大東亜戦争におけるグアム島の歴史

大東亜戦争におけるマリアナ諸島の歴史
マリアナ諸島(Mariana Islands)は、日本から南に約2000㎞、フィリピン諸島から東に約2000㎞、北緯13°~21°・東経144°~146°、ミクロネシアの北西部に位置し、南北約800kmに渡って約15の島が並ぶ弧状の列島であ...

グアム島北部の戦跡
ジーゴ(Yigo)周辺
タモン(Tumon)周辺

グアム島中部の戦跡
ハガニア(Hagatna)周辺
アサン(Asan)沿岸
アサン(Asan)内陸

グアム島南部の戦跡
サンタ・リタ(Santa Rita)周辺
アガット(Agat)周辺
東海岸
南海岸

グアム島の面積はマリアナ諸島最大の約549平方kmで淡路島とほぼ同じ大きさである。人口もマリアナ諸島全体の約22万のうちグアム島には約15万4千人で最大である。北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地で、南部はラムラム山(海抜406m)をはじめとする山々が連なる丘陵地帯である。周囲には熱帯ジャングルが広がっている。

気候は典型的な海洋性亜熱帯気候で年間の平均気温は約26℃で夏冬差は小さく年中常夏の島である。11月から5月が乾季であり、6月から10月が雨季である。

グアム島は永正18年(1521年)にヨーロッパ人として最初にマゼランによって「発見」された。以来、約300年間のスペイン支配ののち、1898年の米西戦争でスペインがアメリカに敗れると、グアム島はアメリカに割譲された。一方、グアム島以外のスペイン領ミクロネシアはドイツへ売却された。第一次世界大戦でこれらのドイツ領となった島々は日本に占領されていたため、対米英開戦時は、日本領の島々の中にアメリカ領のグアム島が孤立する形となっていた。

大東亜戦争開戦直後の昭和16年(1941年)12月10日、日本軍約5200名の攻略隊がグアム島に上陸したが、米軍は孤立するグアム島の守備は不可能と考えて700名程度の守備隊しか配置していなかった。大きな戦闘もなく米軍守備隊は降伏し、戦闘は1日で終結した。

以降マリアナ諸島は前線から遠く離れた後方基地であったが、昭和19年(1944年)頃、日本の敗色が濃厚となってくると、日本はマリアナ諸島への米軍の侵攻を予想し、陸軍部隊の増援を送って要塞化を進めた。なぜならば、マリアナ諸島は絶対国防圏の要所であり、ここを失陥すると日本本土が「B29」の爆撃圏内に入ってしまうからであった。

昭和19年(1945年)年6月11日、米機動部隊来襲、以降空襲が始まった。7月20日、米艦隊は戦艦6隻・巡洋艦9隻・駆逐艦多数をもって上陸支援の艦砲射撃を行った。翌日21日午前8時、米軍はグアム島西側の「オロテ半島」を挟む2地点に同時に上陸を開始した。陸軍独立混成第四八旅団が守備する「浅間湾(アサンビーチ)」には米第3海兵師団が上陸した。日本軍は21日から23日にかけて大隊ごとに夜襲をかけたが、ほぼ壊滅した。陸軍歩兵第三八連隊が守備する「昭和湾(アガットビーチ)」には米第1海兵臨時旅団が上陸した。21日午後9時頃、第三大隊を中心とした残存兵力は 「アリファン山」から夜間突撃を行ったが大損害を受けてしまった。

25日、高品師団長は25日夜の総攻撃を師団命令として下達し、陸軍独立混成第十連隊、独立混成第四八旅団、歩兵第十八連隊は 「浅間湾(アサンビーチ)」に突撃した。しかし、米軍はさらに上陸部隊を増援しており、大隊長以下大半が戦死し青葉山(ニミッツヒル西側)に後退し、ここにおいて各部隊は組織的戦力を喪失した。

26日、米軍戦車数十両が陸軍独立混成第四八旅団が守備するマンガン山(ニミッツヒル)に攻撃を開始し、重松旅団長戦死。28日、米軍戦車数十両が陸軍第二九師団司令部のある「本田台(フォンテヒル)」に攻撃を開始し、高品師団長戦死。29日、小畑軍司令官が師団長に代わり全守備隊を指揮することとなった。残存部隊は陸軍も海軍も島北部の「叉木山(マタギャックヒル)」に集結した。8月9日、米軍戦車約50両が叉木山に攻撃を開始した。11日、「叉木山」の司令部陣地を破壊され、小畑軍司令官自決。

組織的戦闘終了後も約2500名の残存兵力は密林に入りゲリラ戦を展開したが、その多くは病人や負傷者であった。米軍はマリアナ諸島の飛行場を拡張、整備し、戦争終結まで「B29」による戦略拠点とて活用した。生存者の中には昭和20年の終戦を信じなかった者もいた。その中の一人、横井庄一元軍曹は昭和47年(1972年)1月に島民により発見され、日本への帰国を果たした。

グアム島の戦跡の特徴は、トーチカや砲が戦争当時の状態でそのまま遺っているものが多いことである。博物館等できれいに保存されているものからは感じられない、生々しいリアリティがそこにはある。現在は平和そのものの島であるが、そこだけは確かに半世紀前に日米の血みどろの激戦が繰り広げられたことを想起させる。

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