「日露監獄旧址博物館」
旧旅順刑務所は昭和20年(1945年)8月の終戦後に解体され、昭和46年(1971年)に日露監獄旧址博物館として観光客に開放された。敷地内には資料館があり、「旅順閉塞作戦」関連の遺物が遺されている。
明治35年(1902年)にロシアが建て始め、日露戦争後の明治40年(1907年)に日本が増築した。
旅順刑務所は二千数百人の容量があり、主として政治犯を収容していた。
伊藤博文を暗殺した安重根を拘置していた独房も残っている。安重根はここ旅順刑務所で絞首刑となった。
明治37年(1904年)2月10日に日露戦争は開戦したが、大陸での戦闘を継続するためには、制海権を確立して海上輸送路を確保することが必須であった。
そのため、連合艦隊(日本艦隊)は2月13日にロシアの旅順艦隊を撃滅すべく旅順港に砲撃を行った。
しかし、旅順艦隊は要塞砲の射程内から出てこず、戦力を温存させる方針を取った。
そこで、日本海軍は港のある湾の入口が500m程度しかないことに注目し、ここに老朽船を沈めて旅順艦隊の港内封じ込めを狙う「旅順閉塞作戦」を実施した。
2月23日の第一次旅順港閉塞作戦には5隻の閉塞船が、3月26日の第二次旅順港閉塞作戦には4隻の閉塞船が投入された。
兵員の損害は少なかったものの、ロシア軍のサーチライトや沿岸砲に妨害され閉塞は失敗した。
第二回で福井丸の指揮を執っていた広瀬武夫少佐は、船を自沈させたのちの脱出中に敵弾を受けて戦死し、後に軍神とされた。
資料館には引き揚げられた福井丸の錨が観光客に公開されている。
3月8日、司令官が交戦に積極的なマカロフ中将に代わった。4月13日、駆逐艦同士の交戦を援護するために旅順艦隊は港外へ出撃したが、連合艦隊主力が現れたため戦闘を避けて港内へ引き返した。
その際に戦艦ペトロハバロフスクが前日に日本軍が敷設した機雷に触雷して轟沈、マカロフ司令官は戦死した。日本海軍の二号機雷も観光客に公開されている。
5月3日の第三次旅順港閉塞作戦には12隻もの閉塞船が投入された。最大規模の作戦であったが、厳重に警戒していたロシア軍に阻まれ失敗し、90名を超える死傷者、行方不明者を出した。
以後日本海軍は閉塞を断念し、海上封鎖に切り替えた。
展示内容詳細
・監獄概観
・監獄房舎
・安重根
・砲・機雷
・福井丸碑
「日露監獄旧址博物館」の歩き方
旅順市街の北東側である。
市街中心部からタクシーで5分、10元程度。周辺にはタクシーが多く流しているので、運転手に待っていてもらう必要はない。
また、3路バス「元宝街」下車でも行けるようだが、詳細不明。
チケット売り場は正門を入って右手側にある。
入場料:20元
休館日:無休
開館時間:09:00-17:00
HP: HP:http://www.lsprison.com/
(2010年現在)
「白玉山塔・旅順兵器館」
白玉山塔は日露戦争後に戦死した日本軍兵士を慰霊するために建てられた塔である。
当初表忠塔と名付けられたが、昭和20年(1945年)に進駐したソ連軍によって表忠塔の文字は削り取られ、白玉山塔と改名された。
塔は旅順港から2kmほどの丘に建てられている。観光客も登れる塔の上からは日露戦争でロシアの旅順艦隊が立てこもった旅順港がよく見渡せる。
日本海軍は旅順艦隊を旅順港に閉じ込めるべく「旅順港閉塞作戦」を実施した。旅順港は湾の入口が狭く、ここに老朽船を沈めて艦艇の通航を妨害しようとしたのである。
塔のすぐ近くには旅順兵器館が併設されている。
戦車やミグ戦闘機のほか、中国軍の装備を観光客に公開している。
日本軍の「九二式重機関銃」も観光客に公開されている。
終戦で日本軍が引き揚げ時に多数の武器が放棄され、国共内戦に使われた。これもその1つだったのであろうか。
展示内容詳細
・白玉山塔
・旅順兵器館
「白玉山塔・旅順兵器館」の歩き方
旅順市街からタクシーで5分、10元程度である。
旅順バスターミナルから坂を下ったところにある「白玉山景区」の看板を右折し、徒歩で20分ほど山道を登っても行くことができる。
5、6、12路バス「友誼公園」下車でも行けるようであるが詳細不明。
入場料:38元
塔は別途10元
旅順兵器館は基本無料であるが、有料(1元程度)のコーナーもある。
休館日:無休
開館時間:09:00-16:00
(2010年現在)
「旅順駅」
ロシア時代に建てられた東清鉄道の終着駅である。現在は旅順観光の玄関口となっている。
明治34年(1901年)に建設が始まり、明治36年(1903年)に大連からの線路が開通、運営が始まった。
木造白壁ゴシックに緑の丸屋根は100年前の姿を残している。
平成14年(2002年)に大連市重点保護建築に指定され、観光資源としても保護されている。
旅順駅からは旅順軍港の埠頭へ引込み線が延びている。
旅順駅は観光客などの外国人立入制限区域であったが、平成21年(2009年)6月に開放された。
旅順陥落後に日本軍は軍事物資輸送のため、線路を広軌から狭軌に改めた。
大連、旅順間の便は1日2便しかなく、快速で約1時間、普通で約2時間で高速バスよりも時間がかかる。
しかし、汽車の車窓から日露戦争の舞台となった遼東半島を眺めるのもまた、観光旅行としては風情があるだろう。
「旅順駅」の歩き方
旅順バスターミナルとは白玉山を挟んで反対側である。タクシーで5分10元程度。
大連市街から鉄道で来ると普通で約2時間、快速で約1時間である。