シンガポール南西部

大東亜戦争におけるシンガポール(街)の歴史
シンガポール北部・サリンブン海岸・クランジ海岸・クランジ英連邦戦没者墓地 (Kranji Commonwealth War Cemetery)シンガポール中部・フォード自動車工場(OLD FORD FACTORY)シンガポール南西部・パシル...

シンガポール南西部の戦跡一覧

パシル・バンジャンのトーチカ(PASIR PANJANG)

パシル・パンジャンには英軍のトーチカが残されている。現在は海岸が埋め立てられて埠頭ができたため内陸となっているが、当時は海岸沿いに設置されたトーチカだった。周辺は住宅地となっており、まさにこの一区画だけが当時の激戦を物語る。トーチカは2つの大きな銃眼と、上部に突き出た部分の小さな銃眼からなる。

背後にはケントリッジの丘が海岸近くまで張り出しており、狭隘な地形であった。パシル・バンジャンはシンガポール市街地の東のはずれに位置し、銃眼は市街に侵入しようとする敵を攻撃すべく東側に向けて開いている。

トーチカ脇に碑が立っている。このトーチカはマレー人部隊の管轄であり、市街地に向けて隘路を通過しようとする日本軍第十八師団と激しい戦闘が行われた。

トーチカの側面に扉が付いているが、鍵がかかっていて中に入ることはできない。トーチカの後面にも一枚コンクリートの防御壁が設置されている。厚さ30cmはあろうかというかなり頑丈そうな作りである。

「パシル・バンジャンのトーチカ(PASIR PANJANG)」の歩き方
MRT東北線ハーバーフロント駅(Harbour Front)下車。Telok Blangah Rd.を西に進む。道なりに進むと道の名前は途中からPasir Panjang Road.となる。Pasir Panjang Rd.はハーバーフロント駅から4kmほどのHaw Par Villa(入り口の派手なアトラクション施設)付近で大通り(West Coast Highway)から右斜め前方向に分岐する。

分岐点からPasir Panjang Rd.をさらに1.5kmほど進むと、Science Park Rd.との三叉路が出てくる。トーチカはこの三叉路の北側。付近にはバス停があるが、乗り方の詳細不明。

ケントリッジパーク(KENT RIDGE PARK)

パシル・パンジャンの背後に位置するケントリッジの丘は、ケントリッジパークとして整備されている。

公園の入り口には戦後のシンガポール軍の装備だったアメリカ製のM114曲射砲が展示されている。

丘を登っていくと、展望台となっている広場がある。ここには「パシルパンジャンの戦い」記念碑が立っている。

マレー人の中隊はシンガポール市街地への隘路を見下ろせるこの丘の陣地を死守した。優勢な日本軍に対し、8時間持ちこたえたが、生き残って退却できたのはわずか4人だったという。

ケントリッジパークからトーチカの方向を望む。現在は海岸が埋め立てられて埠頭ができており、クレーンが多数立っている。

なお、広場には同じく戦後の装備のフランス製のAMX13軽戦車が展示されている。

「ケントリッジパーク(KENT RIDGE PARK)」の歩き方
MRT東北線ハーバーフロント駅(Harbour Front)下車。 Telok Blangah Rd.を西に進む。道なりに進むと道の名前は途中からPasir Panjang Rd.となる。 ハーバーフロント駅から4kmほどでSouth Buouna Vista Rd.とのT字路があるので、これ右折する。 South Buouna Vista Rd.を700mほど登っていくと、ケントリッジパークの入り口が見えてくる。

公園は入口からさらにVigilante Dr.を500mほど登ったところ。

ラブラドール砲台(LABRADOR BATTERY)

ラブラドール砲台はイギリスが19世紀に築いた砲台である。当時は貿易船を狙う海賊船や外国船が出没しており、ケッペル港を防衛する必要があったのである。ケッペル港はシンガポール島とセントーサ島の間にあり、セントーサ側にもシロソ砦が築かれた。海峡幅は狭いところでわずか240mである。

19世紀後半には旧式の7インチ砲が設置されていた。要塞の近代化の過程で、これらの旧式砲は1896年に新式の6インチ(15.2cm)速射砲2門に更新された。艦艇でいうと軽巡洋艦の主砲程度のサイズである。これらの砲はパシル・バンジャンの戦いで支援砲撃を行った。

公園内には複数の砲床が遺されている。分厚いコンクリートで囲まれた要塞砲は、よほどの直撃弾を受けない限り健在であったことであろう。

砲床は丘の上に築かれているが、この丘をくりぬいて地下弾薬庫がある。1886年に建設されたもので、丘の上に効率的に砲弾を揚げるエレベータが設置されていた。現在は入口から近い広いスペースに展示品があり、奥の方は最低限の修復のみで公開されている。

展示内容詳細
・砲台概略
・砲座
・トンネル
・トーチカ

ラブラドール砲台(LABRADOR BATTERY)
砲台概略シンガポール島南側は「東洋のジブラルタル」と称されるほどの重砲群とトーチカ群が構築されていた。それらはジョホール水道の東西の入り口と南部のシンガポール市街地周辺に配置されていた。 シンガポール島南側のラブラドール砲台もその一つであり...

「ラブラドール砲台(LABRADOR BATTERY)」の歩き方
MRT東北線ハーバーフロント駅(Harbour Front)下車。 Telok Blangah Rd.を西に進む。道なりに進むと道の名前は途中からPasir Panjang Rd.となる。ハーバーフロント駅から3kmほどで左側にあるLabrador Villa Rd.に入り、500mほど丘を登っていくと公園の入り口がある。

Telok Blangah Rd.は幹線道路でバスも走っているようだが、詳細は不明。

公園は無料だが、地下トンネルは有料。

シロソ砦(FORT SILOSO)

シロソ砦は1880年代にケッペル港防衛のため、シンガポール島の南側のセントーサ島西端に築かれた。1930年代に高まりつつあった日本軍の南進の脅威に対応し、近代化改装が行われ2門の6インチMK2砲と1門の12ポンド速射砲が設置された。シンガポールが陥落した後は、砦は捕虜収容所として使われた。

海賊船から貿易船を守っていた19世紀の旧式の砲も展示されている。この砲は戦後セントーサ島山中に埋まっていたところを発掘されたものである。

砦には砲座のほか、監視所や地下通路などの複合的な要塞のシステムが保存されている。

敷地内には四五口径十年式十二糎高角砲(45口径10年式12cm高角砲)や五十口径三年式十四糎砲(50口径3年式14cm砲) などの日本軍の砲も展示されている。写真は九九式襲撃機のエンジンである。

展示内容詳細
・砦概略
・要塞砲
・展示兵器類
・降伏交渉

シロソ砦(FORT SILOSO)
砦概略シロソ砦はシンガポール島の南のセントーサ島西端に位置し、1880年にイギリスによりケッペル港を守るために建設された。 砦は1930年代に要塞砲などで強化され、日本軍のシンガポール攻略の際に砲撃を行った。 シロソ砦から対岸のラブラドール...

「シロソ砦(FORT SILOSO)」の歩き方
MRT東北線ハーバーフロント(Harbour Front)駅に直結するビボ・シティの3階にセントーサ・ステーション駅があり、ここからセントーサ・エクスプレス(モノレール)に乗る。料金は入島料込みで3ドルである。セントーサ島のビーチ・ステーション駅下車、所要時間は約8分である。島内には無料の循環バスが運行されている。ビーチ・ステーション駅からBlue Lineに乗りSiloso Pointバス停で下車する。バス停のすぐ近くにシロソ砦への案内板がある。

入場口から専用トラムカーで広場へ行き、その後は徒歩での見学となる。

入場料:8ドル
休館日:なし
開館時間:10:00-18:00(入場は17:30)
HP: http://www.s1942.org.sg/s1942/moff/index.htm入れ替え
(2010年現在)

大東亜戦争遺跡
「大東亜戦争遺跡」について「大東亜戦争全史」と並び、本サイトのメインコンテンツです。日本国内や東アジア・中部太平洋方面には、大東亜戦争に関する遺跡・遺物が多数遺されています。それらは、かつて戦闘が行われた場所であったり、当時の兵器類であった...
大東亜戦争におけるシンガポール(街)の歴史
シンガポールはマレー半島先端に浮かぶシンガポール島とその周辺諸島からなる共和制の都市国家である。面積総計は707.1平方kmであり、奄美大島や琵琶湖とほぼ同じ大きさである。この小さな島に約473万人の人口を擁し、人口密度は6489人/平方k...
大東亜戦争におけるシンガポール(街)の歴史
シンガポール北部・サリンブン海岸・クランジ海岸・クランジ英連邦戦没者墓地 (Kranji Commonwealth War Cemetery)シンガポール中部・フォード自動車工場(OLD FORD FACTORY)シンガポール南西部・パシル...