サン・ロケ地区(旧マタンサ)

サン・ロケ地区(旧マタンサ)の戦跡一覧

大東亜戦争におけるサイパン島の歴史
サイパン島北部の戦跡・バナデル周辺(旧マッピ岬・旧マッピ山・旧バナデル平原)・ラストコマンドポスト周辺・サン・ロケ地区(旧マタンサ)サイパン島中部の戦跡・キャピトル・ヒル周辺・タッポーチョ山(タポチョ山)周辺サイパン島西部の戦跡・ガラパン市...

司令部壕跡(地獄谷)

サイパン島北部、サン・ロケという町の内陸部には「地獄谷」と呼ばれた谷があった。米軍上陸後、主要拠点を失った日本軍は山岳部に立てこもった。

圧倒的優勢な火力を持つ米軍であったが、起伏の激しい地形では米軍も戦車などの重火器を有効に生かすことができず、まさに洞窟陣地に立てこもる日本軍兵士と米軍兵士の撃ち合いとなり、まさに戦場は文字通り「地獄」であった。

付近に壕は複数あり詳細は諸説あるが、ここが最も大きい壕で現地では組織的抵抗が崩壊する寸前の追い詰められた日本軍が司令部としていた「最後の司令部壕」であったと伝えられている。

最後の総攻撃の前に、中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一中将、第四三師団斉藤義次中将、第三一軍参謀長井桁敬治少将が自決した。映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」では参謀長矢野英雄少将もここで自決した、と描かれているが、当時の生き残りの参謀の話では別の場所で戦死した、ということであり真偽は定かでない。

「司令部壕跡(地獄谷)」の歩き方


ガラパン市街からマッピ・ロード(Marpi Rd)を北上する。ガラパン市街から約6km進むとサン・ロケ地区に入る。

やがて左手(海側)に「アクアリゾートクラブ サイパン」が見えてくる。

ここから850m程進むとマッピ・ロード(Marpi Rd)とSan Roque Dr.との「十字路」がある。
「十字路」の先には、左手(海側)に「ネクターサイパンホテル&スパ サイパン」がある。

「十字路」を右折してSan Roque Dr.に入る。

San Roque Dr.に入って200mほど山側に進むと二股の「分岐」があるので、右側(細い方)に進む。「分岐」から更に200m程進むと道が左に直角に曲がる場所がある。(写真左 →)

ここに「ダート道の入口」があり、山側へと続いている。

尚、ここを左に道なりに進むと、入口に砲弾を飾った「民家」に行き着く。

「ダート道の入口」から先に進む。

「ダート道」をしばらく進むと、背丈ほどの藪が生い茂り、「ダート道」をたどるのが困難となる。

藪を掻き分けて先に進む。両側を斜面に囲まれた谷の様な地形になっている。この付近が「地獄谷」の入口である。

更に進むと藪を抜けて「獣道」が出てくる。この「獣道」を更に進む。
ピンクのリボンがところどころ木にくくりつけられているので、これを辿っていく。(写真右 →)

「獣道」は沢に沿って続いている。
途中、土砂流出防止の為に、金網(蛇籠)で石を囲った砂防ダムが設置されている所を何箇所か超えていく。

「藪の入口」から10分ほど「獣道」を進むと、右手の斜面の中腹に「洞窟」が見えてくる。
「洞窟」は更に上にもある。この付近が「司令部壕跡」である。

尚、この周辺には不発弾が遺されている事がある。今回も手榴弾を発見した。もし不発弾を見つけた場合は、手を触れてはいけない。

大東亜戦争遺跡
「大東亜戦争遺跡」について「大東亜戦争全史」と並び、本サイトのメインコンテンツです。日本国内や東アジア・中部太平洋方面には、大東亜戦争に関する遺跡・遺物が多数遺されています。それらは、かつて戦闘が行われた場所であったり、当時の兵器類であった...
大東亜戦争におけるマリアナ諸島の歴史
マリアナ諸島(Mariana Islands)は、日本から南に約2000㎞、フィリピン諸島から東に約2000㎞、北緯13°~21°・東経144°~146°、ミクロネシアの北西部に位置し、南北約800kmに渡って約15の島が並ぶ弧状の列島であ...
大東亜戦争におけるサイパン島の歴史
サイパン島北部の戦跡・バナデル周辺(旧マッピ岬・旧マッピ山・旧バナデル平原)・ラストコマンドポスト周辺・サン・ロケ地区(旧マタンサ)サイパン島中部の戦跡・キャピトル・ヒル周辺・タッポーチョ山(タポチョ山)周辺サイパン島西部の戦跡・ガラパン市...