「オーストラリア海事博物館」の展示内容

大東亜戦争におけるシドニー・キャンベラ・メルボルンの歴史
シドニー・シドニー港攻撃概要・オーストラリア海事博物館 (Australian National Maritime Museum)・オーストラリア海軍記念館 (Australian Naval Memorial)キャンベラ・オーストラリア戦...
シドニー
シドニーの戦跡一覧シドニー港攻撃概要シドニー港と言えば世界遺産に登録されているオペラハウスが有名であろう。毎年多くの観光客が訪れる。昭和17年(1942年)、日本海軍はこの港に停泊する艦艇を潜水艦から発進させる「特殊潜航艇」を使って攻撃する...

特殊潜航艇の部品

引き揚げられた「特殊潜航艇」の鉛のバラスト(重量バランス調整用の重り)を溶かして作られた「特殊潜航艇」の模型である。戦費調達のためにオーストラリア国内で一般に販売された。

「特殊潜航艇」から回収された計器である。

電流計のようである。シドニー港攻撃に用いられた甲型は蓄電池から駆動力を得ていたが、その航続距離は6ノットで150km程度であった。最大出力では19ノットがでたが、持続時間はわずか50分程度であった。雷撃したあと敵の攻撃を振り切って母艦に帰還するのは非常に困難であったことであろう。昭和19年(1944年)に開発された丙型は40馬力ディーゼルエンジンが搭載された。

回転計のようである。「指度」「研究所」などの漢字が読み取れる。

その他関連展示物

オーストラリアの本拠地であるシドニー湾への攻撃はオーストラリアに大きな衝撃を与えた。市民には空襲に備えてガスマスクが配られた。

また、攻撃後は志願兵によってシドニー湾の巡回監視が行われた。この帽子は志願兵の制帽である。

オーストラリア市民が残していた当時の新聞の切り抜きである。見出しは、「陸軍から市民へのアドバイス」「引き揚げられた日本の特殊潜航艇がまもなく公開」「特殊潜航艇の部品販売される」「これは特攻兵器ではなかった-新しい見解」など、当時の新聞を通してシドニー湾を攻撃した「特殊潜航艇」への強い関心が伺える。

当時作られたバッジや配給票である。

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大東亜戦争におけるオーストラリアの歴史
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