「慰霊塔」
「203高地」は旅順港の北側にある丘陵である。現在は日露戦争の有名な激戦地として観光地化されている。
日露戦争当時、この丘を巡って激しい争奪戦が繰り広げられた。この丘が両軍にとって重要視されたのは、旅順港に立てこもるロシアの旅順艦隊を砲撃するための弾着を観測するのに最適の場所だったからである。
駐車場から丘を登っていくと、観光客を相手に土産物を売る店があり、ここで道は三方向に分かれる。
右手の道は「慰霊塔」に続く。
「203高地」の争奪戦において、ロシア軍は「150mmカノン砲」2門と「76mm速射野戦砲」2門をもって日本軍を迎え撃った。
砲は観光客向けのレプリカである。
日本軍は明治37年(1904年)11月28日に203高地攻撃を開始した。一度は奪取に成功するも、ロシア軍が反攻に転じて奪還されてしまった。日本軍は再び攻撃をかけ、12月4日に再奪取して機関銃を設置して完全に丘を確保した。
この激戦で、日本軍は戦死5052名と負傷11884名、ロシア軍は戦死5308名と負傷12000名近くを出した。この丘で命を散らした両軍兵士を思うと、厳粛な気持ちにさせられる観光スポットである。
日本軍第三軍司令官の乃木希典は戦死した兵士を慰霊するために砲弾の破片で砲弾の形をした慰霊塔を建てた。
塔は10.3mの高さがあり、「203=に れい さん」の発音から「爾霊山」と揮毫された。
塔の側面を見ると、ロシア語で落書きが書かれている。そのひとつは「1954」と読み取れる。昭和20年(1945年)の終戦後に旅順はソ連によって占領され、昭和30年(1955年)に返還されるまでソ連太平洋艦隊の軍港として使われていた。
ソ連統治時代にソ連軍人によって書かれたものであろうか。
「重砲兵観測所」
観光客向けに土産物を売る店の前の分岐路を左に行くと、展望台がある。ここからは旅順港がよく見渡せる。
展望台の脇に重砲兵観測所がある。
「203高地」を占領した日本軍はこの観測所から弾着観測を行い、陸軍の重砲を持って港内のロシア旅順艦隊を壊滅させた、というのが通説である。しかし、旅順陥落後に沈没したロシア艦艇を調べたところ、多くは自沈処理されていることが判明した。
「203高地」攻略に正当性を持たせるために観測射撃で旅順艦隊を壊滅させた、と当時発表されたのが広まって通説となったのである。
しかしいずれにせよ、旅順艦隊に自沈処理に追い込んだのは、陸軍による「203高地」や要塞群の占領であったことは間違いないだろう。
「203高地」から旅順港までは直線距離で約4kmほどである。
当時の弾着観測と同じ目線で旅順港を眺めることができる観光スポットである。
展望台には観光客向けに「二十八糎砲(28cm砲)」のレプリカが展示されている。 実際には観測所のみが設置され、射撃自体は後方から行われたようである。
元は沿岸砲台に対艦用として配備されていたが、旅順攻囲戦に18門が投入され計16940発を発射した。
装填はクレーンで吊り上げた砲弾を人力で押し込んでから装薬を入れる方式であり、発射速度は高くなかったが、28cm砲弾の威力は絶大であった。
重量26トン、最大射程7650m、砲弾重量217kgであった。
「乃木保典戦死之所」
観光客向けに土産物を売る店の分岐路を正面の階段を下りていくとロシア軍の塹壕がある。これらは当時のものではなく、観光客にイメージを湧かせるための復元のようである。
ロシア軍はこのような塹壕やタコツボなどを手掘りで構築していた。
ロシア軍は「203高地」に固執して予備戦力を投入し、日本軍が一度占領した高地を奪還した。
児玉源太郎参謀総長は後の要塞攻略を有利に進めるため、「203高地」で消耗戦に持ち込むために再奪取を指示した。
他の要塞のように重厚な防御施設のない「203高地」でロシア軍要塞守備隊は予備戦力をすり減らした。その後ロシア軍は日本軍の要塞正面への攻撃を防ぎきれなくなり、要塞は次々と陥落した。
第三軍司令官の乃木希典の次男、乃木保典も「203高地」で戦死した。観光客に土産物を売る店から階段を降りていくと、戦死場所を示す看板がある。
看板にしたがってさらに階段を降りると、舗装された道に出る。この道を右手側に100mほど進むと「乃木保典戦死之所」という石板がある。
この石板のところに小道がある。
小道を下ったところに「乃木保典君戦死之所」碑のレプリカがある。
オリジナルは文化大革命の時に破壊された。 保典は少尉であり、歩兵第十五連隊小隊長として「203高地」攻略に参加していた。ロシア軍の砲弾を至近に受け、崖から滑落し頭部を打って即死した。
碑の土台に中国の簡体字で「戦犯」と落書きされている。
中国側から見れば日本軍による旅順の占領は「侵略」との立場であるが、戦死者を弔う歴史的遺物に落書きする中国人観光客がいるのは実に残念なことである。
観光客に土産物を売っている店では司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にちなんだ関連グッズやTシャツが販売されている。
「坂の上の雲」は日本でベストセラーとなり、映画化もされたため、舞台となったこの203高地には日本人観光客も多く訪れる。
日本海海戦での「本日天気晴朗ナレドモ浪高」などの「坂の上の雲」の作中にも出てくる有名なセリフをプリントしたものもある。
一着60元程度であった。