公園入口
チケットを買って入場ゲートを通ったところには、横井ケーブの模式図と写真展示がある。横井庄一氏はグアム島守備隊玉砕後ジャングルに逃れ、終戦を知らないままこのような洞窟で28年間生活していた。
1972年4月、食料採集のために川でエビ取りをしていたところを地元の漁師に発見されて終戦を知り、ついに日本への帰国を果たした。長期間に渡るジャングルでの孤独な生活は想像を絶する過酷なものだったことであろう。
帰国後はすぐに戦後の日本の生活に馴染み、日本各地で講演を行うなど精力的に活動した。その後、横井夫妻がタロフォフォ公園を訪れたときの写真が展示されている。歓迎式典や横井夫妻が滝やケーブを見学している様子が分かる。1997年に満82歳で心臓発作で死去した。
入口から滝まではロープウェーで移動できる。横井ケーブのレプリカはロープウェーを降りて更に10分ほど歩いたところにある。
横井ケーブのレプリカ
横井ケーブの模式図である。川沿いの竹林に位置し、深さは2.5mで洞内の高さは1mである。入口のほかに通風孔が開けられている。
横井氏発見時の写真である。帰国の際の羽田空港での第一声「恥ずかしいけれど、帰って参りました」との言葉を捉えた「恥ずかしながら帰って参りました」はその年の流行語となった。
レプリカは川沿いにあり、周囲は竹が植えられていて、本物の状況を再現している。穴の中には入ることができない。なお、本物の横井ケーブはこのタロフォフォ川の下流の私有地にあったが、現在は台風による土砂崩れのために埋没してしまったそうである。
横井ケーブのレプリカの入口部分である。周囲の土が崩れないように竹で囲われている。横井氏はこのような生活用の穴を数回造っては発見されないように引越ししていた。
入口から中を覗きこんだ様子である。横井氏は壁だけでなく、竹で床や天井を造り、また棚や油のランプも手作りしていた。戦前は仕立て屋であり、服も木の繊維から作っていた。
戦死者を追悼する仏壇である。なお、この仏壇の横の看板には「タロフォフォ滝公園内に唯一の横井洞穴を保存しています。」と書かれているが、レプリカをあたかも本物であるかのように記載するのは道義的に問題があるだろう。
グアム歴史館
ロープウェーを降りたところにグアム歴史館がある。グアム島の歴史をジオラマで展示している。
原始時代である。チャモロの伝説では、ブンタという神様が亡くなったとき、彼の力を受け継いだ妹がこの世の地や空を造ったそうである。
スペイン統治時代である。1521年にスペイン船によってグアム島がヨーロッパに初めて発見されて以来、約300年間スペインの統治が続いた。スペイン人がチャモロ人を奴隷にし、鞭で虐待している様子が描かれている。
米西戦争で1898年にスペインが敗れると、グアム島はアメリカに割譲された。アメリカ人とチャモロ人が平和に共存している姿が描かれている。しかし、グアムが現在アメリカ領であることを考えると恣意的に感じる。
日本軍占領期である。日本軍がチャモロ人を強制労働させている様子が描かれているが、鞭を持った日本兵の人形もまた恣意的に感じる。
日本軍敗戦時の様子である。日本兵が米軍の捕虜になるのを拒否して自決している様子が描かれている。手前に置かれている銃は模型か、あるいは日本軍のものではないようである。
このジオラマの左側に立てられているのは「三十年式銃剣」を取り付けた「九九式小銃」である。
銃の機関部に「九九式」の刻印が読み取れる。
この「九九式小銃」は初期型である。初期型は銃身部分に支え棒が付いているのが特徴である。後期型では生産工程を簡略化するために、この支え棒は省略された。
昭和19年7月31日の米軍の上陸時の様子である。
ジオラマの手前に米軍のものらしきヘルメットや小銃、弾丸などが置かれている。
グアム島守備隊玉砕後の横井庄一氏のジャングルにおける潜伏生活を描いたものである。横井氏は中川氏と共に13年間一緒に生活していたが、中川氏はその後横井氏と別れてジャングルの中で亡くなった。
展望台
入口からロープウェーに乗らずに道を歩いて行くと、途中に展望台があり、タロフォフォのジャングルを見渡すことができる。
本物の横井ケーブはこの公園よりもタロフォフォ川の下流側にあったそうである。展望台からの景色。
タロフォフォの滝
第一の滝である。
川には吊橋がかけられており、対岸へ渡ることができる。
タロフォフォの滝タロフォフォの滝第二の滝である。
滝のそばにあるタロフォフォ横井ストアでは土産物等を販売している。
野外射撃場
公園内には屋外射撃場がある。受付には日本人スタッフがいる。射撃場の中は現地スタッフの案内に従う。コースは5種類ほどあるが、最も安い拳銃弾35発のコースが70ドルである。(2010年現在)
他にマグナムやショットガン、自動小銃を撃てるコースもある。
受付には拳銃から自動小銃まで、各種銃器が展示されている。
射撃場に入るとサングラスと耳当てが渡される。事故を防ぐためにセーフティフィンガー、すなわち撃つとき以外は引き金に指をかけずに指を伸ばしておくこと。
自動拳銃の弾倉である。弾丸を渡されるので、これを弾倉に入れていく。タモンの繁華街にある屋内型の射撃場は観光客向けに火薬量を減らした弱装弾を使用しているが、ここで撃てるのは警察などが使用している通常弾である。発砲音は迫力満点である。
射撃は何種類かできるようになっている。人型の紙の的のほか、缶やペットボトルを狙うこともできる。缶には中身が入っており、当たると中身が飛び散るので爽快感がある。
射撃が終わると記念に的をもらえる。素人は引き金を引くときにつられて銃口も下げてしまいがちなので、下に外れることが多いようである。