「ジンドリンカーズライン(城門水塘周辺)」の詳細

大東亜戦争における香港の歴史
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戦跡・見どころ一覧「ジンドリンカーズライン(城門水塘周辺)」香港市街地のすぐ北側は起伏の激しい丘陵地帯となっており、英軍は香港防衛のためにここにジン・ドリンカーズ・ラインという陣地を築いていた。現在は付近にトレッキングコースが整備されており...

「陣地 北西側」

マクリホーストレイル6付近のジン・ドリンカーズ・ラインの全体図である。

陣地の北西側は北端と西端にトーチカがある。

ジン・ドリンカーズ・ラインとは英軍が日本軍の香港攻撃に備えて香港市街の北の丘陵地帯に築いた要塞線である。フランスのマジノ要塞線を参考に作られ、東洋のマジノ線と呼ばれた。

地下通路の北端には送電線の鉄塔が立っている。この先にトーチカがあるようである。「①」

地下通路の北端である。土砂が入口をほとんど塞いでしまっており、かろうじて中が覗き込める程度である。

要塞線は九龍半島西側の醉酒湾から城門水塘、獅子山を通り、半島東側の白沙湾までつながっていた。

地下通路は天井部分が地表に出ている。地下通路の上にはところどころ通気孔が設けられている。通風孔の大きさは50cm四方といったところである。戦闘時、日本軍はこの通風孔から手榴弾を投げ込んだりしたようである。「③」

地下通路の天井部分に破孔が開いているところがある。傾斜部分は階段となっている。「④」

要塞線の長さは18kmであり、九龍半島北側の新界地区からの侵攻に備えていた。

地下通路内部に照明等はなく、外部から差し込む光のみで薄暗い。場所によっては真っ暗である。「⑤」

地下通路の出口部分である。「⑥」

要塞線は実際には完全な「線」として作られたわけではなく、ラインに沿って築かれたトーチカや塹壕、砲台などが地下通路によってつなげられていた。

地下通路の出入口には地下陣地全体の地図や注意書き等が貼ってある。

英軍兵士が構内を覚えやすいように、通路にはロンドンに実在する通り名にちなんで名前が付けられている。

トレイルの地下をくぐって反対側、西側のトーチカへ抜ける途中の塹壕部分である。ここは小川が流れており、塹壕の中に水が溜まってしまわないように排水溝が開けられている。「⑦」

西側のトーチカ(Pillbox 403)である。現在、正面は山の裾野まで建てられているマンション群がすぐ近くまで迫っている。「⑧」

ーチカ正面に切り込みがある。ここに銃器が据え付けられたのであろうか。

英軍司令官はこの強固な要塞線によって、日本軍の侵攻を少なくとも6ヶ月食い止めることができると考えていた。また、日本軍司令官も進撃には十分な準備と兵力が必要と考えていた。

「陣地 北東側」

マクリホーストレイル6付近のジン・ドリンカーズ・ラインの全体図である。

陣地の北西側は2つのトーチカと入り組んだ地下通路から構成されている。地図で見るとシンプルそうに見えるが、実際に内部を歩くと地下通路がカーブしたり上り下り、分岐があり、自分がどこにいるのか分からなくなる。

昭和16年(1941年)12月8日の大東亜戦争開戦と同時に、陸軍航空隊の爆撃機36機が啓徳飛行場の5機のみの英軍機全てを地上で破壊し、香港攻略戦の火蓋が切って落とされた。

北西側、トレイルから塹壕が見えるところの入口である。ここには2つの入口が開いている。「①」

北東端のトーチカへ向かう途中の塹壕部分である。「②」(→)

昼頃から広東の日本軍陸上部隊は深セン川を越えて九龍半島北側の新界に進軍を開始した。新界の英軍部隊は戦闘を避け、橋や道路を破壊しつつジン・ドリンカーズ・ラインに退却した。ジン・ドリンカーズ・ラインには英軍3大隊のみが配備されていた。

長い通路を抜けるたところにトーチカ(Pillbox 401)がある。「③」

トーチカは開けた場所にあり、遠くに下城門水塘が見渡せる。「④」

第二三軍司令官酒井中将はジン・ドリンカーズ・ラインの突破に一ヶ月を見込んでいた。酒井中将は深セン方面からさらに兵力を移動させ、攻城用重砲を用意して準備が整ったところで総攻撃をかける計画を立てていた。

トーチカは天井部分がない。壁面を見る限り崩れたような跡もないので、元から無蓋の構造として造られた物ではないだろうか。広さは3、4m四方程度である。

側壁の高さは3m程度である。内部は草が生い茂っている。

9日夜、戦局は急展開を見せる。城門水塘前面に展開していた歩兵第二二八連隊の第三大隊第十中隊が敵陣地を偵察中、中隊長の若林東一中尉は陣地の防備が隙だらけであることを見抜いた。

東側通路のT字路部分である。土砂で完全に埋もれてしまっている。「⑤」

東側のトーチカ(Pillbox 400)である。「⑥」

若林中尉は独断、わずか20名を率いて陣地の一角を占領した。英軍守備隊は混乱し、数百名規模の日本軍の大部隊が夜襲をかけてきたと誤認した。正確な場所は不明だが、このあたりである。

前面の壁は倒壊し、横倒しになっている。

レイルに面した南西側の地下通路出入口である。それぞれの出入口には通り名が刻まれている。ここは「SHAFTESBURY AVENEU」である。「⑦」

急報を受けた酒井中将は独断専行に激怒したが、準備の整うのを待たずしてこの機に乗じて総攻撃を決断した。英軍は総崩れとなり、11日に九龍半島を放棄して香港島への撤退を発令した。

「陣地 南側」

マクリホーストレイル6付近のジン・ドリンカーズ・ラインの全体図である。

陣地の南側である。司令部と炊事場がある。

酒井司令官は独断専行の若林中尉を軍法会議にかけようとしたが、栗林参謀長らがなだめ、結局第23軍は「若林中尉の臨機応変の対応」と大本営および支那派遣軍へ報告した。若林中尉の名は全軍に轟き、後に感状が贈られることとなった。

トレイルに面した北西側の入口である。

入口から10mほどのところから先が完全に土砂で埋まっており、通行できない。「①」

さて、若林東一とはどのような人物であったのであろうか。
若林は士官であったが、いわゆるエリートではなく最初は徴兵されて陸軍に入っている。下士官を経て陸士52期生として入学し、首席で卒業した。

司令部はトレイルに面しているので、アクセスは容易である。天井部分には何ヶ所か通風孔があり、鉄柵がはめ込まれている。この司令部はジン・ドリンカーズ・ライン全体の司令部であった。「②」

司令部内部である。内部はそこそこ広く、5m四方程度の空間のほか、小部屋がいくつかある。

16歳の者もいる中で、若林は陸士予科入学時にすでに24歳であった。若林は当時日記にこう書き記している。「大器晩成。努力の一字をもって全生命を焼き尽くさんのみ」

司令部には大きい銃眼が開いている。24cm砲が配備されていた。

銃眼の反対側には細い出入口がある。

若林が陣地の一角を占領したとき、27名の英軍兵が捕虜となった。英軍が後方から陣地に向けて反撃の砲撃を行ってきたとき、若林は英軍大尉を砲撃から護るために壕の中に退避させようとした。

トイレである。隅に配管のような穴がある。「現在は使用不可」という張り紙が張られている(当たり前)。

司令部からは階段が続いており、トレイルをくぐる形で長い通路が伸びている。「③」

これを見たある将官が「捕虜など退避させてやる必要はない」と言ったが、若林は「私には弾が当たっても良いが、捕虜はそうはいきません」と言って英軍大尉をかばって壕に退避させた。将官はそれ以上は何も言えなかったという。

通路は右に曲がりながら炊事場へと続いていく。「④」

炊事場は二部屋あり、それぞれにかまどと棚、水槽がある。かまどは重厚な石造りでである。「⑤」

若林はジャワ島攻略戦に参加したあと、ガダルカナル島に送られた。昭和18年(1943年)1月14日、見晴山を死守していた若林は頭部に砲弾を受けて戦死した。ガダルカナル島からの撤退作戦が開始される2週間前のことであった。

かまどの真上には煙突へ続く孔がある。この壁の裏側にもうひとつのかまどがあり、煙突はふたつのかまどで共用されている。

炊事場を出て左手は塹壕となっている。「⑥」

ネズミ輸送の潜水艦の下士官によって持ち帰られた若林の戦闘日記の一節の「後に続くものを信ず」という言葉は当時有名となった。

炊事場を出て右手側には地下通路へ続く階段がある。「⑦」

階段を降りてすぐのところで通路は土砂で埋まっており通行できない。この先は反対側のトレイル側の出入口につながっていたはずである。「⑧」(→)

ガダルカナル島へ赴く前に若林が母に宛てた手紙より抜粋。

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