大東亜戦争におけるタイの歴史

タイ王国はインドシナ半島中央部に位置し、西にミャンマー、南にマレーシア、北東にラオス、南東にカンボジアと国境を接する。ラオス、カンボジアのさらに東にはベトナムが位置する。国土面積は約51万km2(日本の約1.4倍)であり、人口は約6242万人(2005年統計)である。タイ人の約95%は仏教徒であり、国土には多くの寺院がある。国民性はフレンドリーというよりはシャイなところもあるが、「微笑みの国タイ」というように、総じて穏やかで優しい印象である。

近代に東南アジア諸国が次々と欧米の植民地にされていく中、タイは唯一独立を保った国である。国民は王室の統治・外交手腕で難局を乗り切ったと捉えており、自宅に自発的に国王の写真を飾るなど、王室を敬う気持ちが強いようである。現在は立憲君主制であり国王は象徴的存在であるが、国王の政治や軍への影響力は強い。

19世紀になると、タイの周辺に欧米諸国が勢力を伸ばしてくるようになった。1824年、英蘭協定によってマレー半島がイギリスの勢力下に置かれた。続いて、三次に渡る英緬戦争ののち、1886年にビルマ(現ミャンマー)はイギリスの植民地となった。一方、フランスは1863年にカンボジアを保護国とし、植民地化を進めた。1887年にはベトナムを植民地とし、さらに仏泰戦争後、1893年にはタイの勢力下であったラオスを植民地とした。 1907年にはカンボジア北西部のバッタンバン・シエムリアップ・シソポンの三州をタイより割譲させてフランス領インドシナを構成した。

チャクリー王朝ラーマ5世はイギリスとフランスの脅威に対抗するため、チャクリー改革によって中央集権化と軍の近代化を進めていた。 イギリスとフランスはタイがある程度近代化していたためにあからさまな侵略ができず、また緩衝地帯としてタイを置くことが暗黙の了解になっていたため、タイは植民地化されずに独立を保つことができた。

昭和14年(1939年)9月、ヨーロッパにて第二次世界大戦が始まると、イギリスとフランスは本国の戦争に注力するために、タイに不可侵条約を提案した。イギリスとは比較的早く交渉がまとまったが、フランスとはタイがラオスとカンボジアの返還を求めて交渉が決裂した。

昭和15年(1940年)11月23日、タイ空軍が仏印領内を爆撃してタイ・フランス領インドシナ紛争が始まった。翌年の昭和16年(1941年)1月6日、タイ陸軍は20個大隊の兵力を持って国境を超えて侵攻を開始した。カンボジアとラオスに10個大隊に満たない兵力しか配備していなかった仏印軍はたちまち苦戦をしいられた。

当時日本軍は北部仏印に進駐しており、協定によって仏印軍の重火器は日本軍管理下にあったことも苦戦する要因となった。しかし仏印軍はベトナム人兵士を動員して前線に送って戦線を押し戻し、タイ湾ではコーチャン島沖海戦でタイ海軍を撃破して戦局を逆転させた。

昭和16年(1941年)5月8日、日本が軍事的圧力をもって和平を仲介し、東京条約をもって終戦となった。戦闘ではタイ側が劣勢であったが、条約ではタイの領土要求が全面的に認められる内容であったため、タイが親日に傾く要因となった。大東亜戦争開戦まもなくの12月21日にタイと日本は日泰同盟を締結し、昭和17年(1942年)1月8日に英軍機がバンコクを爆撃したのを機にタイもイギリスとアメリカに宣戦布告して枢軸国として参戦した。

昭和20年(1945年)8月15日、4年間に渡る戦争が日本の敗北によって終結すると、タイは翌16日に「1942年のイギリス、アメリカへの宣戦布告は無効である」と宣言した。 日本の敗色が濃くなってきた昭和19年(1944年)頃から「自由タイ」という反日組織が連合国と関係を強めており、連合国はタイの宣言を受け入れた。タイ・フランス領インドシナ紛争で獲得した領土は仏印に返還させられたが、タイは敗戦国扱いを免れた。

現在のタイ国軍の正規兵力は約30万人である。軍上層部の政治志向は強く、第二次世界大戦後から2006年までに16回(未遂含む)ものクーデターが計画、実行されている。2006年の無血軍事クーデターでは、2007年に民生復帰するまで国軍が政権を取ったことは記憶に新しい。このように政情は時折不安定になることもあるが、1967年の結成時から東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟し、現在も工業化を背景とした高度経済成長を維持している。

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