マカプウ岬周辺の戦跡一覧
マカプウ岬
ハワイ島東端のマカプウ岬である。
岬は溶岩が固まったようなごつごつとした岩肌が続いている。
この付近の海では時おり鯨を見ることができるようである。
付近にオアフ島の東側を通る外周道路があり、ここまではバスで来ることができる。
真珠湾攻撃の第一波はオアフ島の西側から進入し、第二派は東側から進入した。第二派のうち急降下爆撃隊はマカプウ岬の北のカネオヘ飛行場を攻撃した。
一方、水平爆撃隊はマカプウ岬を北から南へ横切り、オアフ島の南側を通過して真珠湾へ向かった。
外周道路から岬の先端へ向けて遊歩道が通っている。
岬の先端には展望台などが設置されている。
展望台から北方向を見たところである。真珠湾攻撃の日、ここからはこの方向から飛来する「九七式艦上攻撃機(97艦爆)」と護衛の「零式艦上戦闘機(零戦)」が見えたことであろう。
灯台が設置されている。
岬の先端部分である。
真珠湾方向を望む。写真中央の山の向こう側が真珠湾である。日本軍艦載機の搭乗員達もあの日に同じ景色を見たはずである。
「マカプウ岬」の歩き方
岬の西側に島の外周道路が通っている。この外周道路沿いに岬先端へとつながるゲートがある。
バス停はゲートからは少し離れているので、若干歩かなくてはならない。
沿岸警備隊監視所跡
マカプウ岬には沿岸警備隊監視所があった。遊歩道からは若干離れた丘の上にあるので、たどり着くには獣道を歩かなくてはならない。
付近には関連施設と思われるコンクリートの構造物が遺されている。
監視所は半地下の構造となっている。地面と天井の間が開放されており、360度の監視が可能である。
監視所内部である。観測鏡を設置するためと思われる台座が遺されている。
観測所内部から外を見たところである。真珠湾攻撃の日、ここにいた監視員は真珠湾方向に飛び去る無数の日本軍機を見たのであろうか。
もう一つの監視所である。構造は一つ目のものと同じであるが、天井部分を支える支柱が一部折れている。
入口部分である。
内部には同じく観測鏡を設置したと思われる台座が遺されている。
付近には関連施設と思われるコンクリートの構築物がある。
監視所から真珠湾方向を見たところである。
「沿岸警備隊監視所跡」の歩き方
外周道路から遊歩道に入り、マカプウ岬の展望台方向へ向かう。展望台から少し内陸側(西側)の丘の上に監視所がある。
PBYカタリナ飛行艇
マカプウ岬の展望台の近くに慰霊碑が設置されている。これは昭和17年(1942年)4月5日、この地で墜落した「PBY(カタリナ飛行艇)」を慰霊するものである。
「PBY」は第二次世界大戦中、米海軍で対潜哨戒や沿岸警備、海難救助など幅広い用途に運用された。最高速度は時速280kmで開戦時には既に旧式化していたが、長い航続距離と信頼性で現場部隊からの評価は高く、後継の「PBM(マーチン)」が開発された後も終戦、そして戦後も使われ続けた。
墜落事故の様子を記したプレートが設置されている。事故はマウイ島付近で12.5時間の哨戒任務ののちに発生した。当該機が基地に帰投しようとしたとき、既に日没を向かえ、さらに悪天候のため視界不良であった。
パイロットはこの地のマカプウポイント航空灯台をオアフ島南西のバーバースポイント航空灯台と間違え、高度を下げて着陸のための旋回を行ったところでマカプウ岬の山腹に激突した。慰霊碑は見晴らしの良い場所に設置されている。
「PBYカタリナ飛行艇遭難慰霊碑」の歩き方
慰霊碑はマカプウ岬の展望台に至る遊歩道沿い、展望台の少し手前の場所に設置されている。