ブロードウェイ周辺

ブロードウェイ周辺の戦跡一覧

大東亜戦争におけるテニアン島の歴史
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アメリカ記念碑(日の出神社)

テニアン島を南北に貫く「ブロードウェイ」の北に「日の出神社(アメリカ記念碑)」と呼ばれている場所がある。
看板には「AMERICAN MEMORIAL HINODE SHRINE」とあり、これは戦没した米兵の慰霊碑として戦後にアメリカによって建てられた。

各種ガイドブックや旅行記に於いて「日の出神社(HINODE SHRINE)」と記載され、多くの観光客も「日の出神社」と呼んでいる。
これは誤りである。所謂「神社(Shrine)」ではなく「記念碑(Memorial)」である。よって、「日の出神社」では無く「アメリカ記念碑」と呼ぶのが妥当である。

本来の「日之出神社」はここより少し南にあった。
現在「NKK神社跡」と、こちらも誤った名称で呼ばれている。

場所が近い上に、「アメリカ記念碑」が鳥居や灯篭を配置している為、戦後になって現地人や欧米人によって「神社」と混同され、「日の出神社」と誤って伝えられたと思われる。

鳥居や灯篭を配しているが、所謂「神社」の体裁は成していない。

灯篭は石造りである。他の神社跡から移動させて、「記念碑」としてここに置いたのだろうか。

現在は「記念碑」の一部であった鳥居の木柱が2本遺されるのみで、鳥居自体は失われている。

「アメリカ記念碑」は「ブロードウェイ」の北のロータリーの中心にある。ロータリーの北(写真右上)に 「ノース・フィールド飛行場跡」が見える。
珊瑚礁の石炭石を積んだ低い石垣の四隅に灯籠が置かれている。

海外に於ける観光ガイド等の記述や説明には、少なからず間違いがある。また、誤った説明が定説として流布されている場合も少なくない。
この「アメリカ記念碑」や「日之出神社」に関してもその一例である。
戦跡や戦史を学ぶ際には、海外での説明を鵜呑みにせず、正しい知識を得ることが大切である。

「アメリカ記念碑(日の出神社)」の歩き方
「ブロードウェイ」の北にある。

「テニアン空港」のターミナルを出て「ブロードウェイ」に出たら左折して真っ直ぐ北へ進む。

2.3km程進むと「86番通(86 St.)」とのT字路がある。このT字路を越えて更に進む。

4.5km程進むと前方にロータリーが見えてくる。

このロータリーの中心に「アメリカ記念碑(日の出神社)」がある。

日之出神社跡(NKK神社跡)

現在、「テニアン空港」から「ブロードウェイ」を北上し、道路の西側の木々に覆われた場所に「日之出神社跡」が遺されている。
かつてここ一帯はアンガーと呼ばれ、南洋興発第四農場があった。

「日之出神社」は、昭和14年(1939年)7月18日、テニアン島アンガーにあった南洋興発第四農場の有志によって建てられた。
祭神は天照大神・大国主神・貴船神、境内は2166坪、氏子数1678人であった。

戦後はこの付近に住む人がいなくなり、「日之出神社」は荒廃した。

更に、ここから少し北、「ブロードウェイ」の北のロータリーにある「アメリカ記念碑」が鳥居や灯篭を配置していた為、「アメリカ記念碑」が「日の出神社(HINODE SHRINE)」として誤って伝えられてきた。

また、本来の「日之出神社」も南洋興発の出資があった為、戦後、いつの間にか「NKK(Nanyo Kouhatsu Kaisha)神社」という名称で伝えられてきた。しかし、これは誤りである。そもそも「NKK神社」等という名称の神社は存在しない。

「ブロードウェイ」の側に大きな石の鳥居(一の鳥居)が遺されている。
かつてはここが「日之出神社」の参道入口であった。

「一の鳥居」から奥に進むと、木々の中に「二の鳥居」「灯篭」が遺されている。
ここには戦跡を示す看板が建てられている。

「二の鳥居」「灯篭」の側には錆びたレールが遺されている。

当時、南洋興発第四農場で使用されていたサトウキビ輸送用の軽便鉄道のレールである。

「二の鳥居」から更に奥に進むと「本殿跡」「灯篭」が遺されている。

「本殿跡」は石の柵で囲まれている。本殿の建物は失われ、土台のみが遺されている。

かつて、「日之出神社」には付近に住む多くの日本人が訪れ、大いに賑わった。今は、付近に住む人も無く、密林の中にひっそりと「神社跡」だけが遺されている。

「日之出神社跡(NKK神社跡)」の歩き方
日之出神社跡(NKK神社跡)日之出神社跡(NKK神社跡)「ブロードウェイ」の北にある。
「アメリカ記念碑」のやや南である。

「テニアン空港」のターミナルを出て「ブロードウェイ」に出たら左折して真っ直ぐ北へ進む。

2.3km程進むと「86番通(86 St.)」とのT字路がある。このT字路を越えて更に進む。

4.4km程進むと「ブロードウェイ」の左側(西側)の木立の中に大きな鳥居が見える。
また、ここは「アメリカ記念碑」のロータリーから100m程南下した場所である。

この鳥居が「日之出神社跡」の「一の鳥居」である。「一の鳥居」の前には大きな椰子の木があり、北側には「アメリカ記念碑」のロータリーが見えている。

「一の鳥居」から奥(西側)が「日之出神社跡」である。

「一の鳥居」から奥(西側)進むと、「二の鳥居」「灯篭」がある。ここには戦跡看板が建てられている。

「二の鳥居」「灯篭」から更に奥(西側)に進むと「本殿跡」がある。

日本軍壕跡

「ラッソ山」の東側の麓一帯には日本軍が防衛用に築いた「壕」が多数遺されている。

「ラッソ山」の東の麓は険しい崖になっており、その崖に「壕」がある。この「壕」は天然の岩の隙間を利用している。入口は狭く、かがまないと中には入れない。

「壕」の付近には「石垣」が遺されている。「石垣」で「壕」を補強していたことが分かる。

テニアン島を含むマリアナ諸島では、コンクリートなどの築城資材不足を補う為に、石を積んだ陣地や壕が多数見られる。

「壕」の内部には、錆びたトタン板の破片が遺されている。当時の物なのかは不明である。

テニアン島に米軍が上陸すると、日本軍はこの様な壕に潜んで米軍と戦ったのである。また、多くの一般邦人も壕に身を潜めていた。

「日本軍壕跡」の歩き方
「ブロードウェイ」の北にある。

「テニアン空港」のターミナルを出て「ブロードウェイ」に出たら左折して真っ直ぐ北へ進む。

2.3km程進むと「86番通(86 St.)」とのT字路がある。このT字路を越えて更に進む。

2.8km程進むと「ブロードウェイ」の左側(西側)にピンクのリボンを結んだ椰子の木がある。
「日本軍通信局跡」からは「ブロードウェイ」を約1.7km北上した場所である。

この椰子の木のある場所に、西に向かう小道の入口がある。

向かいには「ラッソ山」が見え、小道は「ラッソ山」の麓を目指している。

小道に沿って「ラッソ山」の麓(西側)に向けて進む。周囲は草が生い茂っている。

小道沿いに藪の中を進むと、「ラッソ山」の麓あたりに木が生い茂った場所がある。ここに戦跡を示す看板がある。

看板より後ろは「ラッソ山」が急な斜面になっている。この斜面一帯に「壕」や「石垣」がある。

付近の木にはピンクのリボンがあり、これらを辿って行くと「壕」や「石垣」を見つけることが出来る。付近は急斜面で足場が悪いので十分な注意が必要である。

日本軍通信局跡

「ブロードウェイ」の途中に「日本軍通信局跡」が遺されている。

昭和19年6月末、テニアン島の目と鼻の先にあるサイパン島では日本軍と米軍の激しい戦闘が行われていた。この通信局はその様子を大本営に打電し続けていた。

やがて、サイパン島での日本軍の戦局は日増しに悪化、テニアン島からも、一刻も早い救援を大本営に要請し続けていた。

しかし、マリアナ諸島の日本軍将兵・一般邦人が一日千秋の想いで待ち続けた救援は、遂にやって来ることは無かった。

この建物は日本統治時代に島間の通信の為に建設された。2階建ての立派な建物である。

窓や扉は鉄製の堅牢な造りである。マリアナ諸島各地の日本軍施設に見られる形状であり、戦時中に強化されたものであろうか。

米軍はテニアン島占領後、この建物を使用していた。内部はペンキが塗られ、部屋の入り口には英語表記が遺されている。一時期は捕虜の収容施設としても使用されていた。

一部は荒れ果てているが、建物に大きな損傷は見られない。米軍の攻撃を免れたか、米軍が修復したと思われる。

「日本軍通信局跡 」の歩き方
「ブロードウェイ」の中ほど、「テニアン空港」の北東にある。

「テニアン空港」のターミナルを出て「ブロードウェイ」に出たら左折して真っ直ぐ北へ進む。

2.3km程進むと「86番通(86 St.)」とのT字路がある。このT字路を越えて更に進む。

1.3km程進むと「ブロードウェイ」の右側(東側)に「日本軍通信局跡」がある。
正面には戦跡を示す看板が建てられている。

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