ラストコマンドポスト周辺

ラストコマンドポスト周辺の戦跡一覧

大東亜戦争におけるサイパン島の歴史
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ラストコマンドポスト

サイパン島北部に「ラストコマンドポスト」と呼ばれる場所がある。「ラストコマンドポスト」には日本軍兵器や「トーチカ」が遺されている。
「ラストコマンドポスト」は直訳すると「最後の司令部」である。
その為、各種ガイドブックや旅行記に於いて、この場所が日本軍の「最後の司令部」であり、南雲忠一中将以下の司令部首脳陣が自決した場所であると紹介されている。

これは完全に誤った認識である。
日本軍の「最後の司令部」が置かれたのは、この場所より南にあるサン・ロケ地区の山中であった。
即ち、現在「ラストコマンドポスト」と呼ばれている場所は、日本軍の「最後の司令部」ではない。

サン・ロケ地区は、当時は「マタンサ」と呼ばれていた。昭和19年(1944年)6月30日、「マタンサ」の山中の「地獄谷」いう谷間にある洞窟に日本軍の「最後の司令部」が置かれた。
南雲忠一中将以下の司令部首脳陣の自決の詳細に関しては諸説あるが、昭和19年(1944年)7月6日22時、「地獄谷」の洞窟(司令部壕)において自決した。

この場所(「ラストコマンドポスト」)に、海軍のコンクリート製の監視所(「トーチカ」)が遺されていた為、戦後、この周辺にサイパン島各地からの集められた日本軍兵器を並べて、観光資源として整備された。

その後、「トーチカ(監視所跡)」が、日本軍司令部首脳陣自決した「最後の司令部跡」と誤って伝えられるようになり、「ラストコマンドポスト」と呼ばれるようになった。

歴史を学ぶに於いては、常に事実を正しく捉えていかなければならない。それが歴史を学ぶに於いて、もっとも大事な姿勢である。
戦跡に関しても、誤って伝えられている場所が多数ある。「ラストコマンドポスト」については、ここでの記述によって少しでも正しい認識が広まることを望む。

「ラストコマンドポスト」にある日本語の説明看板は、記述内容に関していまいち要領を得ていない。
しっかりと整備して、ここが「最後の司令部」でないという正しい認識を広めてくれる事を望む。

とは言え、この場所がサイパン島の戦闘と無縁の場所であるという訳ではない。

この場所に遺される「トーチカ」では多くの日本軍将兵が命を落としたであろう。
この場所に置かれている日本軍兵器も、その側にはサイパン島を護る為に矢弾尽き、斃れるまで戦った日本軍将兵がいたのである。

その事を認識した上で、単なる観光地としてではなく、慰霊の場所として「ラストコマンドポスト」を訪れて欲しい。

尚、本サイトでは、この場所の名称に関しては固有名詞として「ラストコマンドポスト」という名称を用いている。

「ラストコマンドポスト」の歩き方

ガラパン市街からマッピ・ロード(Marpi Rd)を北上する。サン・ロケ地区を過ぎてしばらく進むと右手に断崖(「旧マッピ山」)が見えてくる。

サン・ロケ地区から約5km進んだあたりで、右手に駐車場や看板が見えてくる。ここが「ラストコマンドポスト」である。
「旧マッピ山」の麓である。

「ラストコマンドポスト」の向かいに左に曲がる道の分岐がある。これは「バンザイクリフ」に続くバンザイクリフ・ロード(Banzai Cliff Rd)である。

日本軍兵器(ラストコマンドポスト)

「ラストコマンドポスト」には「日本軍兵器」「トーチカ(監視所跡)」が遺されている。
これ等の兵器は、もともとここにあった訳ではなく、この場所でこれ等の兵器を使用した戦闘は行われていない。戦闘中に米軍に捕獲されたり、戦後に発見された兵器を発見観光資源として展示している。また、「トーチカ」は海軍の「監視所」として建てられた。

「四十五口径十年式十二糎高角砲」「短二十糎砲」「航空魚雷」「九四式三十七粍砲」が展示されている。

他にも「五十口径四一式十五糎砲」「九五式軽戦車」が展示されている。

これ等の兵器は全て野ざらしで展示されている為、保存状態はあまりよくない。
大きく破損している場合、全て戦闘による損傷ではなく、戦後の風化による劣化も原因である。

また、観光資源として整備される際に、塗装が成されているが、一様に白と灰色のまだら模様に塗装されている。防錆の効果はあるかもしれないが、これ等の塗装は当時の塗装ではない為、見学の際には注意が必要である。

展示内容詳細
・トーチカ(監視所跡)
・九五式軽戦車(95式軽戦車)
・短二十糎砲(短20cm砲)
・航空魚雷
・四十五口径十年式十二糎高角砲(45口径10年式12cm高角砲)
・九四式三十七粍砲(94式37mm砲)
・五十口径四一式十五糎砲(50口径41式15cm砲)

「日本軍兵器(ラストコマンドポスト)」の展示内容
トーチカ(監視所跡)「トーチカ(監視所跡)」が遺されている。この「トーチカ」は、海軍が天然の岩場を利用して建設した「監視所」であった。この「トーチカ」が、南雲中将以下の日本軍首脳陣が自決した「最後の司令部」であると思われているが、間違いであ...

「日本軍兵器(ラストコマンドポスト)」の歩き方

日本軍兵器日本軍兵器日本軍兵器は、「ラストコマンドポスト」にある「トーチカ(監視所跡)」の側に集められている。

背後の断崖(「旧マッピ山」)に向かって、駐車場の左(東側)に「トーチカ(監視所跡)」がある。自然の岩場を利用して建てられている。

この「トーチカ(監視所跡)」の正面から左(東側)の広場に「日本軍兵器」が置かれている。

「日本軍兵器」の置かれた広場の左(東側)には「中部太平洋戦没者の碑」がある。

慰霊碑(ラストコマンドポスト)

「ラストコマンドポスト」には複数の「慰霊碑」が建てられている。

日本政府による「中部太平洋戦没者の碑」である。昭和49年(1974年)3月25日に建立された。
周辺は広場になっている。昭和50年(1970年)8月、社団法人南太平洋友好協会が英霊の慰霊の為に築造した。

「中部太平洋戦没者の碑」の背後は「スーサイドクリフ(旧マッピ山)」の断崖である。

屏風を模した石版の前に白木を模した石碑が置かれている。

「さきの大戦において 中部太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび 平和への思いをこめてこの碑を建立する」と碑文が刻まれている。

中部太平洋(マリアナ諸島・東カロリン諸島等)に於ける戦没者は23万3996人であった。 (旧厚生省)

「ラストコマンドポスト」の「トーチカ(監視所跡)」の裏には「個人の慰霊碑」が建てられている。
サイパン島で戦没した将兵の遺族が戦後に建てた「慰霊碑」である。
左のお地蔵様には「英霊の為に水をかけて欲しい」という旨の言葉が刻まれている。

破損した「個人の慰霊碑」もある。
近年、サイパン島のみならず、各地で中国人観光客による「慰霊碑」への破損行為が横行している。

「ラストコマンドポスト」の直ぐ横に「おきなわの塔」が建てられている。

日本統治時代、南洋群島には大勢の沖縄県出身者が入植していた。その多くは米軍の攻撃によって命を落とした。

「おきなわの塔」は、昭和41年(1968年)6月10日に建立されたが、この時、沖縄県は米軍占領下にあり、当時の琉球政府によって建立された。

付近には「韓国人慰霊碑」が建てられている。

「慰霊碑(ラストコマンドポスト)」の歩き方

「中部太平洋戦没者の碑」は、背後の断崖(「旧マッピ山」)に向かって「日本軍兵器」の左(東側)にある。「碑」の手前は広場になっている。

「個人の慰霊碑」は「トーチカ(監視所跡)」の裏にある。

「おきなわの塔」は、背後の断崖(「旧マッピ山」)に向かって、駐車場の左(東側)にある。
「韓国人慰霊碑」は、駐車場の右(西側)にある。

米軍弾薬庫跡

サイパン島北西にある「ウイングビーチ」の近くに「米軍弾薬庫跡」が遺されている。

米軍がサイパン島を占領した後に建てた「弾薬庫」であると思われるが、詳細不明である。
現在は民家の敷地内にあり、ガレージとして使用されているようである。

「米軍弾薬庫跡」の歩き方

ガラパン市街からマッピ・ロード(Marpi Rd)を北上する。サン・ロケ地区を過ぎてしばらく進むと右手に断崖(「旧マッピ山」)が見えてくる。

サン・ロケ地区から約3.7km進んだあたりで、右手のやや開けた場所に民家が1軒ある。その敷地内に「米軍弾薬庫跡」がある。

「米軍弾薬庫跡」は道路から見えるが、民家の敷地内に無断で立入ってはいけない。

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