特殊潜航艇(イ22号搭載艇)の操縦室部分
博物館に入ってまず目に付くのが「特殊潜航艇」の操縦室部分である。これは無料エリアに置かれており、自由に見ることができる。イ22号搭載艇は松尾敬宇大尉、都竹正雄二等兵曹が操縦していた。
イ22搭載艇は突入した3艇の中で最後にシドニー湾に到達した。最初の艇が入ってから約3時間後の23:00に突入したが、その頃は既に湾内の警備は厳しくなっており、湾入口でオーストラリアの警備艇LaurianaとYandoraに探知された。
その後3:50にKanimblaから攻撃を受けた。潜航艇はシドニー湾北側のTaylors Bayに追い込まれ、複数の警備艇から爆雷攻撃を受けて7:30頃に自沈した。
潜航艇の上部は大きくひしゃげているのが分かる。爆雷攻撃によるものと思われる。
操縦室の隔壁には後部電池室と連絡する開口部が開いている。アクリル板がはめ込まれているが、中を覗きこむことができる。右舷側には九七式特眼鏡用の昇降装置とモーターが備えられ、後部に無線機、電灯などの電装品が備えられている。左舷側には後部に放電計、界磁調整器、応急タンクが配置され、前部には九七式転輪羅針儀、縦舵舵輪、深度器が備えられた。
直径70cmの司令塔内部スペースには昇降可能な「九七式特眼鏡」が備えられていた。
特殊潜航艇の部品
有料エリアには「特殊潜航艇」の部品が展示されている。湾内で撃沈された2艇の「特殊潜航艇」は翌月に引き揚げられた。それぞれにはタグが付けられている。部品は戦費調達のために販売された。
こちらはなにやら回転部品の受け軸のようである。
タグには「1942年5月31日にシドニー湾で撃沈された日本の特殊潜航艇-海軍予算に協力を(1942年6月30日発行)」と書かれている。
部品の隣の刀は終戦後にオーストラリア軍に降伏した日本軍将校が持っていたものである。
急降下爆撃機のエンジン
昭和19年(1944年)10月21日、フィリピンのレイテ湾において巡洋戦艦「オーストラリア」の艦橋に日本軍急降下爆撃機が激突した。艦橋にいた艦長を含む10名が戦死し、65名が負傷した。これはその機のエンジンである。
日本軍の特攻が始まるのは同月25日からであり、特攻ではなく被弾後の体当たりだったのではないかと思われる。また、これは空冷エンジンであるので、艦上爆撃機「彗星」ではなく、「九九式艦上爆撃機」か陸軍の「九九式襲撃機」のものではないかと思われる。
巡洋戦艦オーストラリアのデッキ
さらに巡洋戦艦「オーストラリア」は昭和20年(1945年)6月5日にフィリピンのリンガエン湾において特攻を受けた。特攻を受けて「オーストラリア」では火災が発生した。
火災で黒く焦げた跡が残っている。
連合軍の銃火器
連合軍の銃火器である。
昭和13年(1938年)から運用が始まったイギリス製の「MK1ブレン」軽機関銃である。「MK1」はオーストラリア軍で広く使われた。本銃は昭和18年(1943年)に製造されたものである。30発入りの弾倉を装備しており、500発/分の発射速度があった。
その他展示品
各種砲弾である。石の玉は17世紀の帆船に据え付けられた大砲の弾である。
広島の爆心地で被爆した石灯籠である。昭和20年(1945年)にオーストラリア海軍によってシドニーに運ばれた。
「特殊潜航艇」のものではないが、潜水艦の潜望鏡がある。潜望鏡は博物館建物の上部につながっており、実際に左右に動かして外を見ることができるようになっている。
博物館建物のすぐ近くはシドニー湾であり、湾内を行き来する船を潜望鏡を通して見ることができる。雷撃前の潜水艦乗組員には潜望鏡を通してこのような光景が見えていたのであろうか。