大東亜戦争における夏島(トノアス島・デュブロン島)の歴史

夏島は、トラック諸島(チューク諸島)の東に位置し、現地の言葉では、トノアス(Tonoas)島又はデュブロン(Dublon)島である。面積は約 平方km、日本統治時代は夏島と呼ばれ、トラック諸島の中心地として栄えていた。しかし、大東亜戦争末期の米軍の空襲によって公共設備の殆どが破壊され、戦後、中心地が春島(ウエノ島)に移った事もあり、現在は人口も少なく、インフラもあまり整備されていない。

カロリン諸島の一部であるトラック諸島には、19世紀末頃から、森小弁を初めとする多くの日本人が渡航、商業・漁業・農業などの産業を興していた。結果、この地域と日本との結びつきは次第に強くなっていった。
大正8年(1919年)、日本は第一次世界大戦の戦勝国として、国際連盟からドイツ領ミクロネシア(パラオ諸島・マリアナ諸島・カロリン諸島・マーシャル諸島)の統治権を認めら、大正11年(1922年)、これら委任統治領南洋群島(内南洋)を管理する為に南洋庁が設置された。

トラック諸島に於いては、既に多くの日本人が生活し、ある程度発展していたデュブロン島に「南洋庁トラック支庁」が置かれる事になった。日本統治時代、トラック諸島の島々には日本風の名前がつけられ、デュブロン島も夏島と呼ばれた。そして、夏島には、公共の施設として「南洋庁トラック医院(トラック病院)」や、「小学校」「公学校」が建てられ、他にも「都洛(トラック)神社」「本願寺」など神社仏閣も建てられた。

また、南洋興発・南洋興発水産・南洋貿易など南洋開発に携わる企業の支店、台湾銀行などの金融機関、各種行政機関が進出、更に多くの日本人が渡航すると共に、夏島中部には商店・飲食店・旅館・映画館などが建ち、トラック諸島の行政・経済の中心地として益々発展していった。トラック諸島は、天然の良港であり、戦略的にも重要な場所にあった。その為、特に昭和8年(1933年)以降、日本海軍の重要な泊地として整備されていった。昭和14年(1939年)には内南洋の防衛を担当する第四艦隊が編成された。その後も、春島や竹島に飛行場が整備され、トラック諸島は内南洋最大の海軍根拠地となっていった。そして、夏島には第四艦隊司令部や第四港務部・第四通信隊・第四海軍病院などが置かれた。また、夏島南部には大型船舶が可能な「1万トン桟橋」「重油タンク」などの港湾設備、「水上機基地」などが整備されていった。

昭和16年(1941年)12月8日に大東亜戦争が開戦、昭和17年には連合艦隊司令部も進出、南東方面(ソロモン諸島・東部ニューギニア)の戦線を支える、一大補給基地として機能した。
併しながら、昭和18年(1942年)2月に日本軍がソロモン諸島ガダルカナル島から撤退してから後、戦局は悪化の一途を辿り、、ソロモン諸島や東部ニューギニアに於ける日本軍戦線は後退、昭和18年 月にはギルバート諸島が米軍に占領された。その結果、トラック諸島も事実上最前線となり、米軍機による空襲に晒されるようになった。

嘗て連合艦隊の一大根拠地として機能していたトラック諸島は、最早安全な場所とは言えず、昭和19年(1944年)2月10日、連合艦隊主力はトラック泊地からパラオ泊地に後退、そして、その直後の2月17日・18日、トラック諸島は米海軍の大規模な空襲(ヘイルストーン作戦)を受けた。この空襲によって、夏島を始めとし、地上の施設や軍需物資の多くが焼失、艦船や航空機、人員に多数の被害が出た。その結果、トラック泊地は根拠地としての機能を喪失、その戦略的価値を失った。その後、4月30日・5月1日にも大規模な空襲を受け、7月~8月にマリアナ諸島が米軍に占領されると内地との輸送が殆ど途絶、取り残された日本軍部隊と一般邦人は終戦まで自給自足の生活を余儀なくされた。

昭和20年(1945年)8月15日、大東亜戦争が終戦した。結果、トラック諸島はアメリカの統治下となり、日本軍部隊や在住日本人は内地に送還される事になった。戦後は「春島第一飛行場」のあった春島が中心地となっていった。
米軍の空襲によって徹底的に破壊されていた夏島は、戦後も殆ど放置され、嘗て繁栄を誇った市街地や、港湾施設、学校や病院が再建される事は無く、その殆どはジャングルに覆われるか荒れるにまかされている。
しかし、現在も夏島の各所に遺される日本統治時代の遺構は、大勢の人が商業や産業に携わり、市街地が人々で賑わい、教育や公共福祉の充実していたトラック諸島の黄金時代を今日に伝えている。

夏島(トノアス島・デュブロン島)の国内交通

現在、春島(ウエノ島・モエン島)にしか大きな空港が無い為、夏島(トノアス島・デュブロン島)に渡るには基本的に船・ボートを利用するしかない。

春島南端のホテル「ブルーラグーンリゾート」では、離島ツアーやボートレンタルを行っている。

夏島にはタクシーやレンタカーが無い為、島内の移動は基本的に徒歩によるしかない。
また、島内の戦跡の殆どは私有地にある為、地権者に見学料(2ドル~5ドル/1人)を支払う必要がある。
現地人ガイド一緒に行くと話しがスムーズに進むだろう。