シロソ砦(FORT SILOSO)

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砦概略

シロソ砦はシンガポール島の南のセントーサ島西端に位置し、1880年にイギリスによりケッペル港を守るために建設された。 砦は1930年代に要塞砲などで強化され、日本軍のシンガポール攻略の際に砲撃を行った。 シロソ砦から対岸のラブラドール砲台を望む。ケッペル港の入口となる水道は最も狭いところで240mしかない。

9.2インチBL砲である。セントーサ島東部のカノート要塞(現在は取り壊されてゴルフ場)から日本軍が占領したテンガー飛行場を砲撃した。この砲はカノート要塞付近の海中に沈んでいたものを戦後引き揚げたものである。

日本軍の侵攻時、ラブラドル砲台とシロソ砦には6インチ速射砲(6-inch Quick-Firing gun)が2門ずつ配備されていた。

要塞の中の施設は復元され、人形が当時の兵士の様子を再現している。

また、シロソ砦は連合軍降伏後に捕虜収容所として使用された。砦内は地下通路がはりめぐらされている。

捕虜は泰緬鉄道やシンガポール島内の新しい飛行場建設に使役された。また、インド系の捕虜は英国支配からインドを解放するためのスパス・チャンドラ・ボーズが創設したインド国民軍に入隊するように説得された。

要塞砲

6インチ速射砲のスペックは、口径152mm、重量7トン、発射速度25-30発/分、最大射程14400m、砲弾重量45kgである。発射速度の速さから、高速で港内への侵入を試みる魚雷艇に対しても有効な砲として配備された。

砲座の地下には弾薬庫と給弾設備が設けられている。リフトで砲弾を地上の砲座に揚げる兵士の様子が再現されている。

英軍の12ポンド速射砲である。沿岸防衛用として昭和16年(1941年)に配備された。シンガポール攻略戦では対岸のプラウ・ブコム島の石油施設に向けて射撃を行った。昭和17年(1942年)2月14日、英軍降伏の前日に日本軍に鹵獲されないように海中に投棄された。現在の砲はレプリカである。

付近には射撃指揮所がある。

なお、当時のシンガポールの要塞砲で最大のものは15インチ砲(口径約38.1cm、最大射程約34km)であった。この15インチ砲はジョホール水道の東側の入り口を防衛するジョホール要塞(Johore Battery)に配備されていた。

展示兵器類

「五十口径三年式十四糎砲(50口径3年式14cm砲)」である。1966年にマンタイ原生林の中で発見されが、そこに投棄されていた経緯は不明である。伊勢型、長門型戦艦の副砲、軽巡洋艦の主砲として使われたほか、沿岸砲としても使われた。

砲の尾栓は失われている。

シンガポール攻略戦では移動して運用できる車輪のついた陸軍の砲が投入されており、これらの海軍の砲はシンガポール占領後に防衛用として配備されたものと思われる。

「四十五口径十年式十二糎高角砲 (45口径十年式12cm高角砲)」である。戦後アッパー・ピアス貯水池付近で発見された4門が展示されている。昭和19年(1944年)製造のものである。

制式採用は1922年で重巡洋艦や加賀、赤城に搭載された。大東亜戦争中は既に旧式化していたが、軽量で簡便に生産できたため、御蔵型以降の海防艦に搭載されたほか、陸上砲としても使用された。

九九式襲撃機のエンジンである。昭和17年(1942年)2月14日、英軍降伏の前日に対空砲火によって撃墜された。撃墜から46年後の1988年に、シンガポール中部の工事現場から偶然発見されたものである。

襲撃機とは陣地や敵地上部隊に対し低高度から急降下爆撃や機銃掃射を行って攻撃を加える日本陸軍の軍用機のカテゴリーである。欧州でドイツとの戦いに手一杯だった英軍は少数の旧式機しか配備しておらず、シンガポール攻略戦においては日本側が常に制空権を取っていた。

英軍の25ポンド曲射砲である。その砲弾が破甲形であり対戦車砲としても使用された。

この刀は旧シンガポール市議会室で戦後発見されたものである。日本軍占領下から放置されていたと考えられている。

降伏交渉

山下司令官とパーシバル司令官の降伏交渉の様子が蝋人形によって再現されている。実際の降伏交渉はシンガポール島中部のフォード自動車工場において行われた。

交渉時の席次である。

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