バベルダオブ島: ガスパン州の戦跡一覧
旧大和村入口の圧石車(ローラー)
バベルダオブ島西岸のガスパン州から内陸に入った場所に、日本統治時代、大和村という村があった。
幹線道路から大和村へ続く道の入口に「圧石車(ローラー)」が遺されている。
現代の「ローラー」と比べるとかなり小さい。特に幅が細く、スリムな外観である。
当時は主にモッコやツルハシなどの人力で土木作業を行うのが日本では当たり前だった時代である。圧石車はかなり珍しい存在であった。
大東亜戦争開戦時、グアム島で鹵獲した米軍のブルドーザーを使ってみてその作業効率に日本軍が驚かされた、という逸話が残っている。
鉄輪部分である。
この「圧石車」の詳細は不明であるが、もしかしたら別の太平洋地域で鹵獲された米軍のものを運んできて使っていたのかもしれない。
車体側面にベルトのようなものが取り付けられている。
「圧石車」の脇から山へ向けて道が続いているが、かなり草が生い茂っていて通行は困難のようである。 現地住民の話では、この道を2時間歩いたところに大和村の「建物跡」が遺されているそうである。
「旧大和村入口の圧石車(ローラー)」の歩き方
コロール島方面からは「ニューKBブリッジ」を通ったあと幹線道路を北上する。
ガスパン州への集落へと分岐する「交差点(T字路)」を越え、1.5km程行ったところに「橋」がある。この「橋」を越えて500m程行った右手に脇道がある。
この脇道を20m程入ったところに「圧石車」がある。右写真は脇道入口である。
徳風会慰霊塔
京都市に本部を置く「徳風会」という団体が、戦死した日米将兵と戦火に巻き込まれて亡くなったパラオの人を慰霊するために平成7年(1995年)に立てた「慰霊塔」である。
「塔」の高さは10m程度であろうか。
「塔」の手前に碑文が置かれている。
現地住民の話では、地権者との間で何かトラブルがあったそうである。そのためか、「慰霊塔」への入口はチェーンがかけられている。
「徳風会慰霊塔」の歩き方
徳風会慰霊塔コロール島方面からは「ニューKBブリッジ」を通ったあと幹線道路を北上する。
ガスパン州への集落へと分岐する「交差点(T字路)」の200m程手前の右手側である。
幹線道路から「慰霊塔」が見えるので、すぐに分かるだろう。
戦没者慰霊塔
パラオ地域で収集された遺骨を納骨した慰霊塔である。
付近には車両の部品のようなものが散らばっているが、当時のものかどうかも含めて詳細不明である。
この「慰霊塔」が設立された経緯が記された石板が置かれている。パラオ地域遺骨収集隊の手により収集された日本とパラオの人々の遺骨を慰霊の後納骨した、と記されている。昭和61年(1986年)9月に建てられたもののようである。
協賛企業一覧らしきプレートが設置されている。日本の大企業が名を連ねている。
「塔」へ続く階段である。
「塔」は真ん中に十字の空間を配置した壁のような構造となっている。恐らくこの下に納骨堂があるのであろう。
壁の角部分に「日本国・パラオ共和国・戦没者慰霊塔」のプレートがはめ込まれている。慰霊に訪れた人が置いたものであろう、卒塔婆と日本国旗が供えられている。
左下には昭和19年(1944年)1月8日に33歳で戦死した軍人の個人名が書かれたプレートが置かれている。遺族が慰霊に訪れたときに供えたものであろう。
「戦没者慰霊塔」の歩き方
コロール島方面からは「ニューKBブリッジ」を通ったあと幹線道路を北上する。
マルキョク方面へと分岐する「交差点」を1km程越えた左手側である。
なお、この交差点の右手前側には倒れた「通信塔」が幹線道路から見えるので目印となる。
「慰霊塔」への入口には幹線道路沿いに「黄色い屋根の目印」がある。入口から150m程入ったところに「慰霊塔」がある。
通信塔
「通信塔」である。完全に根元から折れて倒れている。
「通信塔」の先端部分である。
「通信塔」の中から先端部分に向かって撮影したものである。「通信塔」の高さは50m程度だったように見える。
「通信塔」の脚部分である。土台部分は残っているが、根元から完全に破断している。
「通信塔」の歩き方
コロール島方面からは「ニューKBブリッジ」を通ったあと幹線道路を北上する。
ガスパン州でマルキョク方面へと分岐する「交差点」がある。
この交差点の右手前側に倒れた「通信塔」がある。
「通信塔」は幹線道路からも見えるのですぐに分かるであろう。
通信所跡
「通信塔」のすぐ近くに建物が遺されている。
「通信塔」との位置関係から、恐らく通信所であったものと推測される。バベルダオブ島南側には 「海軍通信隊の建物」が遺されているが、あちらはこの「建物」よりかなり大掛かりな「建物」である。こちらは本部ではなく、塔の保守管理などをする出張所だったのであろう。
戦争時には野戦病院として使われた、という話もあるが、詳細は不明である。
入口には鉄の扉が取り付けられている。
「建物」は平屋である。「建物」は風化が進んでいるが、爆撃などによる大きな損傷などは見られない。
通信所跡通信所跡「建物」の中には大きな機械が遺されている。「通信塔」を運用するための発電機か何かであろうか。
機械には「IKEGAI」との刻印が見える。明治22年(1889年)創業の「株式会社池貝」の製品であると思われる。「池貝」はディーゼルエンジン製造の老舗メーカーであるが、2001年に経営不振から民事再生法を申請し、現在は中国系企業の傘下となっている。
「通信所跡」の歩き方
通信所跡コロール島方面からは「ニューKBブリッジ」を通ったあと幹線道路を北上する。
ガスパン州でマルキョク方面へと分岐する「交差点」がある。
この「交差点」の右手前側に倒れた「通信塔」がある。
「通信塔」は幹線道路からも見えるのですぐに分かるであろう。
まず、幹線道路から草をかき分けて「通信塔」まで行く。
そうするとさらに奥に「通信所跡」があるのが見えるだろう。「通信塔」からは50m程の距離である。