ダーウィン

大東亜戦争におけるダーウィン・アデレードの歴史
ダーウィン・オーストラリア航空歴史センター(Australian Aviation Heritage Centre)・イーストポイント戦争博物館(East Point Military Museum)・戦争記念碑(War Memorial)...

ダーウィンの戦跡一覧

オーストラリア航空歴史センター(Australian Aviation Heritage Centre)

ダーウィン空港に併設されている「オーストラリア航空歴史センター」である。現在民間空港としてダーウィンへの玄関口となっているダーウィン空港は、第二次世界大戦中はオーストラリア空軍基地として使われていた。この基地の使用を妨害しようとする日本軍機とそれを迎撃する連合軍機の間で何度も激しい空戦が繰り広げられた。

博物館の展示は第二次世界大戦中の航空機と解説のパネル展示が中心である。戦後の航空機も数機が展示されている。

この博物館で最大の飛行機は、アメリカのボーイング社の「B-52(ストラトフォートレス)」である。全長48.5m、全幅56.4m、全高12.4mの巨大な機体がハンガーをめいっぱい使って格納されている。

日本軍機では、ダーウィン空襲でエンジン故障で不時着した「零式艦上戦闘機(零戦)」や「一〇〇式司令部偵察機二型(百式司偵2型)」のエンジン、「一式陸上攻撃機(1式陸攻)」のプロペラなどがある。

展示内容詳細
・零式艦上戦闘機二一型(零戦21型)
・一〇〇式司令部偵察機二型(百式司偵2型)
・一式陸上攻撃機のプロペラ
・九九式艦上爆撃機の尾翼
・ダーウィン空襲時の爆弾の破片
・日本軍その他展示物
・P-40(ウォーホーク)のエンジンカウル、主翼、アリソンエンジン
・スピットファイア(レプリカ)
・B-25D(ミッチェル)、B-24の尾翼
・戦後の航空機

「オーストラリア航空歴史センター(Australian Aviation Heritage Centre)」の展示内容
零式艦上戦闘機二一型(零戦21型)昭和17年(1942年)2月19日のダーウィン空襲のあと、ダーウィン北約100kmのメルビル島に不時着した「零式艦上戦闘機二一型(零戦21型)」である。たびたび行われたオーストラリア北部への空襲の中でも、2...

「オーストラリア航空歴史センター(Australian Aviation Heritage Centre)」の歩き方


ダーウィン空港の南東端にあるハンガーが博物館となっている。空港南側のStuart Hwy.と空港東側のArmy Jhonson Ave.との交差点から西へ1kmほどの行ったところの北側(空港側)にある。入口には博物館の看板が設置されている(右写真)。

入場料:12豪ドル
休館日:なし
開館時間:09:00-17:00
HP: http://www.darwinsairwar.com.au/index.html
(2011年現在)

イーストポイント戦争博物館(East Point Military Museum)

ダーウィン市街北西側のイーストポイント岬に「イーストポイント戦争博物館」がある。第二次世界大戦期の連合軍の重砲や銃火器の収蔵が豊富である。

日本軍のものでは、「九二式重機関銃」や「九六式軽機関銃」、「九二式二十五番航空爆弾(92式250kg航空爆弾)」のほか、小銃類や装備品などが展示されている。

1920年代、英連邦は東洋の一大根拠地シンガポールの補完として、ダーウィンに燃料貯蔵庫を建設した。イーストポイント岬には燃料貯蔵庫を防衛するため要塞が築かれた。博物館の敷地に9.2インチ砲(23cm)の砲台がある。

要塞には2門の9.2インチ砲が設置されたが、もう一つの砲台は博物館の敷地外にあり、ここは現在広大な公園となっている。2門の9.2インチ砲に加えて、4門の6インチ砲(15cm)も設置された。他にも発電所、監視塔、弾薬庫、トーチカなどの要塞の付随施設が遺されている。

展示内容詳細
・九二式重機関銃
・九六式軽機関銃
・三八式歩兵銃、九四式拳銃
・装備品等
・艦隊模型と水兵帽子、服、搭乗員制服
・九二式二十五番航空爆弾
・連合軍重火器
・連合軍機関銃、小銃、銃剣
・P-40(ウォーフォーク)の残骸、アリソンエンジン、B-24(リベレータ)の機銃座
・砲台その2
・砲台その1
・要塞施設

「イーストポイント戦争博物館(East Point Military Museum)」の展示内容
九二式重機関銃日本軍の銃器がガラスケースの中に展示されている。右下の最も大きいものは、昭和14年(1939年)に制式採用された「九二式重機関銃」である。支那事変から大東亜戦争終戦まで各戦線で広く使用された。生産数は約45000丁と多く、東南...

「イーストポイント戦争博物館(East Point Military Museum)」の歩き方

イーストポイント岬はダーウィン市街地の北西側にある。市街地からはEast Point Rd.を北上する。

途中、「DARWIN CITY COUNCIL EAST POINT RESERVE」というプレートのある門を通過する。なお、この先にもう一つゲートがあり、23:00~05:00の深夜帯は閉鎖される。

門を通過してから道なりに行くと、大きく開けた芝生の広場に行き当たる。この芝生の広場の手前に看板があり、ここに公園内のイーストポイント要塞の遺構の場所が示されている。この看板の左手が「イーストポイント戦争博物館」である。ダーウィン市街中心部から博物館までは約7kmほどの道のりである。

入場料:12豪ドル
休館日:なし
開館時間:09:30-17:00
HP: http://www.darwinmilitarymuseum.com.au/
(2011年現在)

戦争記念碑(War Memorial)

ダーウィン市街南西に「戦争記念碑」がある。中央に大きいモニュメントがある。

モニュメントの両側にはオーストラリア軍が戦った場所が刻まれている。

モニュメントの後ろ側は各部隊ごとの記念碑が埋め込まれている。この場所は高台となっており、ティモール海が見渡せる。

各記念碑には部隊名、戦地、送る言葉などが刻まれている。この記念碑は「オーストラリア軍第2独立大隊 ニューギニア島、ニューブリテン島 我々は忘れない」と刻まれている。

「戦争記念碑(War Memorial)」の歩き方
戦争記念碑(War Memorial)ダーウィン市街南西側の海沿いの場所である。市街地からはEsplanade通りを南東へ。Esplanade通りは左へ大きくカーブしていくが、このカーブの少し手前の右側(南西側)に公園がある。

記念碑はこの公園を入って海沿いの方へ歩いていったところにある。記念碑の前は広場となって開けており、遠くから見てもすぐに見つかるだろう。

燃料貯蔵庫(WW II Oil Storage Tunnels)

ダーウィン市街地の南側は小高い丘となっており、その地下に第二次世界大戦中に建設された燃料貯蔵庫がある。

現在公開されているのは、5本のトンネルのうちの2本である。入口から通路を入っていくと、正面が第5トンネル、左手が第6トンネルとなっている。

大正13年(1924年)、英連邦は東洋の根拠地シンガポールの補完として、ダーウィンに燃料タンクの建設を開始した。当初は地下ではなく地上に建設された。

第5トンネルは大量の地下水が湧き出していて中には入って行くことはできない。このような地下水は工事の障害となり、建設が計画通りに進まない要因となった。

第6トンネルは中に入って行くことができる。幅は4.5m、高さは5mである。

燃料タンクの防衛のため、昭和8年(1933年)に6インチ砲(15cm)4門がダーウィン市街北西のイーストポイント要塞に設置された。また、9.2インチ砲(23cm)2門の設置も準備された。

しかし、時代の主役は軍艦から航空機へと移っていた。要塞は航空機に対して無力であり、日本軍のダーウィン空襲によって地上燃料タンクはことごとく炎上していった。この事態を受けてこの地下燃料タンクの建設が昭和18年(1943年)に始まったのである。8本のトンネル建設が計画されたが、終戦までに完成したのは5本であった。

トンネルの壁には当時の写真がかけられている。

トンネルの突き当たりは入口となっている。こちらは現在は非常用のみの出入口となっている。

「燃料貯蔵庫(WW II Oil Storage Tunnels)」の歩き方

ダーウィン市街地の南側、海沿いを通るEsplanade通りを南東へ。Esplanade通りは市街地南端で左にカーブする。

左カーブを曲がった後に右手側に展望台がある。展望台の横に階段があり、ここを降りていく。階段を降りたところに舗装路があるが、これを横切ったところにもう一つ階段がある。ここを降りていったところが「燃料貯蔵庫」の入口となっている。

燃料貯蔵庫(WW II Oil Storage Tunnels)入口に係員がいるので、ここで入場料を払う。

入場料:3豪ドル
休館日:2月と12月
開館時間:09:00-16:00(5~9月、休館なし)
      09:00-13:00(10~4月、月曜休館)
HP: http://www.darwintours.com.au/tours/ww2tunnels.html(ダーウィンのバス会社の紹介ページ)
(2011年現在)

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