大東亜戦争における環礁内の海上・海中の歴史

トラック諸島は、珊瑚礁(リーフ)に囲まれた環礁で、太平洋のほぼ中央に位置しているにもかかわらず環礁内は海面が穏やかで水深も比較的浅い。更に環礁内への入り口は数箇所のリーフの切れ目しかなく、ここを封鎖すれば環礁内への敵性潜水艦等の進入を阻止する事が出来る等、天然の良港であった。更に、戦略的にも重要な場所にあった為、日本海軍はトラック諸島を泊地として重視し、後に内南洋(おおむね委任統治領南洋群島の内側)最大の海軍根拠地として整備されていった。

昭和16年(1941年)12月8日に大東亜戦争が開戦、トラック諸島は前線への補給拠点として機能し、また、艦隊泊地として連合艦隊の主力が進出した。併しながら、トラック諸島は内南洋最大の海軍根拠地ではあったが湾設備が不十分で、輸送船からの卸下に時間を要した。その結果、環礁内には常に船舶多数が滞留、これが後に重大な結果を招くことになる。やがて米軍の反抗が本格化、トラック諸島に対する米軍の襲来も次第に現実味を帯び、最早、連合艦隊にとっては安全な泊地とは言えなくなってきた。 昭和19年(1944年)2月10日、連合艦隊主力はトラック諸島からパラオ諸島に退避、そしてその直後の2月17日・18日、トラック諸島は米海軍による大規模な空襲を受けた。米軍の作戦名はヘイルストーン作戦(Operation Hailstone)、世に言うトラック大空襲であった。連合艦隊主力は既に退避していたが、依然として多数の船舶が停泊していた。

この空襲によって以下の船舶が撃沈され、軍民合わせて7000名以上が戦死した。
  特設運送船:19隻
   (「愛国丸」「清澄丸」「りおでじゃねろ丸」「瑞海丸」「国永丸」「伯耆丸」「花川丸」「桃川丸」「松丹丸」「麗洋丸」
    「大邦丸」「四江丸」「北洋丸」「乾祥丸」「桑港丸」「五星丸」「山霧丸」「第六雲海丸」「山鬼山丸」)
  特設油槽船・給油船:5隻(「第三図南丸」「天城山丸」「宝洋丸」「神国丸」「富士山丸」)
  特設航空機運搬艦:1隻(「富士川丸」)  海軍給水船:1隻(「日豊丸」)  特設潜水母艦:1隻(「平安丸」)
  特設巡洋艦:1隻(「赤城丸」)  特設駆潜艇1隻(「第十五昭南丸」)
  陸軍軍用船:4隻(「暁天丸」「辰羽丸」「夕映丸」「長野丸」)

沈没した船舶の殆どは当時の姿のまま海底に眠っており、環礁内は水深が浅い為、ダイビングでこれら船舶を見ることが出来る。ダイビング可能な海域にこれほど多数の沈没船が集中している場所は世界的にも例が無い為、トラック諸島はレックダイブ(沈船ダイブ)の世界的スポットとして知られ、特に欧米人ダイバーが多く訪れる。しかし、これら沈没船は、米海軍の攻撃によって撃沈された日本の船舶であり、今もなお船内には多数の遺骨が遺されている。近年、船内の遺骨が見世物のように展示される事があったが、これら沈没船を興味本位や物見遊山で見るのではなく、戦争を現在に伝える戦争遺跡として、そして、戦没した方々への慰霊の気持ちをもって望むべきであろう。