シンガポール南東部の戦跡一覧
バトル・ボックス(The Battle Box)
シンガポール市街地中心部の丘にフォート・カニング・パークという公園がある。ここは元々マレーのイスラム君主のサルタンが築いた砦があった。英国植民地時代には軍司令部がおかれ、日本軍占領下でも引き続き軍事施設として使われた。砲台跡にはレプリカの大砲が置かれている。
丘をくりぬくようにして作られた英軍司令本部バトル・ボックスは1942年(昭和17年)当時の様子が復元され、観光客に開放されている。
フォート・カニングが軍事施設として使われ始めたのは1859年のことである。昭和17年(1942年)2月、マレー半島に上陸した日本軍からシンガポール島を防衛するため、パーシバル英軍司令官はこの要塞の地下に築かれたバトル・ボックスに司令部を移した。内部は当時の無線設備などが復元されている。
内部では精巧に作られた蝋人形ロボットが日本軍占領間際の緊迫した司令部内部の様子を再現している。
司令官室では2月15日朝のパーシバル司令官と幕僚が降伏を決めたときの様子が、蝋人形ロボットで再現されている。連合軍兵士約8万名もの戦力を持ちながら降伏に追い込まれたパーシバル司令官の苦悩がよく表現されている。
英軍降伏後、バトル・ボックスは日本軍に接収されて軍施設として使われた。壁に日本軍兵士が書いた落書きが今も残っている。「防空隊」「憲兵隊本部 分隊」の文字が読み取れる。
こちらは「山下将軍」「パーシバル」と読み取れる。
当時の日英両軍の装備品や兵士個人の持ち物なども展示されている。
英軍の軍服やヘルメットである。この司令部所属の元兵士が寄贈したもののようである。
日本兵士が持っていた旗のようであるが、ところどころ英語で文字が書き込まれている。
「バトル・ボックス(The Battle Box)」の歩き方
MRT東北線あるいはMRT南北線のドービー・ゴート駅(Dhoby Ghaut)からが最も近い。フォート・カニング・パークは駅から南に200mほどで、入り口は複数ある。
また、MRT南北線のシティ・ホール(City Hall)駅、MRT東北線のクラーク・キー(Clarke Quay)駅からも近い。