南海岸

大東亜戦争におけるグアム島の歴史
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南海岸周辺の戦跡一覧

Jeff’s Pirates Coveのトーチカ

イパン海岸のJeff’s Pirates Coveの敷地内にトーチカが遺されている。Jeff’s Pirates Coveはレストラン、土産物屋、ビーチバレー場などがある複合的なリゾート施設である。

トーチカはほぼ立方体である。後面に出入口がある。

銃眼はさほど大きくない。

海岸までの距離は30m程度といったところであろうか。

この場所は戦時中は米軍パイロット用のリハビリテーションキャンプがあったようである。

Jeff’s Pirates Coveには小さな博物館「Seaside Museum」が併設されている。

グアムの自然のほか、1972年に発見された横井庄一伍長に関する展示がされている。横井氏は昭和20年(1945年)の終戦を知らず、グアムに派遣されてから実に28年後に現地の猟師に発見されて終戦を知り、日本への帰国を果たした。

横井氏が生活していた洞窟内部の写真である。この洞窟のある場所は現在私有地となっており、既に崩落して埋まっている。

レストランの壁にも横井氏発見当時の地元新聞の記事などが展示されている。

「Jeff’s Pirates Coveのトーチカ」の歩き方
ハガニア方面からは4号線を南東へ。

イリグ湾を越えて2kmほど行くと左手にJeff’s Pirates Coveというレストランがある。トーチカはここの敷地内にある。

道沿いに店名が書かれた青と黒の大きなオブジェがある。

店の手前側は土産物屋となっており、奥がレストランとなっている。レストランを抜けて海岸に出るとビーチバレー場などがある。海岸に出て左手に歩くとトーチカがある。付近はきれいに整備されている。

キャンプ・ディアレイ跡(Camp Dealey)

タロフォフォ湾の北の町、イパンにはキャンプ・ディアレイがあった。キャンプ・ディアレイは潜水艦乗組員の休養施設であり、海水プールなどがあった。現在は民家が立っており、現在は門柱と守衛所のみが残る。

数年前までは打ち捨てられた状態であったが、最近風化を防ぐためか青と白の塗装が塗られたようである。

「キャンプ・ディアレイ跡(Camp Dealey)」の歩き方
キャンプ・ディアレイ跡(Camp Dealey)ハガニア方面からは4号線を南東へ。イリグ湾を越えて3kmほど行くとイパン(YPAN)の町がある。この町付近、4号線沿いに門柱等は残っている。

タロフォフォ湾からは北に1kmほどのところである。

アラタマ丸

昭和19年(1944年)4月8日、地雷、魚雷、兵員を搭載した6780トンの日本軍輸送船「アラタマ丸」は、船団を組んでグアムの東を航行中に米潜水艦「シーホース」によって撃沈された。

「アラタマ丸」はその3年後にタロフォフォ湾に流れ着いた。その後15年間はマストなどの上部構造が海面から出ているのが見えた。説明板の写真に当時の写真が展示されている。

昭和37年(1962年)、超大型台風カレンがグアム島を襲ったとき、船体は完全に海底に沈んだ。

また、タロフォフォの山中には、終戦を知らずに昭和47年(1972年)に発見された横井庄一陸軍上等兵が隠れていた洞窟があった。タロフォフォ湾に看板が出ている。ただし、現在公開されているのはレプリカであり、実物は現在私有地の中にあり既に崩落してしまったようである。

「アラタマ丸」の歩き方
ハガニア方面からは4号線を南東へ。タロフォフォ湾の手前で道は大きく右に曲がるが、ここがちょっとした展望台となっている。この展望台からアラタマ丸の沈んでいるタロフォフォ湾を一望できる。看板等もこの展望台にある。

なお、アガット方面からは17号線、4A号線を通ってくることもできる。展望台は4号線と4A号線の交差点付近にある。

横井ケーブ(Talofofo Falls Resort Park)

タロフォフォ川の上流、タロフォフォの滝周辺はタロフォフォ滝公園となっている。タロフォフォは終戦を知らずにジャングルで28年間生活していた横井庄一元軍曹が洞穴を掘って潜伏していた地であり、公園内には横井ケーブのレプリカがある。

横井氏は戦前に4年間の兵役のあと洋服の仕立て屋を営んでいたが、昭和16年(1941年)の大東亜戦争勃発で再召集されて満州へ送られた。昭和19年(1944年)からは歩兵第三八連隊の伍長としてグアム島に配属された。同年8月にグアム島が陥落すると、横井氏は戦死したものとして戦死公報が届けられた。

歴史館ではグアムの歴史がジオラマで表現されている。日本統治期のコーナーには「九九式短小銃」と「三十年式銃剣」が展示されている。

また、公園内には野外実弾射撃場が併設されている。繁華街の屋内型の実弾射撃場は火薬の量が少ない弱装弾を使用しているが、こちらの射撃場では通常弾を使用しており迫力満点である。

展示内容詳細
・公園入口
・横井ケーブのレプリカ
・グアム歴史館
・展望台
・タロフォフォの滝
・野外射撃場

「横井ケーブ(Talofofo Falls Resort Park)」の展示内容
公園入口チケットを買って入場ゲートを通ったところには、横井ケーブの模式図と写真展示がある。横井庄一氏はグアム島守備隊玉砕後ジャングルに逃れ、終戦を知らないままこのような洞窟で28年間生活していた。1972年4月、食料採集のために川でエビ取り...

「横井ケーブ(Talofofo Falls Resort Park)」の歩き方
ハガニア方面からは4号線を南東へ行くとタロフォフォ湾に出る。また、アガット方面からは17号線、4A号線を通ってもタロフォフォ湾に出ることができる。

タロフォフォ湾からさらに4号線を4kmほど南に行ったところを右折(西へ)する。右折してから3kmほどのところを更に右折する。右折すべき交差点には大きな目立つ看板が設置されているので、迷うことは無いだろう。

公園入口脇のチケット売り場でチケットを購入して入場する。

入場料:20ドル
休園日:なし
開館時間:09:30-17:30
(2012年現在)

メリッツォの対空陣地跡

メリッツォ墓地の裏手の丘には日本軍の対空陣地があった。丘を上ると海がよく見渡せる。この左手がココス・ラグーンである。

丘のところどころに削って平らに整地されたような跡があったが、コンクリートなどの対空陣地の跡のようなものは発見できなかった。

この丘にはチャモロ人の慰霊碑が建てられている。

真偽のほどは定かではないが、「米軍の侵攻が迫る中、チャモロ人の反乱を恐れた日本軍がメリッツォの体格の良い30人のチャモロ人を殺害した」、と碑文には刻まれている。

「メリッツォの対空陣地跡」の歩き方
アガット方面からは2号線、4号線を南西へ。

メリッツォの町の少し手前のMemorial Catholic Cemetery(墓地)の裏の丘に対空陣地があった。墓地の左側に上り坂があり、坂を上ったところに休憩所のようなモニュメントがある。

このモニュメントの裏側にダート道があり、ここから丘に入っていける。しばらく上ったところに慰霊碑がある。

ハガニア方面から4号線を時計回りに回ってきてもメリッツォに行ける。

ソレダット砦

ソレダット砦は16世紀にスペインが築いた砦である。当時スペインはメキシコとフィリピンを植民地としており、グアムのウタマック湾はその両者を結ぶガリオン船の航路の補給港となっていた。スペインは停泊中の船を海賊や武装船から守るため、ウタマックに砦を築いた。砦はウタマック湾の入口付近の丘にあり、見晴らしがよい。

砦は海に面する場所の高台のようなところと、その後ろに分厚い壁で囲われたスペースが設けられている。案内板に見取り図が描かれている。

湾の側には監視所のような小屋がある。

1815年のメキシコの動乱でガリオン船の航海が停止されたあと、砦は必要性がなくなり放置された。大東亜戦争中は日本軍によって砲台として使われていたようである。

ソレダット砦ソレダット砦高台の後ろにはトーチカのようなものが残されている。分厚い壁に囲まれたスペースがいくつかの小部屋に仕切られている。天井は失われたのか、元からなかったのか分からないが存在しない。

トーチカの銃眼のような「ハ」の字型に外側に向けて開いた銃眼のような部分がある。日本軍時代のものかスペイン時代のものかの詳細は不明であるが、砲台の後面を守るためのトーチカだったのかもしれない。

「ソレダット砦」の歩き方
アガット方面からは2号線、4号線を南西へ。ウタマック湾を越えたところで右手にソレダット砦へ続く脇道がある。この脇道のところには緑看板がある。

砦はウタマック湾の南岸の高台に位置する。

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