F-15A(イーグル)
「F-15A(イーグル)」は全天候型の単座戦闘機である。この高い機動性を持つ戦闘機が米空軍に納入されたのは1974年11月14日のことであり、太平洋空軍へは1979年12月に展開した。この機を装備した第18戦術飛行隊は1987年に沖縄の嘉手納飛行場にも展開した。
この展示機は退役する「F-4C(ファントム)」と交代してヒッカム空軍基地に配備され、ハワイの防空任務についていた。
「F-15」は1980年に初めて日本に輸出され、のちに三菱重工でライセンス生産された。三菱重工は大東亜戦争中に「零式艦上戦闘機(零戦)」を生産した会社である。
初号機が輸出されてから30年以上が経過しているが、基本的能力が高く、202機(2008年)の「F-15」が近代改装を重ねながら現在も航空自衛隊の主力戦闘機として活躍している。
F-4C(ファントム)
「F-4C(ファントム)」は本格的なレーダーやミサイルを装備した汎用型戦闘機である。最初に太平洋空軍に配備されたのは1984年であった。この7ヵ月後にベトナム戦争で「F-4C」は「Mig- 17」に撃墜され、この戦争における初の非撃墜となった。
「F-4C」はヒッカム空軍基地の第154ハワイ防空複合集団において1980年から1986年まで運用されていた。
F-4C(ファントム)F-4C(ファントム)「F-4」は艦載機であり、尾部に着艦フックが装備されている。
日本向けに改良された「F-4EJ」型の日本への輸出が1966年に決定された。154機が輸出され、のちに三菱重工でライセンス生産された。2011年現在、日本でも稼働中の機体もあるが、かなり退役が進んでいる。
F-102A(デルタダガー)
「F-102A」は全天候型の邀撃機であり、超音速機の先駆者である。「F-102A」は1959年から1970年にかけて太平洋空軍で、1961年から1976年にハワイ防空隊にて運用されていた。
この展示機は太平洋空軍所属機であり、ベトナム戦争時代にタイや南ベトナムに展開した戦歴を持つ。
当初「F-102」は主にアメリカ本土に展開していた。また、航空自衛隊が採用することはなかった。
国外への展開が始まったのちは、横田、板付、三沢などの米軍基地に配備されたものもあった。
F-86E(セイバー)
「F-86(セイバー)」は単座の戦闘爆撃機である。最初の型が飛行したのは1947年10月1日である。朝鮮戦争では高い機動性で「Mig-15」より優位に立った。
この展示機は朝鮮戦争で展開した第51防空隊のマーキングに塗装されている。
日本は昭和20年の敗戦で軍を解散した。1954年に自衛隊として再建されることとなり、翌年の1955年に30機の「F-86」がアメリカより供与された。「F-86」はのちに三菱重工でライセンス生産された。
最大時では435機の「F-86」が航空自衛隊で運用され、「旭光」の愛称で呼ばれた。航空自衛隊の最初の主力戦闘機であり、1962年に「F-104J(スターファイター)」に更新が始まるまで日本の防空の中心を担った。最後の機が退役したのは1982年であった。