コロール島: メインストリート周辺

大東亜戦争におけるコロール島・バベルダオブ島の歴史
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メインストリート周辺の戦跡一覧

ベラウ国立博物館

「ベラウ国立博物館(Belau National Museum)」はパラオ諸島の有史以来の歴史を展示する博物館である。「ベラウ」とはパラオ語で「パラオ」を意味する。

正門から入ったところはロータリーとなっている。右手奥が「博物館」の建物である。

棟は2つつながっている形となっており、左手側が展示室、右手側がカフェとなっている。
カフェでは簡単な軽食も出している。

建物に入った部屋ではパラオ諸島の歴史に関するグッズが販売されている。左手のカウンターが受け付けであり、ここで入場料を払う。
2階部分が日本統治時代に関する展示となっている。日本統治時代から遺る建物の解説や当時の品々のほか、各種資料が豊富であが、撮影は禁止である。

「博物館」の建物の手前には日本軍兵器が展示、というか1ヶ所にまとめられて置かれている。「九六式二十五粍高角機銃」「八八式七糎半野戦高射砲」の他、「プロペラ」「航空爆弾」などがある。

「博物館」はかつてロータリー左手側の建物であった。この建物は戦前は「南洋庁観測所庁舎」として使用されていた。正確な建設時期は不明であるが、増築記録から少なくとも昭和4年(1929年)7月以前に建設されたと考えられている。

戦後は大幅な増築が行われており、特に2階部分は3/4が増築されている。この入口部分も戦後に増築された。「図書館」との札がかかっており、開館時間なども書かれているが、現在使われている様子はなかった。

ロータリーには「平和之礎」と刻まれた「記念碑」が建てられている。

昭和60年(1985年)6月30日に暗殺された、パラオ共和国(自治政府)初代大統領「ハルオ・イグナシオ・レメリク(Haruo Ignacio Remeliik)」の名前が刻まれ、胸像が置かれている。

「記念碑」の隣に「慰霊碑」が建てられている。
平成3年(1991年)3月、京都府綾部市の団体が寄贈した。

展示内容詳細
・九六式二十五粍高角機銃
・九八式二十粍高射機関砲
・八八式七糎半野戦高射砲
・米軍航空機用プロペラ・航空爆弾・機雷
・記念碑・慰霊碑

「ベラウ国立博物館」の展示内容
九六式二十五粍高角機銃「九六式二十五粍高角機銃(96式25mm高角機銃)」が展示されている。本銃は、口径25mm・銃身長1.5m・装弾数15発(箱型弾倉)・実用発射速度120発/分であった。日本海軍の代表的な高角機銃として、大東亜戦争全期間...

「ベラウ国立博物館」の歩き方
メインストリート沿いのWCTCショッピングセンターから南へ道なりに約700mのところに博物館の正門がある。

右奥の建物が博物館であり、左奥の建物が旧観測所である。日本軍兵器は、「博物館」敷地に入って右側に屋外展示されている。「博物館」前のロータリーには「記念碑」「慰霊碑」がある。

側にはパラオ諸島の伝統建築物「バイ(Bai)」と、古代のカヌーが屋外展示されている。

「博物館」内は撮影禁止である。
屋外展示に関しては撮影は自由である。
ただし、屋外展示されているパラオ諸島の伝統建築物「バイ(Bai)」の動画撮影は有料である。

入場料:5ドル
開場時間:08:00-16:30
休館日:土曜、日曜、祝日
HP:http://www.belaunationalmuseum.org/
(2010年現在)

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