大東亜戦争におけるマニラの歴史

マニラ市街
・ネルソンタワー
・フィリピン空軍博物館
 (Philippine Air Force Museum)

マニラはスペイン植民地時代の16世紀末から、フィリピンの首都としてフィリピンの政治・経済・文化・交通など全ての中枢を担ってきた。ルソン島の中央やや南に位置し、西はマニラ湾、東はバエ湖に面し、これらには挟まれた細い地峡のような場所に開けている。その幅は、最もせまいところで10kmにも満たない。

なお、正式な首都名は「メトロ・マニラ(マニラ首都圏)」である。通常「マニラ」という場合はメトロ・マニラを指し、マニラ市を含む17の行政地域の集合体を意味する。いわば東京が23区の集合体であり、東京市というものが存在しないのと同様である。マニラはフィリピン全体の約14%にあたる約1200万人(2007年)が暮らす大都市である。

昭和16年(1941年)12月8日、真珠湾攻撃と同時にフィリピン攻略戦が開始された。台湾から発進した航空隊はマニラのクラーク飛行場とイバ飛行場を爆撃し、ほとんどの米軍機を破壊して制空権を握った。先遣隊が10日にルソン島北端のアパリ、12日にルソン島南端のレガスピーに上陸して航空隊を進出させると、続いて22日に本間雅晴中将率いる第14軍主力がマニラの北東約200kmのリンガエン湾に上陸してマニラを目指した。

一方米比軍はマニラの防衛を放棄し、マニラの東のバターン半島に撤退した。昭和17年(1942年)1月2日、マニラはリンガエン湾上陸からわずか11日で陥落した。

バターン半島には開戦前にアメリカが多数の陣地を構築し、堅固な防衛線が三線に渡って敷かれていた。1月16日から半島への攻撃が開始されたが、米比軍の抵抗は頑強であった。第一線の防衛線を突破したものの日本側の損害は大きく、本間中将は2月8日に攻撃中止を指示した。日本軍は中国方面から兵力と航空隊を増援して態勢を立て直し、準備砲爆撃を行った上で4月3日から再攻撃をかけた。日本軍は第二線、第三線の防衛線を立て続けに突破した。4月9日にバターン半島の米比軍は降伏し、7万人以上が捕虜となった。

日本軍重砲隊はバターン半島に進出してコレヒドール要塞砲と海を挟んで砲撃戦を繰り広げた。4月14日、一発の24センチ徹甲弾が要塞の弾薬庫に命中して大爆発が発生し、砲撃戦の決着が着いた。5月5日の夜、上陸作戦が決行され、上陸部隊は島北東端に橋頭堡を築いた。翌6日正午、司令官のウェンライト中将がコレヒドール守備隊の降伏を申し入れたが、本間中将は全米比軍の降伏を求めた。ウェンライト中将はこれを受諾し、ここにフィリピン攻略戦は完了した。

フィリピンは約2年半に渡って日本軍の軍政下に置かれたが、戦局が悪化の一途を辿っていた昭和19年(1944年)10月、米軍のフィリピン奪還作戦が開始された。米海軍はレイテ沖海戦で日本海軍を破り、ルソン島南西のレイテ島に上陸した米軍は12月にレイテ島をほぼ制圧した。

続けて米軍は翌昭和20年(1945年)1月9日、ルソン島リンガエン湾に上陸した。ルソン島の日本軍はバギオを中心とした北部を守備する尚武集団、マニラ周辺を守備する振武集団、クラーク飛行場などがあるマニラ北東部を守備する建武集団に分けられていた。

リンガエン湾から南下してマニラに向かった米軍は建武集団を撃破し、1月下旬にはマニラ郊外へ到達した。マニラ市街にはマニラ海軍防衛隊などが立てこもり、激しい市街戦が繰り広げられた。振武集団はマニラ防衛隊を支援するために2月8日に第一次総攻撃を行った。しかし、米軍の戦力ははるかに優勢であり、マニラは3月3日に陥落した。

振武集団は3月中旬に第二次総攻撃をかけたが、米軍の激しい砲撃と戦車隊での反撃を受けて3月下旬頃に戦力を失って撤退を余儀なくされ、終戦まで分散しての持久戦を行った。一方、北部を守備する尚武集団は6月頃まで組織的抵抗を行った。残存兵は食料不足や病気に悩まされながらも、山岳地帯の陣地にこもって抵抗を続けている状態で終戦を迎えた。

現在、コレヒドール島では要塞跡が観光地として公開されている。マニラ市街ではフィリピン防衛を命じられて赴任した山下奉文大将が降り立ったネルソン飛行場の管制塔が遺されている。

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