館」の「ビジターセンター(来場者受付)」になっている。

上記4施設と「ビジターセンター」は、保安上の理由からカバンを持込むことができない。「ビジターセンター」入口前にて有料でカバンを預けることができる。 カメラや財布は持込む事が出来る。

チケット売場である。
上記施設に入場する為のチケットは全てここで買わなければならない。
他にも、土産物屋、トイレなどがある。

「ビジターセンター」の敷地内には幾つかの記念碑や展示品がある。

戦艦「アリゾナ」から引揚げた錨が展示されている。

「戦艦「アリゾナ」記念館」「戦艦「ミズーリ」記念館」「太平洋航空博物館」は、「ビジターセンター」の対岸の「フォード島」にある。

「ビジターセンター」から「戦艦「アリゾナ」記念館」へは船で、「フォード島」(「戦艦「ミズーリ」記念館」「太平洋航空博物館」)へはシャトルバスで行く。シャトルバスは08:45~17:15まで15分間隔で運行しており、「ビジターセンター」~「フォード島」を約30分で1周している。

「潜水艦「ボーフィン」博物館」は、「ビジターセンター」の敷地内にある。

「Pearl Harbor Historic Site (ビジターセンター)」の歩き方

バス停から道に向かって左側に信号がある(Kamehameha HWY.とKalaloa ST.の交差点)ので、道を渡ってそのまま海側へと歩くと「Pearl Harbor Historic Site (ビジターセンター)」の入口が見えてくる。

「ビジターセンター」は、保安上の理由からカバンを持込むことができない。「ビジターセンター」入口に向かって左に手荷物預かり所がある。ここで有料(3ドル:2010年)でカバンを預ける事ができる。カメラや財布は、カバンから出せば持込む事が出来る。

帰り(「ワイキキ」方面)のバス停は、「ビジターセンター」を出て大通り(Kamehameha HWY)に出たら、道を渡らずに左に歩く。15m程先にバス停が見える。

「ビジターセンター」では、「潜水艦「ボーフィン」博物館」(10ドル)・「戦艦「ミズーリ」記念館」(16ドル)・「太平洋航空博物館」(15ドル)のチケット売場がある。
それぞれ施設入口でも購入可能であるが、「ビジターセンター」のチケット売場では、共通チケットを販売している。複数の施設を見学する場合は割安になる。

 ・「戦艦「ミズーリ」記念館」「潜水艦「ボーフィン」博物館」:大人24ドル
 ・「戦艦「ミズーリ」記念館」「太平洋航空博物館」:大人28ドル
 ・「戦艦「ミズーリ」記念館」「潜水艦「ボーフィン」博物館」「太平洋航空博物館」:大人37ドル
入場料:無料
休館日:クリスマス、感謝祭、元旦
開館時間:07:00-17:00(入場は16:30まで)
(2010年現在)

HP: http://www.pearlharborhistoricsites.org/

戦艦「アリゾナ」記念館(USS Arizona Memorial)

「戦艦「アリゾナ」記念館(USS Arizona Memorial)」である。「戦艦「ミズーリ」記念館」から見る。
この記念館には毎年100万人以上が訪れている。

戦艦「アリゾナ」はペンシルバニア級戦艦の第2番艦としてニューヨーク海軍工廠に於いて起工、大正4年(1915年)6月19日に進水した。基準排水量は33100トン、全長185.32m、最大速は21ノット、主砲は45口径35.6cm砲×12門であった。日本海軍のの扶桑型戦艦とほぼ同時期であった。

昭和16年(1941年)7月8日、アメリカ西海岸ロングビーチから母港のハワイ諸島「オアフ島」に戻った戦艦「アリゾナ」は、ハワイ諸島近海において訓練を行っていた。真珠湾海軍工廠において10月27日からレーダー装備の改装を受け、12月4日夜、戦艦「アリゾナ」は戦艦「ネバダ」「オクラホマ」と夜間戦闘訓練に出発した。翌5日に「真珠湾」に戻り、湾内に浮かぶ「フォード島」の岸壁に停泊していた戦艦「アリゾナ」は、翌々日に運命の真珠湾奇襲の日を迎えた。

昭和16年(1941年)12月8日(現地時刻7日)8時、「九七艦上攻撃機」の投下した800kg爆弾が四番砲塔側面に命中、小火災が発生した。

続いて8時6分に一番砲塔と二番砲塔間の右舷に命中した爆弾が8時10分に火薬庫誘爆を引き起こした。艦首付近が大破して沈没し、1400名の将兵のうち1177名が死亡した。「真珠湾」は水深が浅い為、戦艦「ネバダ」のように引き上げられて修理されたものもあったが、戦艦「アリゾナ」は艦首付近の損傷が激しく修理は断念された。

1950年代に戦艦「アリゾナ」の解体除去計画が持ち上がったが、昭和33年(1958年)、アイゼンハワー大統領によって国定慰霊碑とすることが決定された。

昭和37年(1962年)に施設が作られ、昭和41年(1966年)に国家歴史登録財に指定された。また、海中に沈む戦艦「アリゾナ」の艦体自体も昭和60年(1985年)にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。

「戦艦「アリゾナ」記念館(USS Arizona Memorial)」は沈没した戦艦「アリゾナ」の真上に建っている。
「戦艦「アリゾナ」記念館」正面入り口である。

真珠湾の水深は浅く、艦体の一部(第三砲塔基部)が海面上に出ている。

展示内容詳細
・資料館展示
・アリゾナの艦体

「戦艦「アリゾナ」記念館(USS Arizona Memorial)」の展示内容
資料館展示真珠湾奇襲で沈没する前の戦艦「アリゾナ」の模型である。全長185.32mの艦体の中央に艦橋が設置され、その前後に三連装の砲塔二基ずつが配置されている。一番砲塔のさらに前の艦首部分には艦載機射出用のカタパルトが設置されている。アリゾ...

「戦艦「アリゾナ」記念館(USS Arizona Memorial)」の歩き方
「ワイキキ」の市街地からは、Route 20.40のバスで行く事が出来る。最寄の停留所は「アリゾナメモリアル(Arizona Memorial)」である。
「ワイキキ」の市街地からの所要時間は1時間20分程度である。バス停から道に向かって左側に信号がある(Kamehameha HWY.とKalaloa ST.の交差点)ので、道を渡ってそのまま海側へと歩くと「ビジターセンター」の入口が見えてくる。

戦艦「アリゾナ」の艦体は対岸の「フォード島」沖合いにある為、「ビジターセンター」から船が出ている。

「戦艦「アリゾナ」記念館」行きの船に乗るには、「ビジターセンター」内にある上映ホールで短編映画を観なければいけない。

チケット売場で映画のチケットを受け取り、短編映画を観る。この映画のチケットが乗船券になる。尚、これらは全て無料である。

短編映画は、日本軍の「真珠湾攻撃」が卑怯な騙まし討ちであり、その結果、米国はやむなく第二次世界大戦に参戦し、勝利を収めて世界に平和をもたらしたと言う内容である。

「真珠湾攻撃」に至る経緯に関しては、各自予め勉強し、この映画の内容がどのような立場からによるものかをしっかり理解すべきであろう。

船に乗ると、片道5分程で「戦艦「アリゾナ」記念館」に到着する。見学時間は20分程である。乗船中は、写真撮影は自由に出来るが、安全の為、座席から立ち上がってはいけない。

「フォード島」や戦艦「ミズーリ」がよく見えるので、これらの写真をとりたい場合は予め舷側に近い席に座った方が良いだろう。

平成21年(2009年)まで「ビジターセンター」内には、戦艦「アリゾナ」から引上げられた兵器や遺品を展示する「資料館」があった。
平成22年(2010年)現在、「資料館」の新築工事が行われており、これら展示品を見ることが出来ない。
一部の展示品は「潜水艦「ボーフィン」博物館」の「資料館」に移動しているようである。

保安上の理由からカバンを持込むことができない。
「ビジターセンター」入口前にて有料(3ドル:2010年)でカバンを預けることができる。
カメラや財布は、カバンから出して持込む事が出来る。

入場料:無料
休館日:クリスマス、感謝祭、元旦
開館時間:07:30-17:00(入場は15:00まで)
(2010年現在)

HP: http://www.nps.gov/usar

潜水艦「ボーフィン」博物館(USS Bowfin submarine Museum)

「潜水艦「ボーフィン」博物館(USS Bowfin submarine Museum)」である。

米海軍潜水艦「ボーフィン(バウフィン)」はバラオ級潜水艦として昭和17年(1942年)7月23日、ポーツマス海軍造船所で起工、昭和18年(1943年)5月1日、就役した。

バラオ級潜水艦はガトー級潜水艦の設計図を微修正して高張力鋼を使い、より深く潜行できる潜水艦として建造された。同級は120隻が就役した。

米海軍潜水艦は組織的な通商破壊を行い、日本の戦略物資の輸送を滞らせ、継戦能力を奪った。

「ボーフィン」は児童787人を含む疎開する民間人1788人を乗せた「対馬丸」を撃沈した。昭和19年(1944年)8月22日、「ボーフィン」はレーダーで「対馬丸」を含む5隻の輸送船団(ナモ103船団)を探知、艦首魚雷発射管からの魚雷で「対馬丸」を含む3隻を狙い、急旋回したのちに艦尾魚雷発射管からの魚雷で残りの2隻を狙った。「対馬丸」は右舷に2発の魚雷が命中し、その11分後に大爆発を起こして沈没した。

爆発の原因は機関部に魚雷が命中した為、と言われている。「ボーフィン」は、この攻撃で対馬丸を含む4隻を撃沈、と記録した。多くの疎開児童を含む乗員乗客1418人が死亡した。

多くの輸送船を沈めた「ボーフィン」は昭和22年(1947年)2月12日に退役した。朝鮮戦争勃発により昭和26年(1951年)7月27日に再就役、昭和29年(1954年)4月22日に退役。その後、昭和35年(1960年)1月10日、再就役、予備役訓練艦となった。昭和46年(1971年)12月1日に退役して除籍となった。

昭和56年(1981年)以降は真珠湾に保存され、昭和61年(1986年)にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。
なお、艦名の「ボーフィン(bowfin)」とはアメリカ東部に生息する淡水魚の名前である。

潜水艦へは岸から艦首に橋が渡されており、ここを通って艦内に入れるようになっている。

艦内は当時のまま保存されており、見学することができる。

チケット売場から潜水艦までの通路には米軍の魚雷が並べられている。戦時中のものから戦後のもの、訓練用のものなど様々な種類がある。

潜水艦の入口の反対側は「資料館」となっており、米軍潜水艦の歴史や装備品、写真、バトルフラッグなどが展示されている。
「資料館」の見学には「潜水艦「ボーフィン」博物館」のチケットが必要である。

また、「資料館」の裏手には日本軍の人間魚雷「回天」や米軍の機銃砲、艦載砲等が展示されている。こちらは自由に見学できる。

展示内容詳細
・艦内
・甲板
・資料館
・屋外展示

「潜水艦「ボーフィン」博物館(USS Bowfin submarine Museum)」の展示内容
艦内艦体の上は歩けるように木の板が張られている。艦体の上から内部に入れる階段が設置されている。艦首の21インチ(533mm)魚雷発射管である。ボーフィン号は艦首に6基、艦尾に4基の魚雷発射管を備えていた。魚雷発射管の手前は魚雷保管庫となって...

「潜水艦「ボーフィン」博物館(USS Bowfin submarine Museum)」の歩き方
「ワイキキ」の市街地からは、Route 20.40のバスで行く事が出来る。最寄の停留所は「アリゾナメモリアル(Arizona Memorial)」である。
「ワイキキ」の市街地からの所要時間は1時間20分程度である。バス停から道に向かって左側に信号がある(Kamehameha HWY.とKalaloa ST.の交差点)ので、道を渡ってそのまま海側へと歩くと「ビジターセンター」の入口が見えてくる。

潜水艦「ボーフィン」博物館(USS Bowfin submarine Museum)潜水艦「ボーフィン」博物館(USS Bowfin submarine Museum)「ビジターセンター」の中に入ると、チケット売場がある。ここでチケットを購入し、そこから右に曲がって500mほど歩く。

途中、ロケット(潜水艦用「ポラリスミサイル」)2基が展示されている。

ここを右に曲がり、魚雷の展示されている通路に従って進む。
左手に「潜水艦「ボーフィン」の艦体、右手に「資料館」がある。途中、「米海戦没潜水艦の記念碑」がある。

「潜水艦「ボーフィン」博物館」(艦体)入口では、音声ガイド(英語)の貸し出しも行っている。

「資料館」の見学には「潜水艦「ボーフィン」博物館」のチケットが必要である。「資料館」周辺の展示(人間魚雷・機関砲・艦載砲等)は自由に見学できる。
また、土産物屋、売店、休息場所などもある。

保安上の理由からカバンを持込むことができない。「ビジターセンター」入口前にて有料(3ドル:2010年)でカバンを預けることができる。カメラや財布は、カバンから出して持込む事が出来る。

入場料:10ドル
休館日:クリスマス、感謝祭、元旦
開館時間:08:00-17:00(入場は16:30まで)
(2010年現在)

HP: http://www.bowfin.org/

戦艦「ミズーリ」記念館(Battleship Missouri Memorial)

「戦艦「ミズーリ」記念館(Battleship Missouri Memorial)」である。
米海軍戦艦「ミズーリ」が記念艦として真珠湾のフォード島に係留され、保存、公開されている。

戦艦「ミズーリ」は、昭和16年(1941年)1月6日、アイオワ級戦艦の第3番艦としてニューヨーク海軍工廠で起工、昭和19年(1944年)6月11日、就役した。ミズーリは米海軍最後の戦艦であった。
大東亜戦争、朝鮮戦争に従軍、昭和30年(1955年)2月26日、退役して予備役艦隊所属となった。

昭和61年(1986年)5月10日、再就役し、近代化改装を施された。その後、平成3年(1991年)の湾岸戦争に従軍し、平成4年(1992年)3月31日、カルフォルニア州ロングビーチで退役した。

ミズーリは、昭和20年(1945年)9月2日、大東亜戦争終戦に於ける、日本の降伏調印式が行われた艦であった。
降伏調印式の会場となった甲板は現在も遺されている。日本にとっては因縁の場所である。

退役したミズーリは記念艦としての保存が決定し、平成11年(1999年)1月29日から現在の場所に係留され、「戦艦「ミズーリ」記念館」として公開されている。

艦橋にはこれまでの戦歴を示す多数の記章が施されている。

艦上・艦内を見学することができる。
艦上・艦内の主要な構造物・装置は建造当時のままである。現在、見ることが出来る数少ない戦艦である。

一部の構造物や装備品は、再就役時の近代化改装によって新しく装備された。

大艦巨砲を象徴する巨大な主砲(40cm)と、最新鋭の対艦ミサイル・巡航ミサイルやレーダーが並んで装備されている。戦後、65年近くを生きてきたミズーリならではの光景である。

全ての区画では無いが、艦内の見学も可能である。主として乗員の居住区である。

また、艦内の一部の区画は改装され、ミズーリの戦歴や、米海軍の歴史に関する各種資料の展示が行われている。

また、第二次世界大戦に関する展示も行われている。

基本的には、アメリカが世界に平和をもたらす為の戦いに勝利したという内容である。アメリカが自国の施設に於いてそれを主張する事は当然であり、そうすべきである。
それを見る側は、全てを鵜呑みにするのではなく、自ら歴史を学び、歴史にはあらゆる立場からの主張があることを理解しておく必要があるだろう。

展示内容詳細
・前部最上甲板
・後部最上甲板
・飛行甲板周辺
・副砲塔周辺
・トマホークデッキ
・防空指揮所
・航海艦橋
・艦内各室
・資料展示

「戦艦「ミズーリ」記念館(Battleship Missouri Memorial)」の展示内容
前部最上甲板米海軍の戦艦「ミズーリ」は、アイオワ級戦艦の第3番艦として、昭和15年(1940年)6月12日に建造発注され、ニューヨーク海軍工廠に於いて昭和16年(1941年)1月6日に起工、昭和19年(1944年)1月29日に進水し、6月1...

「戦艦「ミズーリ」記念館(Battleship Missouri Memorial)」の歩き方
「ワイキキ」の市街地からは、Route 20.40のバスで行く事が出来る。最寄の停留所は「アリゾナメモリアル(Arizona Memorial)」である。
「ワイキキ」の市街地からの所要時間は1時間20分程度である。バス停から道に向かって左側に信号がある(Kamehameha HWY.とKalaloa ST.の交差点)ので、道を渡ってそのまま海側へと歩くと「ビジターセンター」の入口が見えてくる。

戦艦「ミズーリ」の艦体は、対岸の「フォード島」にある為、「ビジターセンター」からシャトルバスが出ている。 「ビジターセンター」の中に入ると、チケット売場がある。ここでチケットを購入し、そこから右に曲がって500mほど歩く。

ロケット(潜水艦用「ポラリスミサイル」)2基が展示されているので、ここを左に曲がると、先にシャトルバス乗場がある。

シャトルバスに乗ると、「フォード島」の「太平洋航空博物館」入口まで運んでくれる。「フォード島」は米空軍の敷地なので、橋を渡って「フォード」島に入ってからは、バス車内から写真・ビデオ撮影をしてはならない。

シャトルバスは先に「戦艦「ミズーリ」記念館」に停まり、次に「太平洋航空博物館」に停まる。

「フォード島」は米空軍の敷地なので、バスを降りると「戦艦「ミズーリ」記念館」の反対側(基地の敷地内)に行ってはいけない。帰りのシャトルバスも、行きにバスを降りたところから出ている。

保安上の理由からカバンを持込むことができない。「ビジターセンター」入口前にて有料(3ドル:2010年)でカバンを預けることができる。カメラや財布は、カバンから出して持込む事が出来る。

入場料:16ドル
休館日:クリスマス、感謝祭、元旦
開館時間:09:00-17:00(入場は16:00まで)
(2010年現在)

HP: http://www.ussmissouri.com/

太平洋航空博物館(Pacific Aviation Museum)

「太平洋航空博物館(Pacific Aviation Museum)」である。

日本軍の「真珠湾攻撃」当時からある「格納庫(NO.37ハンガー)」(総面積3906㎡)を「博物館」に改装してある。当時、「格納庫(NO.37ハンガー)」は水上機用の格納庫であった。

展示されているのは、「零戦(二一型)」「P-40E(複製品)」「B-25B」「SBD-3」「F4F-3」等の航空機や、「真珠湾攻撃」に関する各種資料である。

展示機の多くは、日本軍の「真珠湾攻撃」に関連した航空機である。

幾つかの機体は、天井から吊って、飛行状態を模した展示が成されている。

「博物館」内(展示エリア総面積2325㎡)は非常に広いが、多少薄暗い。
展示機の数はあまり多くないので、場所に余裕をもって展示されている。

「真珠湾攻撃(昭和16年12月8日)」以降、太平洋戦線に於ける米軍の戦歴を紹介する展示が成されている。

「ミッドウェー海戦(昭和17年6月4日~7日)」「ガダルカナル島攻防戦(昭和17年7月~昭和18年2月)」に於いて活躍した米海軍の艦上戦闘機「F4F-3」や艦上爆撃機「SBD-3」が、当時の様子を再現した状態で展示されている。

「博物館」の外には「真珠湾攻撃」当時の「管制塔」が遺されている。

「管制塔」は、映画「パール・ハーバー」(2001年:アメリカ)の撮影に於いても使用された。

「博物館」に展示されている「当時のフォード島の様子を示した絵画」にも「管制塔」が描かれている。

「管制塔」の横には、米海軍の艦上戦闘機「F-14」が展示されている。
「F-14」は、映画「トップガン」(1986年:アメリカ)にも出演した。

展示内容詳細
・当時のフォード島(絵画)、零式艦上戦闘機二一型、航空爆弾(模型)、航空魚雷(模型)
・エアロニカ65TC(日本軍機と初遭遇した飛行機)、P-40E(複製品)、K作戦(第二次真珠湾攻撃)の説明
・銃器、航空機用発動機(アリソン「V-1710」プラット&ホイットニー「R-1690」)
・零式艦上戦闘機二一型の残骸、B-25B(ミッチェル)
・SBD-3(ドーントレス)、F4F-3(ワイルドキャット)
・ステアーマン N2S-3 / PT17 ケイデット、一式機動四十七粍速射砲

「太平洋航空博物館(Pacific Aviation Museum)」の展示内容
当時のフォード島(絵画)、零式艦上戦闘機二一型、航空爆弾(模型)、航空魚雷(模型)入口のすぐ左手に「当時のフォード島の様子を示した絵画」が展示されている。昭和16年(1941年)12月8日、日本海軍の「九九式艦上爆撃機」がまさに日米開戦第一...

「太平洋航空博物館(Pacific Aviation Museum)」の歩き方
「ワイキキ」の市街地からは、Route 20.40のバスで行く事が出来る。最寄の停留所は「アリゾナメモリアル(Arizona Memorial)」である。
「ワイキキ」の市街地からの所要時間は1時間20分程度である。バス停から道に向かって左側に信号がある(Kamehameha HWY.とKalaloa ST.の交差点)ので、道を渡ってそのまま海側へと歩くと「ビジターセンター」の入口が見えてくる。

「太平洋航空博物館」は、対岸の「フォード島」にある為、「ビジターセンター」からシャトルバスが出ている。 「ビジターセンター」の中に入ると、チケット売場がある。ここでチケットを購入し、そこから右に曲がって500mほど歩く。ロケット(潜水艦用「ポラリスミサイル」)2基が展示されているので、ここを左に曲がると、先にシャトルバス乗場がある。

シャトルバスに乗ると、「フォード島」の「太平洋航空博物館」入口まで運んでくれる。「フォード島」は米空軍の敷地なので、橋を渡って「フォード」島に入ってからは、バス車内から写真・ビデオ撮影をしてはならない。

シャトルバスは先に「戦艦「ミズーリ」記念館」に停まり、次に「太平洋航空博物館」に停まる。「フォード島」は米空軍の敷地なので、バスを降りると「太平洋航空博物館」以外に行ってはいけない。

「戦艦「ミズーリ」記念館」を見学した後、帰りのバス乗場からシャトルバスに乗ると「太平洋航空博物館」まで運んでくれる。
「戦艦「ミズーリ」記念館」のみチケットでは「太平洋航空博物館」には入れないが、「太平洋航空博物館」でもチケットを売っているので、後から購入する事もできるが、多少割高である。

保安上の理由からカバンを持込むことができない。
「ビジターセンター」入口前にて有料(3ドル:2010年)でカバンを預けることができる。
カメラや財布は、カバンから出して持込む事が出来る。

入場料:15ドル
休館日:クリスマス、感謝祭、元旦
開館時間:09:00-17:00(入場は16:00まで)
(2010年現在)

HP: http://pacificaviationmuseum.org/

大東亜戦争遺跡
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