大東亜戦争における中国の歴史

中華人民共和国は世界1位の人口13億3630万人(2008年)を擁する。漢民族が92%と大多数を占め、55の少数民族が残りの8%を占める。面積は約960万平方キロメートルとロシア、カナダについで第3位であり、日本の約25倍である。国土が広く気候帯も幅広いが、主に大陸性モンスーン気候に属し、日本同様に四季がある。冬は北からの季節風が吹き、同緯度上にあるほかの地域よりも寒冷である。

1970年代まで経済は社会主義体制のもと長く低迷していたが、昭和53年(1978年)に始まった改革開放政策による資本主義体制を取り入れ、製造業を中心に「世界の工場」として躍進を続けている。軍事費も伸び続け、平成22年(2010年)現在ではアメリカについで第2位と推定されている。

日清戦争が明治28年(1895年)に清の敗北で終わると、それまで「眠れる獅子」と清を畏れていた欧米列強は次々と清に進出した。清朝は求心力を失い、その後辛亥革命が起きて明治45年(1912年)に孫文によって中華民国の樹立が宣言され、清朝最後の皇帝溥儀は退位した。中華民国は軍閥が群雄割拠する状態が続いていたが、昭和3年(1928年)に蒋介石の率いる国民党が共産党などの反抗勢力を抱えつつも多くの勢力を支配下に置き国民政府を成立させた。

日露戦争が日本の勝利で終わると、ポーツマス条約により大連-長春間の東清鉄道の南満州支線がロシアより譲渡された。翌年の明治39年(1906年)に設立された南満州鉄道株式会社(満鉄)は満州経営、そして中国大陸における権益の中核となった。満鉄は満州軍野戦鉄道提理部を母体とした半官半民の特殊会社である。

昭和に入ると満鉄は関東軍の陰謀の舞台となっていく。昭和3年(1928年)6月4日、奉天派軍閥の領袖であり、満州を統治していた張作霖の乗った満鉄の車両が爆破される「張作霖爆殺事件」が起きた。続いて昭和6年(1931年)9月には、柳条湖付近の満鉄の線路が爆破される「柳条湖事件」が起きた。これをきっかけに関東軍は張作霖の後を継いで満州を支配していた張学良と戦闘状態に入って「満州事変」が勃発した。このとき国民政府は共産党と内戦状態で日本に対抗する余裕がなく、関東軍は5ヶ月で満州全土を占領し、溥儀を擁立して満州国を建国した。軍事的には成功した作戦であったが、これは中国市場に関心を持つアメリカなどとの対立を深刻化させた。

昭和10年(1935年)には長春以北の北満鉄道をソ連から買収し、路線は飛躍的に拡大した。満鉄は補給、輸送面から関東軍を支えた。満鉄の経営は鉄道だけにとどまらず、炭鉱開発、製鉄業、港湾、電力供給、農林牧畜、ホテル経営など多岐に渡った。

昭和12年(1937年)7月7日、北京郊外にて発生した盧溝橋事件は日中の全面衝突へ発展し、支那事変が勃発した。昭和16年(1941年)12月8日、真珠湾攻撃とともに日本がアメリカ、イギリスに宣戦布告すると、国民政府は翌9日に日本に宣戦布告し、支那事変は日中戦争となった。

日中戦争は国力の限られる日本にとって、大きな負担であった。日本陸軍は昭和17年(1942年)に総兵力240万人のうち中国に68万人、満州に70万人の計138万人、すなわち半数以上を配置していた。日本は満州事変が5ヶ月で終結した経緯から支那事変も短期で決着がつくと考えていたが、特に対米英戦争開始後は戦線が膠着したまま大量の兵力が中国大陸に張り付けとなってしまった。昭和20年(1945年)の終戦時には中国に106万人、満州に66万人の計172万人が配備されていた。また、中国本土での日本軍の戦死者は46万人であった。一方、中国軍の戦死者は131万人であった。

昭和20年(1945年)8月のポツダム宣言受諾で日本が降伏して大陸から撤退すると、共通の敵を失った国民党と共産党は昭和21年(1946年)6月に内戦を再開した。当初国民党の方が保有戦力が大きくアメリカの援助も受けており、共産党を追い詰め大陸の大部分を掌握した。しかし、共産党はソ連の援助を受け、撤退する日本軍の兵器を接収して軍事力を均衡させ、農村を中心に勢力を盛り返した。最終的には毛沢東が北京、南京、上海などの主要都市を占領し、昭和24年(1949年)に中華人民共和国を建国した。一方、蒋介石は国民党とともに台湾島に退却し、中華民国を存続させた。

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