東海岸

大東亜戦争におけるグアム島の歴史
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東海岸の戦跡一覧

パゴ湾のトーチカ

パゴ湾奥の海岸の岸から5mほどのところにトーチカがある。右後ろに入口と小さな銃眼が見える。

おそらく前面側に大きい銃眼があるものと思われる。内部に数人の兵士を収容できそうな大きさである。

この付近の川を挟んで反対側にもう一つトーチカがあるらしいのだが、海岸沿いがリゾート開発のため工事中で立ち入ることができなかった。

パゴ湾のトーチカパゴ湾のトーチカ左後ろ側には銃眼は見当たらない。

海面よりもトーチカの床部分の方が低く、内部には海水が流れ込んでいる。意図的に海上に建てたとも思えないが、長年の侵食によりトーチカの下の砂が流出し、全体的に沈降したのであろうか。

「パゴ湾のトーチカ」の歩き方
ハガニア方面からは4号線南東へ。10号線との分岐点を超えて1.5kmほどのところにパゴ川にかかる橋がある。この橋の100mほど手前(北側)の左側に「PAGO PILLBOX Ⅰ」の緑看板が出ている。この看板の路地を入って200mほどの分岐点を右に曲がる。分岐点から100mほどで海岸に出る。

海岸に出て右手に砂浜を150mほどいったところにトーチカがある。トーチカは海上にあって目立つので、海岸に出たところから見えている。砂浜は途中木が張り出しているところがあって砂浜沿いに歩けないところがあるが、陸側に獣道があるので足を濡らさずにたどり着くことができる。

マネンガン収容所跡(Manenggon Concentration Camp)

日本軍が建設したチャモロ人を収容したマネンガン収容所跡地である。記念碑が建てられている。

記念碑の前にはコンクリートの土台が残っている。収容所の建物の一部であったのであろうか。収容所は1万人を収容した。看守は米軍上陸の直前に収容所を放棄した。

「マネンガン収容所跡(Manenggon Concentration Camp)」の歩き方
ハガニア方面からは4号線を南東へ。イリグ湾に流れるイリグ川にかかる橋の手前、右側に「MANENGGON CONCENTRATION CAMP」の緑看板が出ている。

ここの路地を入り1kmほどのところに橋がかかっており、この橋を超えたところに十字路がある。

この十字路を右折し、さらに1kmほどいったところの右手に開けた場所があり、ここに記念碑がある。

イリグ湾の陣地跡

イリグ川から海岸に出たところに、日本軍が構築した陣地跡が遺されている。

陣地は自然の地形を利用して造られている。岩場の窪みの前に大きな岩があり、敵の攻撃を防ぐのに丁度いい空間ができている。外洋側の隙間がコンクリートで補強されている。

コンクリートは高さ130cm、横幅50cmほどである。

岩場に囲まれた空間はそこそこ広く、十数人程度の兵士が収容できそうである。人工物がほとんどないので、外洋からの発見は困難であったであろう。

「イリグ湾の陣地跡」の歩き方
ハガニア方面からは4号線を南東へ。イリグ湾に流れるイリグ川に橋がかかっている。

この橋の手前の左手側に獣道がある。草がかなり生い茂っているが、ここを入る。

獣道はイリグ川に沿うように海岸まで続いている。

獣道を100mほど歩くと河口にでる。上写真は河口から4号線の橋を撮ったものである。

海岸に出て左手、300mほどのところに見える岩場が陣地跡である。砂浜は木が海面まで張り出しているところが何ヶ所かある。海に少し入らなければ辿り着けないだろう。水深は浅く、膝あたりまでである。

イリグ湾のトーチカ

イリグ湾の南の墓地の裏手、海岸から少し内陸側にトーチカが遺されている。この場所で大規模な戦闘は起きていないが、風化のためか傷みが激しく、天井部分はない。

コンクリート造りではなく、石を積み上げてセメントで固めたような壁となっている。資材不足の後期に築かれたものではないだろうか。元々天井部分がない無蓋のものとして造られたのかもしれない。

銃眼はさほど大きくない。大小二ヶ所開けられている。

海岸から30mほど内陸の場所である。

「イリグ湾のトーチカ」の歩き方
ハガニア方面から4号線を南東へ。17号線とのT字路を超えて100mほどのところの右手にHoly Cross Catholic Cemeteryという墓地がある。

墓地へは砂利道が続いており、4号線のところに墓地の看板が出ている。

砂利道を入って行くと、左側に墓地が広がっている。砂利道はしばらく行くと車止めがあり、海岸まではいけない。

車止めのところを徒歩で越えてすぐのところに遊歩道がある。

この遊歩道を左へしばらくいったところの右手側にトーチカはある。遊歩道からは10mほどのところであり、草木が生い茂っているので多少分かりにくいが、遊歩道からでもトーチカの壁が見えている。

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