「館内概観・総裁の執務室」
「南満州鉄道株式会社本館」の右手側の「別館」は、現在「満鉄旧跡陳列館」として内部が観光客に公開されている。
天井や階段の内装など、概観と同じく重厚さを感じさせる。
満鉄時代の主流の建築様式、内装を感じることのできる観光スポットである。
階段を上がって右手側に進むと、満鉄総裁の執務室が再現されている。
椅子は革張りの高級そうな造りであり、机の上には黒電話が置かれている。
当時の「満鉄本社社屋」の写真である。
現在と概観はほとんど変わらない。「陳列館」は写真中央の広場の右側の建物である。
総裁室の壁には歴代の総裁の写真が掲げられている。
14代総裁は松岡洋右である。松岡は昭和5年(1930年)まで3年間副総裁を務めたあと満鉄を退職し、昭和7年(1932年)に国際連盟の総会に日本首席全権として派遣された。リットン報告書において満州国を認めない決議が採択され、松岡が「さいなら!」と叫んで議場を退場したのは有名な話であろう。その後再び満鉄に戻り、昭和10年(1935年)から4年間総裁を務めた。
階段を上がったところは展示室となっており、こちらも観光客が立ち入ることができる。
「展示室」
展示室内にはパネル展示や満鉄関連の遺物が展示されているが、撮影禁止である。観光は見学のみに留めること。
これらは入館チケットにその一部の写真が載っていたものを取り込んだものである。
満鉄のマークの入った食器類である。
記念品、贈答品として使われたものであろうか。
満鉄関連施設に取り付けられていたプレートのようである。
写真右側のプレートは「関東州大連土佐町公学堂」と読み取れる。
満鉄時代の写真や出版物である。これらの品々を展示するこの場は、満鉄時代の日常を思い浮かべさせる観光スポットであろう。
中央の本は「満州戦跡巡礼」と読み取れる。
満鉄時代に日露戦争の戦跡を紹介したものであろう。
時計や工具類である。
写真左側はボタンか社員証のようである。写真右側はマンホールである。
満鉄は鉄道経営だけでなく、都市計画やインフラの整備も行っていた。このマンホールは近年まで満鉄社屋の前の道路にはめ込まれていたそうであるが、現在は取り外されて展示室に飾られている。
なお、これらの社員賞やマンホールのマークは満鉄のシンボルである。「満鉄=MANTETSU」の頭文字の「M」に丸みを持たせ、鉄道のレールをかたどった「I」を組み合わせたものである。