日本軍機の装備品
日本軍機から回収された装備品が展示されている。
日の丸への寄せ書きである。「片桐秀蔵君」「武運長久」と読み取れる。
「零式艦上戦闘機(零戦)」の操縦桿である。太平洋のどこかの島からオーストラリアに持ち帰られたものである。
左側は「零戦」の水平尾翼付近の胴体部分の破片である。軽量化のために板が何ヶ所か円形にくりぬかれているのが分かる。右側は「P-38(ライトニング)」のものである。
日本軍戦闘機搭乗員のパラシュート(落下傘)である。この持ち主はパラシュートを使わずにニューギニア島に墜落したあと、連合軍兵士に発見された。そのとき搭乗員は生存しており、発見した連合軍兵士は手当てのためにパラシュートを展開して使ったそうであるが、その後の搭乗員の生死は不明である。パラシュートは再び畳まれてオーストラリアに持ち帰られた。血痕が残っているそうである。
ニューギニア島ラエ付近で撃墜された日本軍単発偵察機の無線操作盤である。
日本軍機の銘板である。連合軍軍人で銘板を収集していた人がオーストラリアに持ち帰ったものだそうである。
「一〇〇式司令部偵察機(二型)」の銘板である。「第3629号」「昭和19年4月」「三菱重工業株式会社製」などの文字が読み取れる。
P-38(ライトニング)
アメリカのロッキード社の陸上戦闘機「P-38H(ライトニング)」である。この機体は昭和18年(1943年)9月20日にニューギニア島マダンの70km内陸の草原に胴体着陸したものである。機体の損傷は小さく、再利用可能な部品は回収されて同機種の予備部品とされた。
その後永らくニューギニア島ラエ近郊の飛行場に移されて放置されていたのを当博物館が取得してレストアしたものである。
双発機でエンジンが機首部分にないため、ここに20mm機関砲1門、12.7mm機関銃4挺という重武装を装備していた。
操縦席の横にはしごがかけられており、コックピットを見ることができる。戦闘機の操縦桿は棒状のスティックタイプのものが多いが、「ライトニング」のものはハンドルタイプである。
発見当時の写真である。機体がドラム缶の上に載せられている。
アリソンエンジンである。7万基以上生産された液冷式高出力エンジンであり、「ライトニング」のみならず多くの米軍機に搭載された。計器や配管が取り付けられており、実際に動かせるように整備されているようである。
P-51(マスタング)
アメリカのノースアメリカン社の陸上戦闘機「P-51(マスタング)」である。機動力、航続力、高高度性能をあわせ持ち、レシプロ戦闘機の傑作と評価されている。
「マスタング」はドイツ軍の「Bf109(メッサーシュミット)」と形状が似ていたため、味方対空陣地から誤射される事件があった。この白と黒のストライプはインベージョンストライプと呼ばれる敵味方識別用に付けられたものである。
P-39(エアコブラ)
アメリカのベル社の陸上戦闘機「P-39(エアコブラ)」である。操縦席の後ろに液冷エンジンが配置されているために中央部が膨らんでおり、日本軍搭乗員はそのシルエットから「カツオブシ」と呼んだ。この配置は機首に口径37mmという大口径機関砲を配置するためであった。
エンジンを中央に配置することにより機動性の向上が見込まれたが、実際は期待されたような性能は出ず、高空性能も悪かった。製造数の多くがソ連へレンドリースされ、機動性や高空性能があまり問題とならない対地攻撃で機関砲を生かして活躍した。
F4U(コルセア)
アメリカのヴォート社の艦上戦闘機「F4U(コルセア)」の残骸である。バヌアツ共和国のエファテ島の海岸付近の環礁に沈んでいたものを引き揚げたものである。主翼付け根部分と胴体であるが、腐食が激しい。
引き揚げ前の様子である。比較的浅いところに沈んでいた。
2011年現在、レストア作業が行われていた。レストアはこのような図面を元に行われているようである。
完全に失われた部品は一から新しく作り直すようである。主翼部分である。
その他航空機
フランスのダッソー社のジェット戦闘機「ミラージュ」である。この機体は事故のあと修理が断念されそのまま退役したものだそうである。
コックピットの横にはしごがあり、実際に操縦席に座ることができるようになっている。こじんまりとした操縦席に計器が所狭しとならんでいる。コックピットに座れば気分は「トップ・ガン」(1986年:米)である。
中国の南昌飛行機製造公司の練習機「CJ-6」である。ソ連の練習機「Yak-18A」を改良したものである。量産型の生産は1965年からであり、大部分が中国空軍の初等・基本練習機用だったが、国外にも200機程度が輸出された。どういう経緯でこの博物館に来たのかは不明である。
機体に中国人民解放軍の「八一」のマークが付いている。これは昭和2年(1927年)8月1日の南昌起義を建軍記念日としているところに由来する。
オーストラリアのコモンウエルス社の陸上戦闘機「CA-12(ブーメラン)」である。欧州戦線のイギリスの苦戦で戦闘機の供給不安を感じたオーストラリアが急造した戦闘機で、約250機が製造された。日本軍戦闘機に太刀打ちできるような性能ではなかったようで、対地攻撃に徹していたため日本軍機との空戦記録はない。撃墜、被撃墜がゼロという珍しい記録を持つ戦闘機である。飛んでいった機がちゃんと戻ってきたのは「ブーメラン」という縁起のいい名のお陰であろうか。
連合軍航空機のコックピットの計器パネル類である。