「ベラウ国立博物館」の展示内容

大東亜戦争におけるコロール島・バベルダオブ島の歴史
パラオ共和国の首都はかつてコロール島コロール州であったが、平成18年(2006年)にバベルダオブ島のマルキョク州に移転した。しかし、現在も経済、交通の中心地はコロール島である。また、パラオ共和国約2万人の人口の約半分はコロール島に住んでいる...
コロール島: メインストリート周辺
メインストリート周辺の戦跡一覧ベラウ国立博物館「ベラウ国立博物館(Belau National Museum)」はパラオ諸島の有史以来の歴史を展示する博物館である。「ベラウ」とはパラオ語で「パラオ」を意味する。正門から入ったところはロータリ...

九六式二十五粍高角機銃

「九六式二十五粍高角機銃(96式25mm高角機銃)」が展示されている。

本銃は、口径25mm・銃身長1.5m・装弾数15発(箱型弾倉)・実用発射速度120発/分であった。
日本海軍の代表的な高角機銃として、大東亜戦争全期間に渡って、艦船・陸上に於いて使用された。

大東亜戦争後半には、高射機関砲の不足していた陸軍にも一部が移管され、特設機関砲隊に於いて運用された。

単装・連装・三連装があったが、ここに展示されているのは連装であり、銃架重量は1100kgであった。
2本の銃身が旋回銃架に搭載されており、右に旋回手・左に銃手が座って操作した。銃架後方には装填手が位置し、弾倉の交換を行った。

銃身の先端には閃光覆い(フラッシュハイダー)が装着されていた。
発砲時の閃光によって銃手の目が眩んで照準の妨げになる事を防ぐ為の装備であった。

旋回銃架右側には、旋回手の座席と旋回用ハンドルが装備された。

座席前方には旋回手用の環状照準機が装備されたが、展示されている本銃では失われている。

旋回手がこのハンドルを回転させると、旋回銃架ごと左右に旋回した。
360度全周に旋回可能であり、最大旋回速度は18度/秒であった。

旋回銃架左側には、銃手の座席と俯仰角用のハンドル・撃発ペダル(引金)が装備された。

銃手がこのハンドルを回転させると、2本の銃身が上下した。発射は足元のペダルを踏むことで行った。

俯仰角度は-10~80度の範囲であり、最大俯仰速度は12度/秒であった。

映画「男たちの大和」(2005年:日本)では、本銃(三連装)を操作するシーンが多数登場する。

九八式二十粍高射機関砲

「九八式二十粍高射機関砲(98式20mm高射機関砲)」が展示されている。

本砲は、日本陸軍の代表的な高射機関砲として、大亜戦争全期間に渡って使用された。
フランスのホチキス社製機関砲の機構を参考にして開発された為、「ホキ砲」とも呼称された。

口径は20mm、低中高度の航空機に対する高射機関砲として開発されたが、対地戦闘・対戦車戦闘も考慮されていた。

研究・開発は、昭和8年(1933年)9月に開始され、試作や試験を経て、昭和14年(1940年)に制式採用された。
初陣は、昭和14年(1939年)の「ノモンハン事件」であり、対空戦闘の他に、対戦車戦闘に於いても戦果を挙げた。

最大発射速度:300発/分(実用発射速度:120発/分)、初速:950m/秒、最大射程距離:6000m(最大射高:3500m)、総重量373kgであり、約2600門が生産された。

砲口にはマズルブレーキが装着された。
これは、発砲時の爆風を砲口から左右に噴出させ、砲口のぶれを防ぐ為の装置である。

給弾は20発入箱型弾倉によって行われた。

本砲の弾薬には、対空用の榴弾と対戦車用の徹甲弾があった。また、弾薬は「九七式自動砲」と互換があった。

本砲は、野戦高射火器として様々な兵科に於いて運用する事を想定していた。その為、砲架には車輪が装着され、運搬車として使用する事で、迅速な移動が可能であった。

本砲の側には、運搬車(砲架)のみも展示されている。
本砲の運搬車の仕組みがよく分かる。車輪は失われているが、砲脚が開かれ、射撃姿勢になっている。また、砲架は大きな仰角を取っているのが分かる。

3本の砲脚を開き、車輪を地面から浮かして射撃姿勢を取った。砲架は360度全周に旋回可能であった。また、緊急時には、車輪を接地したまま射撃することも可能であった。

運搬時は、車輪を接地させ、運搬車に前車を繋いで、馬匹2頭又は人力での運搬が可能であった。

これ以外にも、本砲は、自動貨車(トラック)や装軌車( 「九七式軽装甲車」)に搭載され、自走高射機関砲としても運用された。

八八式七糎半野戦高射砲

「八八式七糎半野戦高射砲(88式7.5cm野戦高射砲)」の砲身が展示されている。

本砲は、日本陸軍の代表的な高射砲として、大亜戦争全期間に渡って使用された。

砲脚や砲架の殆どは失われており、砲身と駐退機が遺されている。

本砲は、昭和3年(1928年)に制式化された、非常に優秀な高射砲であった。

しかしながら、日本陸軍の火砲の多くがそうであったように、馬匹での移動を考慮して重量を大幅に軽減されていた。その結果、耐久性に問題があった。

特に駐退機の耐久性が低く、連続発射を行うと駐退機が故障するという事故が多発した。

本砲は、高射砲としてのみならず、その高初速(720m/秒)を生かし、砲身を水平にしての対戦車戦闘にも相当の成果を挙げた。
しかし、駐退機の故障によって射撃不能になり、放棄された本砲も多数あった。

米軍航空機用プロペラ・航空爆弾・機雷

「米軍航空機用プロペラ」が展示されている。
米国のハミルトン・スタンダード社製の航空機用の3翔プロペラである。

3翔のブレードの内1翔は失われている。
プロペラ先端の覆い(プロペラスピナー)が失われている為、内部が見える。ブレードの取付角度を変えられる可変ピッチプロペラであった事が分かる。

米軍の「F4F」「F6F」等、多くの航空機に使用された。

「航空爆弾」が展示されている。

弾尾部の翼や弾頭部の信管は失われている。
弾頭部に一度はずした形跡がある為、内部の炸薬は処分されていると思われる。

大きさと形状から、日本海軍の二十五番航空爆弾(250kg爆弾)ではないかと思われるが、形式等は詳細不明である。

「機雷」が展示されている。
日本軍の「機雷」と思われるが、形式等は詳細不明である。
元々は球状の「機雷」であったが、現在は片側半分になっている。取っ手が2箇所ある。

同形状の片側半分がもう1個展示されている。こちらは取っ手が1箇所失われている。

前述の片側半分と合わせて、元々1個の「機雷」だった可能性がある。内部の炸薬を処分する為に2つに分割されたのであろうか。

記念碑・慰霊碑

「ベラウ国立博物館」前のロータリーに「記念碑」「慰霊碑」が建てられている。
「記念碑」は、パラオ共和国(自治政府)初代大統領「ハルオ・イグナシオ・レメリク(Haruo Ignacio Remeliik)」を記念し、昭和61年(1986年)1月28日、日本パラオ友好協会よって建てられた。

「ハルオ・イグナシオ・レメリク」は、昭和11年(1933年)6月1日に日系人としてペリリュー島に生まれた。
昭和53年(1981年)3月2日にパラオ共和国(自治政府)初代大統領に就任し、パラオ共和国の独立に尽力した。

しかしながら、昭和60年(1985年)6月30日、反政府組織に暗殺された。享年52歳であった。
ペリリュー島北部に「大統領の墓」がある。

「記念碑」の後ろには、「慰霊碑」が建てられている。「慰霊碑」は平成3年(1991年)3月、京都府綾部市の有志によって建てられた。

碑文には
「さきの 太平洋戦争にて 亡くなられた
パラオの人の 冥福を祈ります」
という言葉が、日本語と英語で彫られている。

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