タモン(Tumon)周辺

大東亜戦争におけるグアム島の歴史
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タモン(Tumon)周辺の戦跡一覧

第21爆撃集団司令部跡

タモン地区から観光名所として有名な恋人岬へ行く道の途中に、第21爆撃集団(XXI Bomber Command)司令部跡が遺されている。

第21爆撃集団は、マリアナ諸島から日本本土爆撃を行った第20航空軍(Twentieth Air Force)の中核をなす部隊であり、戦略爆撃機「B29」により構成されていた。

「司令部跡」は道路脇のジャングルの中にある。

マリアナ諸島からは東北・北海道を除く日本本土大半が「B29」の航続距離に収まり、燃料・弾薬の補給も海上輸送によって容易にできた。そのため、米軍はマリアナ諸島を占領後、滑走路を建設・拡張して本土爆撃のための新たな基地を建設した。

道路から木々の密生する茂みを10mほど分け入っていくと、突然ぽっかりと広がった長方形の空間が現れる。

ここが「司令部跡」である。現在建物本体は取り壊されており、土台部分のみが残っている。

この一帯は戦後も1980年代まで米軍の施設として使われていた。

土台の周囲には高さ30cmほどの壁が残っている。

広さは5m×10mほどであろうか。

成都の第20爆撃集団はマリアナ諸島の基地建設後、第21爆撃集団に統合された。当初マリアナに配備された「B29」は100機程度であったが、終戦直前には700機以上に増強されていた。

長方形の一角は壁が十字のように遺っている。恐らく、現在残っている長方形の土台の部屋の他にも部屋があり、全体としてはもっと大きい建物であったのであろう。

この「司令部跡」の両側には、当時の米軍の基地整備に伴って建設されたアスファルトの道が遺っている。
現在、道はアスファルトの亀裂から草が生い茂っており、容易に歩くことができない状態である。

「第21爆撃集団司令部跡」の歩き方
タモン地区から1号線を北上すると、大型ショッピングセンターのミクロネシアモール(Micronesia Mall)が右手にでてくる。ここのT字路を左折して34号線に入る。

T字路から500mほど行くと、左に分岐する道がある。
分岐した道を左に入ると、すぐに50mほどでT字路に出る。

このT字路の左前のジャングルの中に司令部跡がある。道から10mほど茂みを分け入ったところである。

ガンビーチの短二十糎砲

タモン湾は西海岸で最も長い海岸線があり、浅瀬が広がっている。そのため、日本軍は当初をタモン湾を米軍の上陸地点と予想し、ここに防御陣地を築いていた。
タモン湾北端の「ガン・ビーチ」には日本海軍の沿岸砲である「短二十糎砲」が遺されている。案内板等は特にない。

「短二十糎砲」は商船の自衛用に開発された口径202mmの簡易急造高角砲である。対空戦闘も行う為に高角砲に分類されいるが、実質は対潜・対水上・対空兼用の迫撃砲に似た特性を有する榴弾砲であり、陸上にも配備された。

岩山のふもとに設置されており、海岸側からは目立たず、一見どこに砲台があるのか分からない。

一方、砲台側からはタモン湾がよく見渡せる。敵艦艇を狙うには絶好の位置であったであろう。

砲台の左側には岩山をくりぬいた空間がある。

敵の攻撃から兵員が身を守ったり弾薬を保管したりするスペースだったのであろうか。壁は分厚く、上部は岩山に囲まれ、頑丈そうな作りである。

また、砲台の右側には小さな「トーチカ」のようなものがある。こちらは石を石垣のように積み重ねて固めただけの簡素な作りである。

「ガンビーチの短二十糎砲」の歩き方
タモン湾北端のホテルニッコーグアムの近くである。

ホテルニッコーグアム前のビーチに出て右手に500mほど砂浜を歩いていくと岩山が見えてくる。
この岩山のふもとに 「短二十糎砲」がある。

あるいは、ホテルニッコーグアムの前のガン・ビーチ・ロード(Gun Beach Rd.)をさらに北へ進み、海岸に出てから砂浜を右手に100m歩いても行くことができる。

実弾射撃場

タモン地区のリゾートホテルの立ち並ぶ一角に「DALLAS 実弾射撃場」がある。射撃場は建物の中にあり、受付を済ませるとすぐに撃つことができる。

銃は大小色々な種類が用意されている。拳銃のほか、ライフルなども射撃することができる。

射撃場詳細
・受付
・射撃場

「実弾射撃場」の詳細
受付入口を入って右手側に受付がある。ここで射撃したい銃を選択する。弾は基本的に大きい口径になるほど高くなる。なお、口径とは銃口の内径の大きさを表し、100分の何インチかを意味する。なお、1インチは約25.4mmである。受付受付最も高いショッ...

「実弾射撃場」の歩き方

14号線(PALE SAN VITORES RD.)とGUN BEACH RD.とのT字路の南西側である。なお、14号線はこのT字路で西から南へ曲がって続いている。

射撃場は表通りに看板が出ている。表通り少し入ったところの建物の二階が射撃場となっている。

射撃場の前の通りではスタッフが呼び込みをやっている。スタッフは10ドルの割引券を配布していた。

料金:弾丸のサイズにより異なる
定休日:なし
開館時間:10:00-24:00
(2011年現在)

ハイアット・リージェンシー・グアム前のトーチカ

タモン湾中央部よりやや北側、ハイアット・リージェンシー・グアム(ホテル)の前の砂浜には、「トーチカ」が遺されている。付近はホテルの立ち並ぶリゾート地、といった雰囲気である。

実際に米軍がこの海岸に上陸しなかったためか、大きな損傷もなく保存状態はよい。銃眼は横長の小銃用のもののようである。

トーチカは海岸線のすぐ内側の砂浜にある。もし米軍がタモン湾に上陸していたら、このトーチカは真正面から激しい攻撃を受けることになったであろう。

中は大人が二人なんとか入れる程度の広さで、正面からの攻撃に耐えつつ海岸線を射線に収められるように左右に斜め向きに銃眼が開いている。

「ハイアット・リージェンシー・グアム前のトーチカ」の歩き方

「トーチカ」はタモン湾北西部のハイアット・リージェンシー・グアムの前の砂浜にある。

フィエスタ・リゾート・グアム前のトーチカ

フェイスタ・リゾート・グアムの少し北側のトーチカである。高さはさほどないが、そこそこの大きさがある。トーチカはPRIVATE PROPERTY(私有地)という札の付けられた金網に囲まれている。

裏側にはかがめばやっと入れるくらいの出入口がある。

周辺はリゾート開発が進んでおり、ここはプール付きの高級マンションの敷地のようである。トーチカを保存するために開発時に意図的に遺されたもののようである。

入口と銃眼には金網が張られている。

「フィエスタ・リゾート・グアム前のトーチカ」の歩き方

フィエスタ・リゾート・グアム前のトーチカフェイスタ・リゾート・グアムのロビーを抜けて海岸に出る。砂浜を右手(北へ)に100mほどいった右手の金網の中にトーチカがある。

グアム・マリオット・リゾート&スパ前のトーチカ(2ヶ所)

タモン湾中央部よりやや南側には、「トーチカ」が2つ遺されている。

タモン湾には砂浜が広がっているが、グアムマリオットリゾート&スパ(ホテル)の前に岩山が海に突き出しているところがある。これが「トーチカ①」である。

「トーチカ①」北東側は銃眼となっており、段差が内側から外側に向けて広がるような形となっている。銃眼は大人が通れるくら大きく、重機関銃や小型の砲が入るように設計されていたのであろうか。

銃眼からはタモン湾北側が射界に収められる。中央やや左がホテルニッコーグアムであり、そのさらに左側が 「短二十糎砲」のある「ガン・ビーチ」である。

「トーチカ①」南西側は出入り口として使われていたようである。こちら側から見ると、「トーチカ①」が石を積み重ねたものをコンクリートで固めたような構造となっているのが分かりやすい。

「トーチカ①」内部に入ると、天板を支柱で支えている構造となっているのが分かる。また、海岸に突き出したところに作られているため、波によって運ばれた土砂が「トーチカ①」内部に堆積している。

「トーチカ①」がタモン湾に張り出しているために、ビーチは東西に隔てられた形となっている。しかし、この「トーチカ①」の上には遊歩道が設置され、東西に通行できるようになっている。「トーチカ①」を取り壊さずに、リゾート地としての利便性を損なわないような工夫がされているようである。

「トーチカ①」の西100mほどのところに「トーチカ②」がある。

ビーチのすぐ内陸側には草木が茂っているが、この奥に高さ数メートルほどの崖に細長い横穴をくり抜いて作られている。

「トーチカ②」のすぐ脇にはグアム政府観光局の石碑が設置されている。日付は「2001年11月」となっている。

「トーチカ②」の奥に更に二つの横穴が掘られているのが分かる。

横穴は行き止まりに見えるが、当時は別の出口へと通じていたのであろうか。

この細長い横穴の左手にも、崖をくり抜いたような跡が残っている。

「グアム・マリオット・リゾート&スパ前のトーチカ(2ヶ所) 」の歩き方
タモン湾南東部のグアム・マリオット・リゾート&スパのプールから海岸に出て、すぐ左手の岩山が海に突き出しているようなところが「トーチカ①」となっている。
「トーチカ①」からさらに左手(西側)に100mほどいったところの海岸沿いの崖をくり抜く形で「トーチカ②」がある。

また、14号線(Pale San Vitores Rd.)からGov Joseph Flores Beach Parkを通って海岸に出てからも行くことができる。海岸に出て右手に400mほど進んだところに「トーチカ②」が、そこからさらに100mほど進んだところに「トーチカ①」がある。

ヒルトン・ホテルのトーチカ

ヒルトン・ホテルの敷地内、ホテルのビーチと建物の間に「トーチカ」が遺されている。石を集めて固めたような形状をしている。戦後ホテルの建設が持ち上がったとき、意図的に保存されて今に至っているのであろう。

銃眼は比較的大きく、横に長い。中もそこそこ広いので、この「トーチカ」は重機関銃用のものであったのだろうか。

中を覗くと、奥に通路が通じているのが分かる。この奥はホテルの建物側の舗装路が通っており、この通路どこへ通じているのかは不明である。

左側には階段が見える。

外側から「トーチカ」の左に回りこむと、さきほどの階段がこの「トーチカ」への入口となっていたことが分かる。入口は施錠されており、中へ入ることはできない。

「トーチカ」の上面は人工的に開けられた長方形の通気口のようなものが開いており、柵がはめ込まれている。

「ヒルトン・ホテルのトーチカ」の歩き方
ヒルトン・ホテルのトーチカタモン地区のヒルトン・ホテルの敷地内である。ヒルトン・ホテルはタモン湾のほぼ南西端に位置する。

「トーチカ」はビーチと建物の間に遺されているが、一見目立たない。注意深く見ていないと見過ごしてしまうだろう。

飛行場跡

グアム国際空港の南西には、大東亜戦争中に日本軍が設営した「飛行場跡」が遺されている。

現在、遺っているのは、7本の大きい長方形の建物の土台らしきコンクリート台である。土地は西が低くて、東が高く、傾斜している。

コンクリート台はそれぞれ250m×30mほどの大きさがある。

「日本軍飛行場」は米軍に占領されたあと、Brewer Fieldと改名された。

コンクリート台の割れ目からは草が生えている。

終戦後はNaval Air Stationの飛行場として使われていたが、昭和44年(1969年)から民間供用が開始された。平成7年(1995年)、Naval Air Staionは閉鎖され、以降は民間専用空港となった。

コンクリート台はグアム国際空港の滑走路の最終進入コースにあたる。柵の向こう側に見える橙色のポールはグアム国際空港の最終進入灯火であり、さらにその奥には滑走路が見える。

「飛行場跡 」の歩き方
飛行場跡 タモン地区からは1号線を南西へ。ハガニアで左折して8号線に入る。

左折してから2.5kmほどで左手に広大な広場が見えてくる。コンクリート台も8号線から見えている。

最初のコンクリート台が見えてから500mほどで左側に空港方面に入るT字路があり、ここから敷地内に入っていくことができる。

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