シドニーの戦跡一覧
シドニー港攻撃概要
シドニー港と言えば世界遺産に登録されているオペラハウスが有名であろう。毎年多くの観光客が訪れる。昭和17年(1942年)、日本海軍はこの港に停泊する艦艇を潜水艦から発進させる「特殊潜航艇」を使って攻撃する「シドニー港攻撃」を企画した。
オペラハウスと並んでシドニー湾の代名詞となっているハーバーブリッジである。第二次世界大戦開戦よりも前の昭和7年(1932年)に完成したシングルアーチ橋である。シドニー港に潜入した「特殊潜航艇」の搭乗員もこの橋を自艇の位置把握の目印として見ていたことであろう。
シドニー港攻撃作戦のためトラック諸島チューク島を出航した巡潜乙型潜水艦5隻(うち3隻は「特殊潜航艇」を搭載)は、昭和17年(1942年)5月30日にシドニー港沖合いに到達した。17:20~17:40に港入口から9~13kmの位置から3隻の「特殊潜航艇」が発進した。
港入口には磁気探知線が仕掛けられていたが、民間船舶を誤検知したり監視員の技量が高くなかったりしたため、その精度はあまり高くなかった。20:01に最初に磁気探知線を通過したイ27号搭載艇は検知された。
磁気探知線の内側には防潜網が張られていたが、船舶の通行のため西端と東端が開けられていた。イ27号搭載艇は防潜網を西端から通過したが、その先にあった海上灯と衝突し、後退したときに艦尾が防潜網に絡まってしまった。20:15に監視員は海面に出ていた艦首を発見し、通報を受けた警備艇2隻が2発の爆雷を投下したが、水深が浅かったためこれらは不発であった。
この間に、イ24号搭載艇は21:48に磁気探知線に検知されずに通過して港内に進入した。一方、イ27号搭載艇搭乗員は防潜網からの脱出を断念し、22:35に艇を自沈させ自決した。
イ24号搭載艇はガーデンアイランド付近で22:52に米重巡洋艦「シカゴ」の探照灯に発見された。「シカゴ」は直ちに13cm砲と四連装機銃で攻撃を行ったが命中しなかった。一方この頃、イ22号搭載艇が港内に進入し、警備艇に発見され体当たりを受けた。警備艇は23:03に更に6発の爆雷を投下したが、イ22搭載艇は海底に着底してこの攻撃をやり過ごした。
イ24号搭載艇は潜航しハーバーブリッジ方面に退避して「シカゴ」の攻撃をかわした。その後潜望鏡深度に浮上し、自艇がデニソン要塞の西にいることを確認した。イ24号搭載艇は「シカゴ」を狙うために反転して2kmほど東へ戻った。
イ24号搭載艇は00:30に「シカゴ」に向けて2本の魚雷を発射した。1本は「シカゴ」のかすめ、オランダ潜水艦「K-Ⅳ」と宿泊艦「クッタブル」の艦底を通過し、埠頭で爆発した。
この爆発で「クッタブル」は真っ二つに折れて沈没し、19人のオーストラリア兵と2人の英兵が死亡し、10人が負傷した。なお、この爆発で「K-Ⅳ」も損傷した。
もう1本は不発で、後日ガーデンアイランドの岸に乗り上げていたのが発見された。
イ24号搭載艇は魚雷発射後、港外に向けて退避を始めた。01:58に磁気探知線を通過したのが検知されたが、オーストラリア軍は更に別の「特殊潜航艇」が進入してきたと考えたようである。一方、イ22号搭載艇は警備艇の攻撃をしのいで一旦港外に出ていた。
「シカゴ」は02:14にガーデンアイランド付近から港外に退避するため移動を始めた。一方、イ22号搭載艇は再度港内への進入を開始し、02:50に監視員は「シカゴ」の舷側をすれ違うイ22号搭載艇の潜望鏡を視認した。
03:01に磁気探知線はイ22号搭載艇を検知した。イ22号搭載艇は港内に進入していったが、03:50にニュートラル湾で1隻の警備艇に発見され攻撃を受けた。
イ22号搭載艇は04:40に豪重巡洋艦「キャンベラ」を発見し魚雷を発射しようとしたが、損傷のために発射できなかったと考えられている。イ22号搭載艇はテイラー湾に逃れるが、05:00に再び発見され3隻の警備艇に囲まれて爆雷攻撃を受けた。07:30頃搭乗員は自決した。警備艇は08:30まで計19発の爆雷を投下した。
潜水艦(母艦)は6月3日まで「特殊潜航艇」の帰投を待っていたが、港外への脱出に成功したイ24号搭載艇は戻らずに行方不明となった。2006年にイ24号搭載艇はシドニー北部沿岸から5.6km離れた場所の海底70mに沈んでいるのが発見された。損傷で行動不能になってしまったか、航法を誤ったのではないかと思われる。
オーストラリア海事博物館(Australian National Maritime Museum)
オーストラリア海事博物館はオーストラリアの船に関するものを全般的に取り扱う博物館である。古代のカヌーから現代の航海技術まで、その展示内容は幅広い。
船のエンジンを模した大掛かりな模型である。電動でピストンが動かされており、仕組みが良く分かるようになっている。
ここの博物館の一コーナーに、シドニー港攻撃に参加した「特殊潜航艇」の装備品が展示されている。本拠地を突如攻撃されたオーストラリアは大きな衝撃を受けた。シドニー港攻撃の後に市民に配られたガスマスクや当時の新聞記事なども展示されている。
博物館の前のコックル湾には駆逐艦「バンパイア」と潜水艦「オンスロウ」が浮かべられている。どちらも戦後に建造されたオーストラリア海軍の艦艇である。こちらは入場は有料である。
展示内容詳細
・特殊潜航艇の部品
・その他関連展示物
「オーストラリア海事博物館(Australian National Maritime Museum)」の歩き方
入場料:博物館のみは無料
休館日:クリスマスデー
開館時間:09:30-17:00
09:30-18:00(1月のみ)
HP: http://www.anmm.gov.au/site/page.cfm
(2011年現在)
博物館のみは無料であるが、受付でシールをもらって胸に貼る。
「特殊潜航艇」のコーナーは無料のエリアにある。
特別展示や潜水艦などは有料。全て見学する場合は32豪ドルである。
オーストラリア海軍記念館(Australian Naval Memorial)
シドニー湾南岸に突き出たガーデンアイランドという半島部分は軍用地となっているが、この先端部分には博物館があり、一般に公開されている。博物館はオーストラリア海軍の装備品などの展示が中心である。
ここには昭和17年(1942年)5月30日にシドニー港攻撃で沈没した「特殊潜航艇(イ22号搭載艇)」の操縦室部分が展示されている。この「特殊潜航艇」は同年6月に引き揚げられ、中からは松尾敬宇大尉、都竹正雄二等兵曹の遺体が収容された。
シドニー港攻撃ではイ24号搭載艇から重巡洋艦「シカゴ」を狙って発射された魚雷がガーデンアイランドの岸壁に当たって爆発し、係留されていたオーストラリア海軍の宿泊船「クッタブル」が損傷を受けて沈没した。博物館の南西側の埠頭が、まさに「クッタブル」が沈没した場所である。
軍用地にはゲートが設けられているが、その手前からその場所を見ることができる。なお、写真中央の赤屋根の白い壁の建物には魚雷の爆発で受けた損傷が現在も残っているそうである。
展示内容詳細
・特殊潜航艇(イ22号搭載艇)の操縦室部分
・特殊潜航艇の部品
・急降下爆撃機のエンジン
・巡洋戦艦オーストラリアのデッキ
・連合軍の銃火器
・その他展示品
「オーストラリア海軍記念館(Australian Naval Memorial)」の歩き方
ガーデンアイランドはアイランドと言いつつシドニー市街から陸続きの半島にあるのだが、半島の付け根部分が軍用地となっており通行できない。そのため、観光客はサーキュラーキーからシドニーフェリーに乗り、海路を通らなくてはならない。サーキュラーキーの船着場はシティーレールのサーキュラーキー(Circular Quay)駅を降りてすぐの場所にある。
サーキュラーキーの4番桟橋から「ワトソンズベイ」行きの船に乗り、一つ目の船着場の「ガーデンアイランド」で下船する。料金は往復で5.3豪ドルである。なお、ガーデンアイランド発サーキュラーキー行きの最終船は比較的早いので船着場で確認しておくのが良いだろう。今回は一便カットにより15:06が最終船であった。
「ガーデンアイランド」の船着場から左にしばらく歩いたところのレンガ造りの茶色の建物が博物館となっている。「特殊潜航艇」の操縦室部分は無料エリアにある。その他展示品は奥の有料展示室の中にある。
オーストラリア海軍記念館(Australian Naval Memorial)入場料:展示室は5豪ドル
休館日:祝日
(Good Friday Xmas Day Boxing Day New Years Eve New Years Day)
開館時間:09:30-15:30
HP: http://www.maritimeworld.net/sn.asp?PageNumber=283
(2011年現在)
博物館からさらに海沿いに歩いていくと、艦砲などを展示したエリアがある。このエリアは軍用地のゲートに行き着くが、ここから「クッタブル」が沈没した埠頭を見ることができる。