北部海岸周辺の戦跡一覧
日本軍トーチカ、LVTの残骸 (チュルビーチ)
昭和19年(1944年)7月24日7時頃、米軍は「チュルビーチ(CHULU BEACH)」に第4海兵師団を上陸させた。
「チュルビーチ」は米軍によってWhite Beach 2と命名されていた。
「テニアン港」周辺での陽動作戦によって手薄になった「チュルビーチ」には、第二九師団第五十連隊第三中隊と海軍第五六警備隊が配備されていた。
しかし、米軍の砲爆撃と水際戦闘のためにほとんど全滅した。
24日中に米軍は第4海兵師団と第2海兵師団の一部、25日には第2海兵師団の残余を上陸させ、南下を開始した。
「チュルビーチ」の砂浜の長さは300mほどであり、この砂浜の北東の端に「日本軍のトーチカ」が遺されている。
「トーチカ」の前面は大小のおびただしい数の弾痕が残っており、米軍の上陸正面となったこの場所の戦闘の激しさを物語っている。
この「トーチカ」には 「九四式三十七粍砲」1門が配置されていた。また、周囲には掩兵壕があり、 「九二式重機関銃」2挺が配置されていた。
内部はコンクリート壁で仕切られた小部屋が1つあるだけのシンプルな作りである。
銃眼は一つだけで南西を向いており、砂浜を射界に収められるようになっている。
「チュルビーチ」に上陸する米軍を迎え撃ったこの「トーチカ」は、米軍によって側面から攻撃され、後方から破壊された。
また、この「トーチカ」の前の水際の岩場には、車両か船艇のギアのような部品が残っている。
これはここで日本軍に撃破された米軍の「LVTの残骸」の部品であろうか。
「日本軍トーチカ、LVTの残骸 (チュルビーチ)」の歩き方
「日本軍トーチカ」「LVTの残骸」は「チュルビーチ」にある。「チュルビーチ」はテニアン島の北西端にある。
「原爆ピット」のすぐ北側を東西に通る舗装道路を西に進む。
「原爆ピット」の北側の入口付近には「CHULU BEACH」と 「BOMB ASSEMBLY AREA」の看板がある。
舗装道路を道なりに左に曲がっていくと看板から約1kmでT字路が出てくるが、ここは舗装路を道なりに進む。
T字路から約700mのところにある十字路を右折する。この十字路を約1km進むと「チュルビーチの看板」が見えてくる。
「チュルビーチの看板」は「LVT」のあるロータリーから北に約700mである。
看板の交差点を鋭角に右折して約50m進むと正面に草の茂る道、左手に砂利道が出てくる。
この砂利道を約100m進むと海岸(チュルビーチ)に出る。「日本軍トーチカ」は「チュルビーチ」の少し手前の右側にある。
LVT(A)-2
「チュルビーチ」の少し内陸に米軍の「LVT」が遺されている。
「LVT(Landing Vehicle Tracked)」とは米海軍が上陸作戦に用いた水陸両用トラックであり、日本でいう装軌式水陸両用車両にあたる。
米軍によるサイパン島・テニアン島での上陸作戦には多数の「LVT」が投入され、米海兵隊員や装備品を迅速に陸揚げした。また、上陸時だけではなく、内陸に於ける戦闘にも使用された。
この車両は「LVT(A)-2」で、戦後に付近の砂浜から掘り起こされた。米軍がテニアン島占領後に放置していったと思われる。
「LVT(A)-2」は「LVT-2」に装甲(厚さ:6mm~12.5mm)を施した型式であった。
前方の操縦席にはペダルの一部が遺されている。
「LVT(A)-2」は昇降扉(ランプドア)を装備しておらず、兵員は側面部分をよじ登って乗り降りした。後に、車体後部に大型の昇降扉(ランプドア)を装備した「LVT-4」が登場した。
水陸両用であるがスクリューはなく、履帯(キャタピラ)が水かきの役割をして推進力を得ていた。この車両のキャタピラは失われている。
「LVT(A)-2」の歩き方
LVT(A)-2LVT(A)-2「チュルビーチの看板」から南へ約700m行くとロータリーがある。
このロータリーの中央のコンクリートの台の上に置かれている。
テニアン島の西側を南北に貫く「8番街(8th Ave.)」を北上しても行く事が出来る。
「米海軍第107工兵大隊記念碑」 (「8番街」と「42番通」の交差点)から北に約2.5km進むとロータリーがある。