8番街(8th Ave.)周辺の戦跡一覧
日本村跡(チューロ村跡)
「8番街(8th Ave.)」と「86番通(86th St.)」の交差点の北の密林に「日本人村跡」が遺されている。
日本統治時代、この一帯はチューロと呼ばれ、日本人村(チューロ村)があった。
また、米軍占領後は捕虜収容所(CAMP CHURO)が開設された。サイパン島の「北マリアナ博物館」にはその時の看板が展示されている。
殆どの建物は失われているが、当時の「駐在所跡」が遺されている。
コンクリート製のアーチ型の壁である。立派な正面玄関であったのだろうか。
裏側には壁の跡が遺されているが、土台以外は殆ど失われている。また、多数の弾痕があり、この村も米軍の攻撃に晒された事が分かる。
はっきりと遺されているのは「駐在所跡」のみであるが、付近には「コンクリート製の杭や土台」が遺されている。
しかし殆どは草に覆われ、当時栄えたであろう村の面影は無い。付近には火焔樹(南洋桜)の木が生い茂っている。
「日本村跡(チューロ村跡)」の歩き方
日本村跡(チューロ村跡)日本村跡(チューロ村跡)「テニアン空港」のターミナルを出て「ブロードウェイ」に出たら左折して真っ直ぐ北へ進む。
「ブロードウェイ」を約2.3km北上すると「T字路」があるので、この「十字路」を左折して真っ直ぐ西へ進む。この道は「「86番通(86th St.)」」である。
「ブロードウェイ」の北から来た場合は、 「日本軍通信局」から南に約1.3km進むとこの「T字路」があるので右折して「86番通(86th St.)」に入る。
約2.7km進むと「8番街(8th Ave.)」と「86番通(86th St.)」の交差点がある。この交差点には「米海軍第107設営大隊記念碑」がある。
日本村跡(チューロ村跡)日本村跡(チューロ村跡)交差点を右折すると「8番街(8th Ave.)」に入るので、これを北上する。
750m程進むと「8番街(8th Ave.)」の右手(東側)に茂みの中に入る未舗装路の入口がある。
看板等は無く、入口は狭い為分かりにくい。
「8番街(8th Ave.)」を北から南に見る。左側(東側)の一番手前の電柱の辺りに未舗装路の入口がある。
未舗装路の両脇は茂みになっており、300m程進むと右手に「日本村跡」がある。
「駐在所跡」は分かり易いが、「コンクリート製の杭や土台」は見えにくい。
米海軍第107設営大隊記念碑
「8番街(8th Ave.)」と「86番通(86th St.)」の交差点の南西に「米海軍第107設営大隊記念碑(107 SEABEES MONUMENT)」が建てられている。
Seabee(海の蜂)とは米海軍設営大隊を指す名称である。Construction Battalion(設営大隊)を省略したCBから転じた語呂であり、昭和17年(1942年)3月5日に正式名称として採用された。
テニアン島には、12個(第9・第13・第18・第38・第50・第67・第92・第107・第110・第112・第121・第135)の米海軍設営大隊が進出し、飛行場・道路・兵舎等の建設を行った。
「記念碑」には、米軍占領当時のテニアン島の地図が描かれている。
島を南北に貫く「ブロードウェイ」「8番街」や「ノース・フィールド飛行場」「ウエスト・フィールド飛行場」「兵舎」等が記載されている。
「米海軍第107設営大隊記念碑 」の歩き方
「テニアン空港」の北西、「8番街(8th Ave.)」と「86番通(86th St.)」の交差点の南西ににある。
米海軍第107設営大隊記念碑 米海軍第107設営大隊記念碑 「テニアン空港」のターミナルを出て「ブロードウェイ」に出たら左折して真っ直ぐ北へ進む。
「ブロードウェイ」を約2.3km北上すると「T字路」があるので、この「T字路」を左折して真っ直ぐ西へ進む。この道は「86番通(86th St.)」である。
「ブロードウェイ」の北から来た場合は、 「日本軍通信局」から南に約1.3km進むとこの「T字路」があるので右折して「86番通(86th St.)」に入る。
約2.7km進むと「十字路」がある。この「十字路」は「8番街(8th Ave.)」と「86番通(86th St.)」の交差点である。この交差点の南西角に「米海軍第107設営大隊記念碑」がある。
尚、テニアン島北部の「日本軍牛飛行場駐機場跡」には「米海軍第67設営大隊記念碑」がある。